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第28話 勝てない相手と、初めての撤退


 ラグナスのギルドは、朝からざわついていた。


 掲示板の前には、いつもより多くの冒険者が集まっている。

 その中で、ボルグさんが腕を組んで依頼票を眺めていた。


「来たな、ガキども」


 俺たち三人を見つけると、ボルグさんが顎をしゃくる。


「昨日の巡回は、まぁ合格点だ。

 だから今日は──少し外に出てもらう」


「外……森の方ですか?」


 ユイが尋ねると、ボルグさんはニヤリと笑った。


「ああ。街道近くの森だ。

 最近、“ちょっと硬ぇの”が出るって話でな」


 “ちょっと硬ぇの”。


 嫌な予感しかしない。


「依頼は二つだ。本来は合同だが、状況次第だな」


 ボルグさんは二枚の紙をカウンターに置いた。



【依頼名】街道沿いの魔物掃討

【内容】

 ・ラグナス近郊の街道沿いに出没する魔物の討伐。

 ・主な出現種:ウルフ系、ホーンラビット等。


【推奨人数】3〜5名

【推奨ランク】F〜E



【依頼名】装甲蜥蜴ロックシェル・リザードの討伐

【内容】

 ・街道から少し外れた森の中で、全身を岩のような甲殻で覆った大型蜥蜴が目撃される。

 ・通行人や商隊への被害を防ぐため、討伐または追い払いを希望。


【推奨人数】4〜6名

【推奨ランク】E〜D



「前者はお前らでも問題ねぇ。

 後者が“ちょっと硬ぇの”だ」


「ロックシェル・リザード……」


「石皮トカゲの上位種....」


 ユイが依頼票を読み上げる。


「ランク的には、ちょっと上ですね」


「本来は、もう一組と一緒に当たらせるつもりだ。

 《鉄鋼の槍》ってパーティを聞いたことはあるか?」


「酒場で名前だけ」


 俺は首を傾げる。


「中堅のEランクパーティだ。

 槍使いの前衛二人と、盾一人、後衛一人。バランスは悪くねぇ」


「その人たちと、一緒に?」


「ああ。街道掃討と並行して森に入って、状況見ながらロックシェルに挑む。

 お前らは様子見だ。それでいいな?」


「様子見……」


 喉の奥で、何かがざらりと擦れた。


 ──様子見、のはずだった。


 このときの俺は、まだ楽観していた。


「行きます」


 口が勝手に言っていた。


 ユイとクレハも、何も言わずに頷いた。


◇ ◇ ◇


 森は、思ったより静かだった。


 街道沿いは陽の光がよく差し込んで、草むらも明るい。

 そこから少し外れた木々の間に、涼しい陰が広がっていた。


「じゃあ俺たちは、まず街道沿いの掃討からだ」


 《鉄鋼の槍》のリーダーらしき男が、短く指示を出す。


 全員、金属製の胸当てと脛当て。

 槍の穂先はよく研がれ、盾の表面にはいくつもの傷が走っている。


「ロックシェルは森の奥だ。

 ウチの後衛が魔力温存したいから、最初の雑魚はお前らがメインでやれ」


「分かりました」


 ユイが丁寧に頭を下げる。


 俺たちは街道沿いに広がり、いつものように役割を分担した。


 俺が前に出て、ユイが横でフォローし、クレハが影から刺す。


 ウルフが飛びかかってきても、

 ホーンラビットが突っ込んできても──


「《風》!」


 俺の風魔法で体勢を崩し、


「やっ!」


 ユイの槍が正確に急所を貫き、


「……そこ」


 クレハの短剣が、死角から喉を断つ。


 危なげもなく片付いていく。


「いいじゃねぇか、ガキのくせに」


 《鉄鋼の槍》のリーダーが、鼻を鳴らした。


「へたなEランクよりマシだな。

 ……じゃあ、本命と遊んでくる」


「“遊ぶ”相手じゃないと思いますけど……」


 思わずツッコむが、男は肩をすくめただけだった。


「本気になればの話だ。

 お前らは街道側をもう少し見てろ。森の奥に入るのは、ウチの後ろからついてこい」


 そう言って、《鉄鋼の槍》の面々は森の奥へと入っていった。


 俺たちは、街道沿いの残りの魔物を片付けながら、少しずつ森の中へ足を踏み入れた。


◇ ◇ ◇


 森の中は、薄暗かった。


 木々が頭上を覆い、地面には湿った落ち葉が積もっている。


「足元、滑りやすいね」


「気をつけろよ」


 そう言いながらも、俺たちはそれなりに余裕があった。


 さっきまでの戦いで、身体がいい具合に温まっている。


(この調子なら……)


 そんなことを思いかけた時だった。


 ──ズシン。


 地面の奥から、鈍い振動が伝わってきた。


「……今の、聞こえた?」


「うん」


 クレハが耳を立てるようにして周囲を窺う。


 また、ズシン。


 今度は、さっきより近い。


「ロックシェルか?」


「たぶん」


 ユイが槍を構える。


「《鉄鋼の槍》の人たち、どこ?」


「前の方にいるはずだけど──」


 その時だった。


 木立の向こう側から、男たちの声が聞こえた。


「くそっ、こいつ硬すぎだろ!」


「前押さえろ! 後衛、もっと魔法ぶちこめ!」


「もう少し下がれ、囲まれるぞ!」


 明らかに、余裕のない怒号。


 俺たちは顔を見合わせると、同時に駆け出していた。


◇ ◇ ◇


 木々の間を抜けた先に──それはいた。


 全長三メートル近い蜥蜴。


 全身を灰色の岩のような甲殻で覆った、巨大なトカゲ。


 ロックシェル・リザード。


 その厚い尾が振るわれるたびに、地面が抉れ、木の幹がへし折れる。


「うわ……」


 思わず声が漏れた。


 《鉄鋼の槍》の前衛二人が、その尾を必死に盾と槍で受け止めている。


 盾にひびが入り、槍の柄が悲鳴を上げる。


「遅ぇぞ、ガキども!」


 リーダーが吠えた。


「お前らは手ぇ出すな! 巻き込まれる!」


「でも──!」


「いいから引いてろ! こいつはウチの仕事だ!」


 そう言うが、その顔には明らかに焦りが滲んでいた。


 後衛の魔法使いが、火の矢を次々と放つ。


 しかし──


「……弾かれてる」


 ユイが息を呑む。


 火の矢は甲殻に当たって、ぱちぱちと弾けるだけ。

 焦げ跡はつくが、深くは刺さらない。


「風!」


 もう一人が風の刃を撃ち込むが、それも表面をかすめるだけ。


 ロックシェルが、大きく口を開けた。


 次の瞬間、濁った緑色の液体が、前方に向かって吐き出される。


「毒霧っ!? 下がれ!」


 リーダーの怒鳴り声。


 前衛二人が盾を構えて後ずさる。


 毒の霧が、辺りの草を溶かしていくのが見えた。


「やば……」


 俺の背筋に冷たいものが走る。


「ここで下がるぞ!」


 リーダーが、前衛を下がらせながら叫ぶ。


「一回体勢立て直す! ガキどもも──」


 その声が、途中で途切れた。


 ロックシェルの尾が、横殴りに振るわれたのだ。


 盾ごと吹き飛ばされる前衛。

 後衛の魔法使いが避けきれず、地面に転がる。


「くそっ!」


 リーダーが舌打ちする。


「撤退だ! 引け!」


「でも、まだ──」


「死ぬか生きるかのライン超えたら、勝ち負けじゃねぇんだよ!」


 怒鳴りながら、リーダーが負傷した仲間の腕を引っ張る。


「ガキども、ぼさっとすんな! お前らも下がれ!」


「──待って!」


 ユイが前に出た。


「クレハちゃん!」


「分かってる」


 クレハが、すでに動き出している。


 影から影へ、落ち葉の影から、折れた木の影へ。


 ロックシェルの視界の外側を、ぐるりと回り込んでいく。


「ユイは、《守護の加護》を最大で!」


「秋人くんは──」


「分かってる! 盾の代わりならなれる!」


 俺は前に出て、仲間とロックシェルの間に立った。


(大丈夫、大丈夫だ。

 ここで時間稼ぎして、みんなで下がれば──)


 自分に言い聞かせながら、剣を構える。


 ロックシェルの鈍い目が、こちらを向いた。


 次の瞬間、巨体が地面を蹴る。


「来る!」


 ユイの声と同時に、《守護の加護》の膜が強くなったのが分かった。


 ロックシェルの爪が、俺の目の前の空気を裂く。


 剣で受ける。

 甲殻に当たった瞬間、腕に石を叩いたような衝撃が走った。


「っ……!」


 膝が沈む。

 腕の骨が悲鳴を上げる。


(硬っ……こいつ、本当に生き物かよ)


「秋人くん!」


「まだいける!」


 どうにか体勢を保ちながら、横に跳ぶ。


 ロックシェルの爪が地面にめりこみ、土と石を吹き飛ばす。


「クレハちゃん!」


「……今!」


 クレハの声。


 いつの間にか背後に回り込んでいたクレハが、甲殻の隙間──首元の柔らかそうな部分を狙って短剣を突き立てる。


 しかし──


「固い……!」


 甲殻の縁をかすめただけで、刃が弾かれる。


 ロックシェルが、怒ったように身体を捻った。


 その大きな尾が、横から振りぬかれる。


「クレハ!」


 俺は反射的に、足を踏み込んだ。


 全力だ。


 道場で何度もやった“間合いを詰める一歩”。


 肩で尾を受け止める形になった。


 鈍い衝撃が背骨を通って全身に駆け抜ける。


「っぐ……!」


 肺から、勝手に空気が吐き出された。


 視界がぐらりと揺れる。


「秋人くん!」


 ユイの声が、遠くで聞こえる。


 でも、倒れてる暇はない。


 ここで倒れたら、クレハが直撃を食らう。


(立て……!)


 足が、がくがく震える。


 それでも、どうにか一歩前に出た。


 その瞬間──


 胸の奥で、何かが弾けた。


 火。

 風。

 水。


 昨日エルナに言われた三つの“蛇口”が、同時にひねられそうになる。


(今、ここで──)


 甲殻の隙間を、風でこじ開ける。

 そこに火を流し込む。

 内部で水蒸気を発生させて、内側から破壊する──


 そんな“ありえないイメージ”が、一瞬で頭の中に組みあがった。


 身体の中を、膨大な魔力が駆け巡る。


 このまま出せば──


 ロックシェルを倒せるかもしれない。


 でも──


「秋人くん、ダメ!!」


 ユイの叫び声が飛んできた。


 次の瞬間、背中に柔らかいものがぶつかる。


 抱きしめられた。


 ユイが、後ろから俺を思い切り抱きしめていた。


「それ以上、出したら──死ぬ!」


 耳元で、震える声がする。


 《絆感知》が、全力で警鐘を鳴らしているのが、伝わってきた。


「……っ」


 蛇口を、慌てて閉じる。


 火も風も水も、全部途中でぶった切るように。


 胸の奥で、さっきまで暴れていた魔力が、逆流して喉の辺りに引っかかった。


「げほっ……!」


 咳き込みながら、膝をつく。


 ユイが、背中を支えてくれた。


「クレハ!」


「いる!」


 クレハの声。


 視界の端で、ロックシェルの巨体が動くのが見える。


 尾が再び振るわれる。


 今度は、《鉄鋼の槍》のリーダーたちの方へ。


「下がれ!!」


 リーダーが怒鳴る。


 負傷した仲間を担ぎ、毒霧を避けながら、森の奥ではなく街道側へと走り始めた。


「撤退だ! これ以上は無理だ!」


「でも──!」


「いいから走れ、ガキども!」


 リーダーの怒鳴り声が、森に響く。


「クレハ!」


「分かってる!」


 クレハが俺たちの近くに飛び込んできた。


 その手が、俺とユイの腕を掴む。


「影、使う」


 次の瞬間、足元の影が広がった。


 木々の影、折れた幹の影、石の影が、一瞬だけ繋がったように見えた。


 身体が、ふっと軽くなる。


 重力の感覚が薄れた。


 気づけば、さっきまでいた場所から十数メートル離れた木陰に立っていた。


「今の、全部……?」


「一気に使った」


 クレハの額にも汗が滲んでいる。


「もう一回やると、吐く」


「じゃあ、ここからは走ろう!」


 ユイが俺の腕を引っ張る。


 俺たちは、《鉄鋼の槍》の後を追って、森の出口へと走り出した。


 背後で、ロックシェルの咆哮が聞こえた。


 でも、追ってきてはいない。


 どうやら、縄張りから出るつもりはないらしい。


◇ ◇ ◇


 森を抜けて、街道まで戻った頃には、全員息が上がっていた。


「ぜぇ、はぁ……」


 地面に手をついて、どうにか呼吸を整える。


 《鉄鋼の槍》の面々も、少し離れた場所で腰を下ろしていた。


 盾を持っていた男の腕は、青あざだらけだ。

 後衛の魔法使いも、足を引きずっている。


「……生きて帰っただけマシだな」


 リーダーが、苦い顔で言った。


「悪かったな、ガキども」


「え?」


「本来なら、もっと余裕を見て撤退するつもりだった。

 でも、あいつの甲殻が想像以上でな」


 リーダーは、折れかけた槍の柄を見下ろす。


「ウチでも“本気でやってギリ”ってレベルだ。

 お前らまで撒き込んじまった」


「でも、助かりました」


 ユイが、まだ少し息を切らしながら言う。


「撤退の判断、早かったと思います」


「勝てねぇ相手からは引く。

 それが出来ねぇ奴は、すぐ死ぬ」


 リーダーは、ギルドの方角を顎で指した。


「……討伐の依頼は続けて出しとく。

 今回は“遭遇して撤退”で、報告だけしておけ」


 そう言って、彼らは先に街へ戻っていった。


 俺たち三人だけが、街道の真ん中に取り残される。


◇ ◇ ◇


「……負けたな」


 ぽつりと、俺は言った。


 依頼票の字面を思い出す。


 “討伐または追い払い”。


 俺たちがやったことは──ただ遭遇して、逃げただけだ。


「撤退は、間違いじゃなかったよ」


 ユイが、俺の横に座る。


「ここで突っ込んでたら、本当に誰か死んでたと思う」


「……分かってるけどさ」


 拳を握る。


 火と風と水が、さっき暴れかけた胸の奥で、まだざわついていた。


「途中で、ちょっと変な魔法起こそうとしただろ」


「う……見えてた?」


「見えてた。

 あれ、このままいくと“全部まとめて吹っ飛ぶやつ”だって、体が勝手に分かった」


 ユイが、静かに言う。


「だから、止めた。

 秋人くんと一緒に死ぬのは、もうちょっと先でいいかなって思った」


「一緒に死ぬ前提で話すな」


「冗談だよ」


 そう言うけど、声は少し震えていた。


「私も、怖かった。

 クレハちゃんも怖かったよね?」


「うん」


 クレハは、素直に頷く。


「でも、“捨てる”より怖くなかった」


「捨てる?」


「昨日、決めた」


 クレハは自分の足元を見つめた。


「どっちかだけ選んで逃げるの、もうしないって。

 だから、“二人とも連れて逃げる”方を選んだ」


 それが、《影走り》でのまとめて退避、か。


「結果だけ見れば、逃げただけ」


 クレハは、はっきりと言った。


「でも、逃げた先で──また戦えるなら、それでいい」


 胸の奥に、少しだけ火が戻ってきた気がした。


 負けっぱなしでは終われない。


 それでも、今の俺たちでは倒せなかった。


 その両方を、ちゃんと認めないといけない。


「……戻ろう」


 ユイが立ち上がる。


「今日のこと、ちゃんと報告しないと」


「ボルグとエルナに、怒られる」


「怒られるだろうなぁ」


 苦笑しながら、俺も立ち上がった。


「でも、“生きて戻って怒られる”のは、まだマシだ」


「うん」


 三人で、ラグナスの街へと歩き出す。


 森の方角を、もう一度だけ振り返った。


 ロックシェル・リザードは、まだあの奥で息を潜めている。


(次は──)


 今のままじゃ、勝てない。


 でも、いつか必ず。


 胸の奥で、静かにそう決めた。


 その決意が、このあと俺たちを“修行へと追い込むことになる”とは──

 まだ知らないまま。


つづく。

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