第3話 異世界っぽい森と初めての魔法
──冷たい。
頬に当たる感触で、意識が浮かび上がってきた。
湿った土。
草の匂い。
鼻の奥をくすぐる青臭さ。
目を開けると、視界いっぱいに緑が広がっていた。
高い木々。見たことのない形の葉。
空は、さっきまでの蛍光灯とは違う、やけに澄んだ青。
「……マジか」
思わず、口から出た言葉がそれだった。
俺は上半身を起こして、辺りを見回す。
そこは、どう見ても「森」だった。
ゲームで散々見た「最初のエリア」の森。
チュートリアルが終わったあたりで出てくる、あの感じ。
「……秋人くん」
すぐ近くから、弱々しい声。
振り向くと、結衣が少し離れたところで上体を起こしていた。
ポニーテールが草の上に広がっている。
「結衣、大丈夫?」
「うん……ちょっと頭がくらっとしたけど。怪我はないよ」
制服じゃなくて、さっきまでの道場の稽古着のままだ。
俺も同じく道着姿。紅葉も──
「……起きてる」
反対側から、ぽそっと声がした。
紅葉もちゃんといた。
ジャージ姿で、あぐらをかくみたいな姿勢で座っている。
「三人とも無事か。よかった……」
心底ほっとした。
巻き込まれ事故で一人だけとか、二人だけだったら、たぶん心が折れてた。
空を見上げる。
雲が、やけに立体的だ。
ゲームのグラフィックみたいな、って思ったけど、よく考えたら逆だ。ゲームが現実を真似してるんだ。
「ここ……ほんとに、異世界、なのかな」
自分で言ってて笑いそうになる単語だ。
けど、足元の土の感触も、風の匂いも、全部あまりにもリアルで、夢って感じはしない。
隣で結衣が立ち上がる。
道着についた草を払って、きょろきょろと辺りを見回した。
「……見たことない植物ばかりだね。日本じゃないのは確か」
「日本どころか地球かどうかも怪しいんだよなぁ」
そう言いながら、俺も立ち上がる。
紅葉は、すでに立った状態で、無言で森の奥を睨んでいた。
「紅葉?」
「……音が違う」
「音?」
「鳥の鳴き声、虫の羽音、風の通り方。知ってる森と違う」
さらっと怖いこと言う。
でも、その紅葉が「違う」と言うなら、たぶん違うんだろう。
あいつの感覚は変なところでやたら鋭い。
「とりあえずさ」
俺は、自分の胸に手を当ててみた。
「女神が言ってた“ステータス”ってやつ、試してみる?」
「やっぱりやるんだ、そういうの」
結衣が苦笑する。
「いや、逆にここまでテンプレ来たら、やらない方が損だろ」
ゲーム脳全開の発言だけど、今この状況だと言い訳はしない。
「えっと……“ステータス表示”とか、心の中で念じればいいのかな」
半分ネタのつもりでやってみる。
──その瞬間。
目の前に、うっすらと青白いウィンドウが浮かんだ。
「うおっ!?」
ビクッと肩が跳ねる。
ほんとに出た。
ゲームのステータス画面みたいな透明の板が、宙に浮かんでいる。
目をそらすと半透明になって背景に溶けるし、見ようと意識を向けるとくっきりする。
「出た?」
「出た。マジで出た」
「私も……」
隣で結衣も小さく息を呑んでいる。
「見える。なにこれ、便利」
紅葉は、なぜかまったく驚いていなかった。
最初からこの展開を予想していたかのような顔だ。
「自分の、見る?」
「見る」
素直だな。
俺は、目の前のウィンドウを意識で操作するイメージをしてみる。
タッチパネルみたいなもんだと思えばいい。
すると、文字がはっきりと読めるようになった。
⸻
【名前】佐藤秋人
【種族】人間
【レベル】1
【職業】無職(仮)
【HP】32/32
【MP】55/55
【筋力】13
【敏捷】12
【知力】14
【精神】15
【器用】11
【運】10
【固有特典】
《魔力適性:全属性》
【スキル】
なし
⸻
「……無職(仮)ってなんだよ」
いちばん最初に目に入ったのがそこだった。
「仮って付けられても不安なことに変わりないんだが」
しかし、その下のMPの数値を見て、ちょっとテンションが上がる。
(MP55。多いのか少ないのか分からないけど、“魔力適性:全属性”ってちゃんと書いてある……)
ゲームなら、この時点で火とか水とかの初級魔法が撃てるやつだ。
「俺、マジで魔法使えるのかな……」
つぶやいた声が、思っていたより大きかったらしく、隣の二人にも聞こえた。
「秋人くん、顔がちょっとニヤけてる」
「夢、叶った?」
「叶ってはない。まだ何も撃ってない」
でも、ちょっと嬉しいのは否定できない。
「結衣のステータスは?」
「えっとね──」
結衣も、自分の画面を見ながら読み上げる。
「【HP】26、【MP】30。固有特典のところに《守護の加護》《霊槍薙刀》《絆感知》って書いてある」
「絆感知」
俺がそこだけ繰り返すと、結衣がほんの少しだけ赤くなった。
「……たぶん、その。秋人くんがどこで何してるか、ちょっとだけ分かるやつ」
「ストーカー機能じゃん」
「愛だよ」
「重いよ」
口ではそう言いつつ、ちょっとありがたいと思ってる自分もいる。
知らない世界で一人ぼっちになるのは、流石に怖いから。
「紅葉は?」
「……HP22、MP40」
紅葉は必要最低限しか言わない。
「固有特典、《影走り》《隠密強化》《毒と薬の知識》」
「やっぱり忍者だな……」
スキル名からして完全に暗殺者じゃないか。
味方でよかった。敵だったら夜安心して寝られないタイプだ。
そんなふうに三人でステータスを見ていると──
ガサッ、と近くの茂みが揺れた。
全員の身体が固まる。
風とは違う。
動物特有の、重心を移動させる音。
「秋人、下がって」
結衣が一歩前に出て、俺の前に腕を伸ばした。
紅葉は逆に、一歩分だけ前へ。
草むらと俺たちの中間に滑り込む。
ガサガサ、ガサ──
「……っ」
俺も、反射的に木刀を構える。
現れたのは──
「犬?」
四つ足。灰色の毛並み。
大きさは、中型犬くらい。
けれど、目つきが明らかに違う。黄色く光っていて、唸り声をあげている。
奥歯が、やけに鋭い。
【フォレストウルフ レベル1】
視界の端に、名前とレベルが自動的にポップした。
(スキャン機能まで付いてるのかよ、便利だな)
感心してる場合じゃない。
一匹だけじゃなかった。
もう二匹。茂みの影から同じような狼が姿を現す。
「三匹……」
結衣の声が低くなる。
「この感じ。縄張りに入っちゃった、って顔してるね」
「話し合いでどうにかなるタイプじゃなさそうだな」
ウルルル、と唸り声。
背筋に冷たいものが走った。
でも、ここでビビって下がったら、もっと危ない気がする。
逃げるにしても、三人一緒じゃないと意味がない。
俺が木刀を握り直したとき──
「最初の一匹、私がやる」
紅葉が前に出た。
ジャージ姿の背中が、やけに頼もしく見える。
「結衣、右の一匹、お願い」
「……指示飛んできたね」
結衣が苦笑しつつも、ちゃんと頷く。
「秋人くんは?」
「俺は──」
何か言おうとした瞬間、紅葉がくるっと振り返って俺を見上げた。
「後ろ、守って」
「後ろ?」
「背中。私たちの」
その言い方には、妙な安心感があった。
戦い慣れてるやつの、「役割分担」の声だ。
「……分かった」
俺は、二人の少し後ろに立つ。
フォレストウルフが、低く腰を落とした。
次の瞬間──飛んだ。
一匹が紅葉に向かって一直線に。
別の一匹が、外側の結衣に向かって回り込む。
紅葉は、ふっと身体の力を抜いた。
狼の前足が届きそうなギリギリの距離。
その瞬間、紅葉の姿がぐにゃりとブレた。
「……っ!」
視界から消える。
まるで影に溶けたみたいに。
狼の爪は空を切り、紅葉はいつの間にか後ろに回り込んでいた。
《影走り》。
さっきのスキルだ。
そのまま、着地の隙を逃さずに、拳を狼の首元に叩き込む。
ぐしゃっ、と鈍い音。
フォレストウルフが、地面に転がって痙攣した。
【フォレストウルフを倒しました】
視界の端に、文字が浮かぶ。
(うわ、ログまで出るのか)
もう一匹の方はというと──
「──そこ!」
結衣の薙刀……ではなく、木刀が唸りを上げた。
薙刀は今、手元にない。道場から転移してきたのは木刀だけだ。
それでも、彼女の動きは薙刀そのものだった。
間合いの出入り。足さばき。
木刀の先が、狼の鼻先を叩く。
視界を潰し、怯んだところで、横薙ぎに首元をなぞった。
ばきっ、と嫌な音がして、狼がその場に崩れ落ちる。
残り一匹。
俺の真正面にいる。
「……っ」
木刀を構える。
喉が、からからだ。
(やるしかない)
頭の中で、自分に言い聞かせる。
ここで逃げたら、きっとあとで後悔する。
二人に頼りっぱなしになるのは、性格的に無理だ。
フォレストウルフが、牙を剥いた。
目が合う。
足が床板じゃなくて土なのが、余計に怖い。
でも、土だろうが床だろうが関係ねえ、と自分に言い聞かせる。
「来いよ……!」
言った瞬間、自分でも驚くくらい声が出ていた。
狼が飛びかかってくる。
前足。牙。
全部まとめて叩き折るイメージで、木刀を振り抜いた──
その時。
(──火)
なぜか、頭の中に「ファイアボール」のイメージが浮かんだ。
ゲームで何度も見た、最初の攻撃魔法。
炎の球体。真っ直ぐ飛ぶやつ。
(撃てたらいいのにな)
無意識に、そう思った。
瞬間、胸の奥が熱くなった。
何かが、こっちを通り抜けていく。
目の前に、赤い光が集まった。
「え」
狼の顔面の前に、小さな火の塊がぽん、と生まれた。
拳大くらいの、揺れる炎の球。
それが、そのまま狼の鼻先にぶつかる。
ボッ、と火花が散った。
フォレストウルフが悲鳴を上げて後退する。
毛並みに燃え移った火を振り払おうとして、地面を転げ回った。
俺は、木刀を振り切った体勢のまま固まっていた。
(……出た)
遅れて、実感が押し寄せてくる。
今の、どう見ても魔法だった。
「秋人くん!」
結衣の声が飛ぶ。
「とどめ!」
言われるまでもない。
俺は足を踏み込んで、火を払いきれずによろめいている狼の首に、木刀を叩きつけた。
ぐしゃり、と鈍い手応え。
狼の身体から、一気に力が抜ける。
【フォレストウルフを倒しました】
頭の中に、さっきと同じメッセージ。
その下に、追加で文字が浮かんだ。
【レベルが2になりました】
「……レベルアップまでテンプレかよ」
思わず笑ってしまう。
笑ってから、がくっと膝が抜けそうになった。
力が、どっと抜ける。
さっきの火の玉で、結構な量の何かを使った感じがした。
「秋人!」
結衣が駆け寄ってくる。
「大丈夫!?」
「うん……ちょっと、どっと来ただけ」
息は上がってるけど、怪我はしてない。
服も燃えてないし、身体も無事だ。
(魔法、一発でこれか……慣れるまで乱用はできなさそうだな)
とか、冷静に考えているふりをしつつ、心の中では子供みたいにはしゃいでいた。
(撃てた。マジで撃てた。俺、今ファイアボール撃ったぞ)
「……秋人」
紅葉が、いつの間にか目の前に立っていた。
無表情に見えるけど、目の奥がきらきらしている。
「すごかった」
「え?」
「火の玉。想像して、すぐ出した。初めてなのに」
「あー……」
褒められて、急に照れくさくなってきた。
「いや、偶然だと思う。たまたまイメージしやすいやつだったから」
「でも、できた」
紅葉は、こくこく頷く。
「主家の素質。ちゃんとある」
「そこに繋げるのやめない?」
結衣も、少し落ち着いたのか、小さく笑った。
「でも、秋人くんがちゃんと戦ってくれるのは、助かるよ。
私たちだけで守るのも限界あるしね」
「最初から守られる前提で話進めないでもらえる?」
「んー……じゃあ、“一緒に”戦う、ってことで」
結衣が、俺の隣に立つ。
紅葉も、反対側にすっと並ぶ。
三人で森を見渡すと、さっきまでより少しだけ世界が広く見えた。
怖いのは怖い。
知らないことだらけだし、帰れる保証もない。
でも──
(……なんとか、なるかもしれない)
そんな気持ちも、少しだけ芽生えていた。
「とりあえずさ」
俺は、二人を振り返る。
「このまま森の中で夜迎えるのは、さすがに嫌だ。
どっか人がいそうな場所、探そう」
「うん。川か道を見つけたいね」
「高いところに登るの、得意」
紅葉が、近くの木を見上げる。
「偵察、してくる」
「一人で大丈夫?」
「大丈夫。二人は、ここで待ってて」
そう言うなり、紅葉は本当にスルスルと木を登り始めた。
猿か猫かってくらい軽い身のこなしだ。
結衣が、隣でため息をつく。
「……なんか、すごい子だね、山城さん」
「だな」
「秋人くん、ちょっと楽しそう」
「正直、ワクワク半分、不安半分って感じ」
「私は、不安七割、秋人くん二割、紅葉さん一割かな」
「内訳おかしくない?」
そんなふうに、どうでもいい会話をしながら、
俺たちは紅葉の戻りを待つことにした。
異世界一日目。
とりあえず、最初の戦闘はなんとかなった。
──なんとかなった、で済めばいいけどな、と心のどこかで思いながら。
つづく
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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