第29話 生き延びるための、防具って話
ラグナスの街門が見えたとき、心底ほっとした。
あのロックシェル・リザードの咆哮は、まだ耳の奥に残ってる気がする。
肩と肋骨はじんじんするし、MPもスカスカだ。
「……ただいま」
思わず、誰にともなくそう呟いていた。
「うん、ただいま」
「生きて、帰った」
ユイとクレハも、小さく同じ言葉を重ねる。
──まずはギルドだ。
◇ ◇ ◇
ギルドの扉を開けると、いつものざわつきが耳に飛び込んできた。
でも、そのざわめきの中から、真っ先に俺たちを捕まえたのは──
「おかえりなさい!」
受付のミリアさんだった。
「えっと、その顔と歩き方は……“とりあえず生還”って感じ?」
「概ね、その認識であってます」
ユイが苦笑いする。
「街道沿いの掃討は完了。ロックシェル・リザードとは遭遇して……撤退しました」
「撤退ね」
ミリアさんの笑顔が、少しだけ真面目になる。
「詳しい話は、ギルマスのところでかな」
「だろうなぁ」
俺たちは揃ってカウンター奥の扉の方を見る。
タイミングよく、扉が開いた。
「戻ったか」
ボルグさんが、腕を組んで立っていた。
「中で聞こうか。エルナも呼んである」
ああ、絶対説教コースだ。
◇ ◇ ◇
ギルド奥の小部屋。
大きな机と椅子がいくつか。壁際には地図と依頼書の束。
ボルグさんの隣には、すでにエルナが座っていた。
「おかえりなさい、三人とも」
エルナは心配そうに、でもちゃんと笑ってくれる。
「……ただいま戻りました」
俺たちは簡単に頭を下げてから、順番に報告を始めた。
街道沿いの掃討のこと。
森の中でロックシェルに遭遇したこと。
《鉄鋼の槍》と一緒に戦おうとして、結局撤退したこと。
そして──
「途中で、俺が変な魔法暴走させかけて、ユイに止められました」
そこは、ごまかしちゃいけない気がして、正直に言った。
エルナの目が、一瞬だけ細くなる。
「……“変な魔法”?」
「火と風と水を、一度に……」
言いかけたところで、エルナが軽く手を上げた。
「魔力の動きは、だいたい想像できます。
昨日、基礎だけ教えておいて良かった」
「怒りますか?」
恐る恐る尋ねると、エルナは少し考えてから言った。
「そうですね。
“無茶をしようとしたこと”については、叱っておきましょうか」
やっぱりか。
「秋人くん」
「はい」
「あなたの魔力は、“蛇口を壊せる”タイプです。
全部一気に開けば、そりゃあ大きな水は出せるでしょう。
でも、そのあと蛇口も、水道管も、全部壊れます」
「……はい」
「暴走した魔法は、自分と仲間を一緒に飲み込みます。
それは、“強さ”ではなく、“事故”です」
「……すみません」
頭を下げるしかなかった。
隣で、ユイがそっと袖をつまんでくる。
「でも」
エルナは、そこで表情を少し緩めた。
「“それに気づいて止めてくれた人”がいたことは、よかったですね」
「……ユイ?」
「うん」
ユイが、気まずそうに笑う。
「《絆感知》が、全力で“ダメ”って言ってた。
あれ、やってたら多分──秋人くんか、クレハちゃんか、私か、誰かひとりは死んでたと思う」
「そうですね」
エルナが頷く。
「ユイちゃん、よく止めました。
“守りたい”という気持ちを、ちゃんと行動に変えられています」
「ありがとうございます」
ユイの肩の力が、ほんの少しだけ抜けた。
「クレハちゃんも」
エルナが、クレハの方を見る。
「昨日決めた“線引き”を、今日きちんと守りましたね」
「線引き……」
「“どちらかを捨てて逃げる”のではなく、二人とも連れて逃げる方を選んだ」
「……うん」
クレハは小さく頷く。
「怖かったけど、“捨てる”より怖くなかった。
だから、二人とも掴んで走った」
「良い選択です」
エルナは、穏やかに微笑んだ。
「“逃げる”のも、立派な選択ですからね。
特に今日のような相手なら」
「……今日の相手?」
そこで、ボルグさんが口を開いた。
「ロックシェル・リザードだ」
机の上に、森の周辺地図が広げられる。
「石皮トカゲの上位種で、成長しきった個体だな。
普通の石皮トカゲは、体長一メートルちょい。
お前らが前に相手した石皮とは、別格だ」
「やっぱり上位種でしたか」
「通称“装甲蜥蜴”。
E〜Dランクのパーティが、ちゃんと準備してやっとどうにか、って代物だ」
ボルグさんは、俺たちをひとりずつ見た。
「そんな相手に遭遇して、“全員生きて帰ってきた”。
それだけで、今日は合格だ」
「……合格、なんですか?」
「合格だとも」
ボルグさんは、鼻を鳴らした。
「“勝てねぇ相手から命を持って逃げる”ことが出来る奴は、そう多くねぇ。
下手に虚勢張って全滅するパーティ、掃いて捨てるほど見てきた」
「虚勢……」
さっき、暴走しかけた自分を思い出して、胃がきゅっとなった。
「依頼としては“討伐失敗に近い報告”にはなるがな。
ロックシェルがいる場所と、能力の情報を持ち帰ったのは、大きな成果だ」
そう言って、ボルグさんは依頼書に何かを書き込む。
「街道掃討は達成。
ロックシェルの方は“遭遇報告・撤退”でギルド処理しておく。
報酬は前者分だけだが、それで文句あるか?」
「いえ、ないです」
金の問題じゃない。
──生きて帰った。
それが、今日の全部だ。
◇ ◇ ◇
「で、だ」
少し空気が落ち着いたところで、ボルグさんが俺たちをじろりと見た。
「今日のことで、何か分かったことはあるか?」
「分かったこと……」
ユイが、俺の方をちらっと見る。
「秋人くんの魔法、便利だけど、使い方間違えたら危ない」
「そこ強調しなくて良くない?」
「あと、あの硬さは今の私たちじゃどうにもならない」
「“硬い魔物には魔法も使わないと”って話、してたけど」
俺も続ける。
「魔法の方もちゃんと鍛えないと、“出せるけど制御できない爆弾”になる」
「私は……」
クレハが、少し考えるように俯いた。
「逃げるとき、もうちょっと早く判断出来たと思う。
“まだいけるかも”って思ったせいで、アキトが一回多く殴られた」
「殴られたって表現やめて?」
でも、まぁ、言ってることは正しい。
俺も、「まだやれる」って妙な意地を張ってた。
「……まとめると」
ユイが、指を折りながら言う。
「今の私たちは、“勝てない相手への対処”が下手。
“生き延びるための準備”も、もっとちゃんとしないといけない」
「よろしい」
ボルグさんが頷いた。
「だからこそ──だ」
ごつい指で、机をトンと叩く。
「装備を、見直せ」
「装備……」
自分たちの格好を見下ろす。
今の俺たちの装備は、ほとんど“最初に慌てて買ったやつ”ばかりだ。
アキト:安い革鎧に、最低限の手甲とすね当て。
ユイ:道場時代の袴ベースを、こっちの世界風に直しただけの軽装+槍。
クレハ:里から持ってきた忍び装束を、少し街仕様に着替えただけ。
どれも、“それっぽい”だけで、ちゃんと“命を守る”ところまでは考えてない。
「生き残るための防具は、“似合うかどうか”より“死なないかどうか”が先だ」
ボルグさんの言葉は、妙に重かった。
「見た目も大事だけどな。
その辺は、タツミに文句言ってくれ」
「タツミさんのところ、ですか?」
「ああ」
ボルグさんは、壁の地図の一点を指さした。
「鍛冶屋《タツミ鍛鉄工房》。
東方から流れてきた鍛冶師で、ウチじゃ一番腕がいい」
東方出身の寡黙な鍛冶職人。
前に武器を買いに行ったとき、必要なことしか喋らなかった、あの人だ。
「タツミに、“生き延びるための防具が欲しい”って言ってこい。
お前ら全員分だ」
「全員分……お金、大丈夫かな」
「街道掃討分の報酬と、今までの貯金を合わせれば、最低限は揃えられるはずだ。
足りなきゃ、少し割り引かせる」
「あ、さりげなく優しい」
「さりげなくじゃねぇ。ギルドマスターだからな」
そう言いつつも、ボルグさんは照れくさそうに鼻を鳴らした。
「防具を整えたら、改めてロックシェル討伐を考える。
それまでに──」
俺たちをじろりと見て、口元をニヤリと吊り上げる。
「“師匠”も、つけてやる」
「師匠……」
胸の奥で、さっきとは別の意味のざわめきが広がる。
剣と魔法を教えてくれる人。
支援と回復を鍛えてくれる人。
影の歩き方を変えてくれる人。
──その予感に、少しだけ胸が熱くなった。
◇ ◇ ◇
ギルドを出ると、空は少し傾きかけていた。
でも、まだ鍛冶屋はやっている時間だ。
「行こっか、タツミさんのところ」
「うん」
「生き延びる防具、買う」
三人で並んで歩きながら、それぞれの装備のイメージを頭の中で組み立てていく。
「アキトは、あんまり重過ぎるのダメだよね」
「そうだな。
じいちゃんの甲冑兵法でも、“動けなくなる鎧は棺桶だ”って言ってたし」
動きやすさと、防御力のバランス。
「胸と肩だけ、金属板載せる感じとか?
あとは質のいい革で、動きやすく」
「いいな、それ」
「ユイは?」
「私は……機動力重視かな。
軽装で、でも関節だけちゃんと守るやつ。
槍も、もうちょっとバランス調整してもらいたい」
「クレハは?」
「黒くて、動きやすくて、隠れやすいの。
暗器いっぱい入るベルトと、毒と薬入れるケースも欲しい」
「完全に暗殺者装備じゃん」
「“守るために”暗殺者装備使う」
クレハが当たり前のように言うから、ちょっと笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
タツミ鍛鉄工房は、ギルドからそう遠くない横道にある。
煤けた看板に、簡素な槌と剣のマーク。
扉を開けると、鉄と油と炭の匂いがむわっと押し寄せる。
「いらっしゃい」
カン、カン、と音を響かせながら、タツミさんがこちらをちらりと見る。
額には汗。腕は太く、無駄な肉がない。
相変わらず、“職人”って感じの人だ。
「こないだの、ショートソードのガキか」
「ショートソードのガキです」
なぜか自己紹介がそれになる。
「今日は、防具を見に来ました」
ユイが前に出て、軽く頭を下げる。
「ギルマスから、『生き延びるための防具を』って」
「……ほう」
タツミさんの目が、ほんの少しだけ鋭くなった。
「ボルグの紹介か」
「はい」
「なら、“見た目だけ”の鎧は売らん」
タツミさんは槌を置いて、こちらに歩いてくる。
俺たちを頭のてっぺんから足の先まで、じろじろと眺めた。
「まず、前に出るのは誰だ」
「俺です」
「盾役は?」
「今回いません」
「……槍の嬢ちゃんは、中衛か」
「中衛寄り前衛です」
「忍びの嬢ちゃんは、後衛と側面」
「後ろと上と影」
クレハの返事に、タツミさんの口元が少しだけ緩んだ。
「なるほど。
三人とも、“自分がどこに立つか”は自覚してるらしい」
そう言って、棚の方に向き直る。
「ガキ」
「アキトです」
「アキト。お前には──これだ」
引っ張り出してきたのは、濃い茶色の革鎧だった。
胸と腹の部分に、薄い鉄板が縫い込まれている。
肩にも、丸い金属プレート。
でも、腰や脚は柔らかい革のままだ。
「“動ける鎧”が欲しいんだろう」
「見た目、まんまそんな感じです」
「これなら、さっきの肩の一撃も、少しはマシだったはずだ」
言われて、俺は思わず肩をさする。
「鎧がなきゃ骨が折れる。
鎧が良けりゃ、打撲で済む。
生きるか死ぬかの差は、案外その程度だ」
「……お願いします」
頭を下げた。
タツミさんの言葉は、派手じゃないけど、ずしっと来る。
「嬢ちゃん、槍」
「ユイです」
「ユイ。お前には──こういうのだな」
タツミさんが出してきたのは、動きやすそうな短い上衣と、膝までのスカート状の防具、その下に履くスパッツ。
ところどころに小さな金属板が仕込まれている。
「関節だけ守る。
肩、肘、膝。あと、太ももの外側。
全部がっちり固めたら、お前の槍は死ぬ」
「……よく分かってらっしゃる」
ユイが、ちょっと感嘆した声を出す。
「槍は、足が止まったらただの棒だ。
足を動かすために、余計な重さは要らん」
「お願いします」
ユイが嬉しそうに頷いた。
「忍び」
「クレハ」
「クレハ。お前は──黒」
即答だった。
出してきたのは、全体的に黒を基調にした軽装の防具。
胸元と背中は薄い革。肩と手首、足首には衝撃を吸収する小さなパッド。
腰回りには、ナイフや小瓶を差し込めるホルダーがずらり。
「……暗器いっぱい入る」
クレハの目が、きらっと光った。
「毒瓶もこぼれにくいように作ってある。
ただし──」
タツミさんが、クレハの額を軽く小突く。
「“守るために”使え。
殺すだけに使うなら、俺は二度と売らん」
「……うん」
クレハは、少しだけ目を見開いてから、こくりと頷いた。
「“守るために”使う」
その返事に、タツミさんは満足そうに鼻を鳴らした。
◇ ◇ ◇
試着室代わりのカーテンの向こうで、三人はそれぞれ防具を身につけていく。
革の擦れる音。金具の留め具がカチリと鳴る音。
「どう?」
最初にカーテンを開けたのは、ユイだった。
いつもの和風美人が、ちょっとだけ“戦場仕様”になった感じだ。
肩と肘に小さなプレート。太ももの外側を守る装甲。
それでも動きの邪魔にならないように作られている。
「……似合う」
一番乗りで声を出したのは、クレハだった。
「槍、振りやすそう」
「うん、すごく軽い」
ユイが、その場でくるっと回ってみせる。
「これなら、秋人くんの前にも横にも、すばやく動けそう」
「動いてもいいけど、試着室で槍振らないでね?」
「分かってるって」
次にカーテンを開けたのは、クレハだ。
黒を基調にした軽装が、彼女の小柄な体にぴったり馴染んでいる。
腰回りのホルダーには、すでにいくつかのナイフが収まっていた。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れる。
「完全に“プロの忍者”感あるな」
「忍者。クノイチ」
クレハはいつも通り無表情気味だけど、耳まで赤い。
「動きやすい。いっぱい入る。
……嬉しい」
「表情にもうちょっと出してもいいのよ?」
ユイがくすっと笑う。
「最後、秋人くん」
「お、おう」
カーテンを開けると、二人の視線が一斉にこちらに向いた。
「……どう?」
一応聞いてみる。
胸と肩に金属プレート。腹と背中は厚めの革。
腕と脚は、動きやすさ重視で軽めの装備になっている。
鏡で見ても、“ザ・冒険者”って感じだ。
「おお……」
ユイが、素直に感心した声を出す。
「ちゃんと“前衛してる人”って感じになったね。
前より、安心感ある」
「うん。
殴られても少しはマシそう」
「殴られる前提で話すのやめて?」
三人で、少しだけ笑う。
さっきまで森で味わった“怖さ”は、まだ完全には消えてない。
でも、新しい防具の重さが、「次はもう少しマシにやれる」という実感をくれる。
◇ ◇ ◇
支払いを済ませて工房を出ると、外の空気がやけに新鮮に感じた。
体に馴染んでいない防具の感触が、歩くたびに少し気になる。
でも、それが「ちゃんと守られている」という証拠でもある。
「……なんか、一気に“冒険者”っぽくなったね」
ユイが、自分の装備を軽く叩きながら言った。
「今までは、“旅の延長”って感じだったけど」
「ここからは、“戦いに行く”って感じ」
クレハの言葉は、妙に的確だった。
「防具も揃って、“勝てない相手”も知って、“師匠候補”も見えてきた」
「ドルガンさんと、リゼさんと、エルナさんか」
「うん」
三人で顔を見合わせる。
「……よし」
自然と、声が出た。
「次は、今日みたいにただ逃げるだけじゃなくてさ」
森の方角をちらっと見る。
「ちゃんと“逃げる準備”して、“勝つ準備”もして──
それでもダメなら、また生きて逃げて、もっと強くなってから行こう」
「うん」
「また、三人で帰ってくる」
「……ああ」
夕焼けに染まるラグナスの街を、三人で歩く。
新しい防具の重さが、心地よく肩に乗っていた。
その重さが、“ここから先も生きていくための重さだ”と──
なんとなく、そう思えたから。
つづく。




