第27話 小さな依頼で、順調な一歩
朝のギルドは、いつもよりちょっとだけ慌ただしかった。
受付前には、これから依頼に出る冒険者たちの列。
カウンターの向こうでは、ミリアさんがいつもの調子でてきぱきと書類をさばいている。
「──はい、次の方どうぞ!」
俺たち三人の番になった。
「おはようございます、ミリアさん」
「おはよう、アキトくんたち」
ミリアさんは、にこっと笑ってから、少しだけ真面目な顔になる。
「教会でのお勉強、順調って聞いたよ。エルナさんが『いい子たちです』って褒めてた」
「褒められた……?」
「“いい子”って年でもない気がするけどね……」
隣でユイが苦笑いし、クレハは「いい子」って言葉をなぜか気に入ったのかこくこく頷いていた。
「今日は、どんな依頼を受けたいの?」
ミリアさんが尋ねる。
「えっと……」
俺は顔を見合わせてから言った。
「出来れば、“外の感覚”をつかめる依頼がいいです。
この前の討伐から少し時間が空いたので」
「でも、いきなり大きいのはまだやめときたい」
ユイが続ける。
「一回、今の私たちの連携を試せるくらいの……軽めから中くらいの依頼で」
「うん。アキトとユイと一緒にいる練習したい」
クレハの言い方は相変わらずズレてるけど、言ってることはだいたい合ってる。
「ふむふむ」
ミリアさんは、手元の板に視線を落とす。
「じゃあ……これなんてどうかな」
差し出された依頼票を覗き込む。
⸻
【依頼名】倉庫地区周辺の巡回護衛
【内容】
・街の倉庫地区周辺で、不良冒険者によるちょっかい・軽犯罪が増加中。
・日暮れ前後に倉庫周辺を巡回し、不審者の排除・牽制を行って欲しい。
【推奨人数】3〜5名
【推奨ランク】F〜E
⸻
「前も少し話したよね。
最近、ギルドを通さないで勝手に縄張り意識見せてる連中がいるって」
「あー、あの“柄の悪い先輩たち”みたいな人たちですか」
「そうそう。その言い方はやめてあげて」
ミリアさんは苦笑した。
「でもまあ、だいたい合ってる。
命のやりとりになるような依頼じゃないけど、“人相手”の練習になるよ」
「人相手……」
思わず、三人で顔を見合わせる。
魔物とは違う、別の意味の緊張感が喉にひっかかった。
「怖い顔して武器ぶら下げてる人とか、酒臭い人とか、いろいろいるけど」
ミリアさんは肩をすくめる。
「基本的には、みんな“飯を食うため”にやってるだけ。
だから、こっちも“仕事として”淡々と対応する練習だと思って」
「なるほど……」
「危なくなったら、すぐ引いていいからね。
そのためにも、まずは“見張る目”と“退く判断”を鍛えるの」
“退く判断”。
その言葉に、胸の奥がちょっとだけチクリとした。
──いずれ、俺たちはそれをもっと重い形で学ぶことになる。
このときの俺たちは、まだ知らない。
「いいと思います」
ユイが、依頼票を受け取りながら言った。
「今の私たちには、ちょうど良さそうな気がします」
「じゃあ受ける?」
「受ける」
クレハが迷いなくうなずく。
俺も頷いて、ギルドカードを差し出した。
「お願いします」
「はーい、受注完了っと」
ミリアさんが手際よく判を押す。
「日暮れ前後の時間帯でお願いね。
それまでに軽く準備と下見をしておくと、スムーズに動けるよ」
「下見……か」
「クレハちゃんがいるから、きっと捗るね」
「任せて」
クレハは、それだけ言って目を細めた。
倉庫地区の屋根の上を、影のように駆ける自分の姿が、すでに頭に浮かんでいるのかもしれない。
◇ ◇ ◇
倉庫地区は、ギルドからそれほど遠くない場所にあった。
石造りの大きな建物が並び、荷車と人が行き交う。
昼間は商人と労働者でごった返しているが、日が傾き始めると、だんだん人の気配が少なくなってくるらしい。
「昼間と夜で、全然雰囲気違いそうだね」
下見がてら歩きながら、ユイが周囲を見回す。
「今のうちに、“ここ危なそう”って場所覚えとこ」
「暗くなると、あの路地は見えなくなる」
クレハが指さす。
「行き止まりだけど、上からなら逃げられる。
逆に、袋小路に追い込まれると危ない」
「じゃあ、そこは“寄らないリスト”だな」
俺は頭の中に簡単な地図を描きながら、危なそうな場所に印をつけていく。
「高いところから見たら、もっと分かりやすい」
クレハが、屋根を見上げる。
「夕方になったら、一回だけ上から見る。
その間は、アキトとユイに地上お願い」
「上からクレハちゃん、地上は私と秋人くんか」
「三人で別れすぎないようにだけ、気をつけよ」
昼間のうちに、何度か倉庫地区の周りを歩き回った。
どの道が街の方に抜けられるか。
行き止まりの路地はどこか。
明かりの多い通りと、暗くなりそうな裏道の違い。
俺たちの頭の中に、少しずつ“この地区の地図”が出来上がっていく。
◇ ◇ ◇
日が傾き始めた頃、いったんギルドに戻った俺たちは、簡単に腹を満たしてから再び倉庫地区へ向かった。
夕焼けが、石壁を赤く染めている。
「……雰囲気、だいぶ違うね」
ユイが小さく呟いた。
昼間の活気はほとんどなく、人影はまばら。
荷物を運んでいた労働者たちは帰り支度を始め、代わりに酒場へ向かう連中がぽつぽつと歩いている。
「クレハ、上から頼めるか?」
「うん」
クレハは軽く頷くと、近くの建物の影にするりと消えた。
数呼吸もしないうちに、屋根の上を駆ける足音が聞こえる。
視界の端には、すでに黒い影がいくつか先の屋根に移動していた。
「相変わらず速いな……」
「敏捷32だからね」
「ステータスで言うのやめろや」
そんな話をしながら、俺とユイはゆっくり倉庫地区を歩き始めた。
巡回、と言っても、やることはそう難しくない。
倉庫の扉や鍵が壊されていないか確認する。
不審な人影がないか見る。
もし誰かが問題を起こしていそうなら、声をかける。
ただ、それだけ。
「──のはずなんだけど」
角を曲がったところで、少し荒んだ笑い声が聞こえた。
見れば、倉庫の壁に寄りかかるようにして、三人ほどの男がいた。
武器は腰に下げたまま。
明らかに酒が入っている。
「俺たちのテリトリーに、こんな時間にガキが二人、ってか?」
「最近増えたよなぁ、こういう“真面目ちゃん”」
「ギルドの巡回だろ? 真面目にやってると損するぜ?」
──分かりやすい。
さっきミリアさんが言っていた“柄の悪い先輩たち”、だいたいこのタイプだ。
「どうする?」
ユイが、小さな声で俺に聞く。
「どうするって……」
依頼内容は、「不審者がいたら牽制・排除」。
こいつらが“その対象”かどうかは、正直グレーなところだ。
ただの酔っぱらいかもしれないし、実害があるかもしれない。
「とりあえず、話してみる」
俺は一歩、前に出た。
「すみません。ギルドの依頼で、倉庫地区の巡回してまして」
「あぁん?」
真ん中の男が、片眉を上げる。
「ガキが何の用だよ。俺たちはただ休んでるだけだぜ? なぁ?」
「そうそう。倉庫、ちゃんと見張ってやってんの」
たぶん、勝手に“見張り料”でも取ってるタイプだ。
「そうですか。じゃあ──」
俺は、あえて穏やかな声で続けた。
「“ここを通る人たちから金を取ったりしない”って、ギルドに約束してもらっていいですか?」
「あ?」
男の目がすっと細くなる。
「なんだよ、“金取ってる”って決めつけか?」
「決めつけじゃなくて、確認です。
もしそういうことがあるなら、ギルドを通して話してもらえればいいんで」
「生意気な口きくじゃねぇか、坊主」
真ん中の男が、ぐい、と身を乗り出してきた。
酒臭い息がかかる。
「ガキのくせに、調子乗ってんじゃねぇぞ」
(……くっさ)
思わず眉をしかめそうになるのをこらえた。
その時、背中に柔らかいものがふわっと触れた。
──《守護の加護》。
ユイが、俺のすぐ後ろで、そっと手を握りしめているのが分かる。
(ありがと)
心の中でだけ礼を言う。
「調子に乗ってるつもりはないです」
俺は笑顔を崩さないようにして言った。
「ただ、仕事してるだけなんで」
「仕事ねぇ……」
男が、ニヤリと口の端を吊り上げる。
「だったらこっちも、“仕事”ってことで、ちょっと教育してやんねぇとなぁ?」
腰の武器に手を伸ばしかけた、その瞬間──
カンッ!
「うおっ!?」
男のすぐ横、石畳に、一本の小さなナイフが突き刺さった。
さっきまで誰もいなかったはずの屋根の上に、黒い影が一つ。
月明かりでもないのに、夕焼けの橙色の中でシルエットがはっきり見える。
「……いいところに刺したな」
俺は思わず、感心してしまった。
男の足のすぐ横。
一歩でも前に出ていたら、足の甲を貫いていた距離。
「上、見なよ」
ユイが、低い声で言う。
「その人、怒らせたら、次は足に刺さるよ」
「チッ……」
男が悔しそうに舌打ちし、屋根を睨む。
「忍者ごっこかよ、ったく……」
「ごっこじゃない」
上から、クレハの声がした。
「人を殴る前に、一つだけ聞く。
ここ、倉庫の持ち主?」
「はぁ?」
「持ち主じゃないなら、どいて。
持ち主でも、他の人からお金取ってたら、やっぱりどいて」
淡々と言っているのに、声の芯は鋭い。
俺はその間に、少しだけ足の位置を調整した。
もし殴りかかってきたら──腰を落として、肩を外に払い、転ばせる。
じいちゃんに何度も叩き込まれた動きだ。
「……チッ。めんどくせぇ」
真ん中の男が、肩をすくめた。
「行くぞ」
「いいのかよ?」
「こんなガキ相手に本気になって、ギルドに目つけられたらもっとめんどくせぇだろ」
そう言って、男たちは舌打ちしながら倉庫地区の外へと去っていった。
完全にいなくなったのを確認してから、屋根の上からクレハが降りてくる。
「……ナイスカバー」
俺は親指を立てた。
「足、狙ってた。
でも、“まだ”刺さないって決めた」
クレハは淡々と言う。
「怖がらせるだけにしないって、昨日決めたから」
ああ、と胸の奥で何かが繋がった。
“怖がらせるだけ”の仕事をやめる代わりに──
“必要最低限の一歩手前”で抑える技術。
「ありがとな、二人とも」
俺はユイとクレハの方を向いた。
「正直、ひとりだったら、あそこで一発くらい殴り合いになってたかも」
「そうなったら、それはそれで“教育”にはなったかもだけどね」
ユイが小さく笑う。
「でも、今日の仕事は“倉庫地区を荒らさせない”ことであって、“喧嘩すること”じゃない。
今の対応で、十分だと思うよ」
「どこまでが仕事で、どこからが余計な喧嘩か……だな」
「うん。
その線引き、私たち三人で少しずつ覚えていこ」
そう言って、ユイは俺とクレハを順番に見た。
その目は、昨日エルナと話していたときより、少しだけ大人びて見えた。
◇ ◇ ◇
それからしばらく、俺たちは倉庫地区を巡回し続けた。
結局、あの三人組以外には、特に大きな問題は起きなかった。
倉庫の鍵はすべて無事。
夜のうちに怪しい荷車が出入りする様子もない。
空の色が青から濃紺に変わる頃、依頼に記された時間が終わりを迎えた。
「……ふぅ」
ギルドに戻る道すがら、俺は大きく息を吐いた。
「今日は、ちゃんと“仕事した”って感じだな」
「うん。
魔物とはまた違う疲れ方するけど」
ユイが、肩を回しながら笑う。
「人相手だと、《守護の加護》の使い方を間違えないようにしないといけないね。
やりすぎると、“ケンカ売ってる”って取られそう」
「そのときは、私が上から止める」
クレハが、ストンと地面に降りながら言った。
「今日は、“まだ刺さない”って決めただけ。
次、本当に誰か殴ろうとしたら、今度は足に刺す」
「そこはちゃんとギルドのルールも確認しよ……?」
ユイが苦笑いしつつ、俺も軽く頭をかいた。
「でもまあ、今日は上出来だろ」
ギルドに戻ると、ボルグさんがカウンターの奥から出てきた。
「おう、お前ら。どうだった?」
「ひと組、ちょっと“柄の悪い先輩方”に絡まれましたけど」
「仕事の範囲内で、ちゃんと引いてもらいました」
ユイが、淡々と報告する。
「クレハちゃんの牽制も効いてたよ」
「上からナイフ刺しただけ」
「“だけ”って重いんだよなぁ……」
俺が苦笑すると、ボルグさんは「ほう」と鼻を鳴らした。
「喧嘩にならなかったなら上出来だ。
ああいうのは、殴り合うより、“ここには手ぇ出したくないな”って思わせた方が早ぇからな」
「思ってくれたらいいんですけど」
「思ってるさ。
上から足元にナイフ落としてくるようなパーティ、そうそういねぇからな」
ボルグさんは、クレハを見てニヤリと笑う。
「影の歩き方、ちょっと教わってみてぇって奴が、一人いる」
「……さっきの人?」
クレハが小さく首を傾げる。
「見てたの?」
「お前らが教会出たあと、ちょっと覗きに来てな」
ボルグさんは、カウンターの端を指でトントンと叩いた。
「獣人のドルガンっておっさんだ。
元A級斥候、元暗殺者──今は引退してるが、筋はまだ死んじゃいねぇ」
「ドルガン……」
昨日、エルナが言っていた“影を歩いてきた人”。
「すぐに弟子にしろとは言わねぇ。
ただ、“今の歩き方”でどこまで行けるか、一回話してみてぇってよ」
クレハの指先が、ほんの少し震えた。
「……会ってみたい」
さっきのエルナとの会話と、同じ言葉。
でも、その声には、昨日よりも確かな力がこもっていた。
「そう言うと思ったぜ」
ボルグさんは笑う。
「近いうちに、顔合わせの場を作ってやる。
その前に──」
俺たち三人を順番に見て、ニヤリと口の端を吊り上げる。
「外の仕事にも、そろそろ一歩踏み込んでみるか?」
「外……?」
「森だよ、森。
今までみてぇな“街のすぐそばのスライム狩り”じゃなくて、もうちょい奥だ」
胸が、少し躍った。
同時に、ほんの少し、冷たいものが背筋を走る。
それが、このあと俺たちが味わう“初めての挫折”の影だなんて──
このときの俺は、まだうまく言葉に出来なかった。
「やるよ」
それでも、口は自然と、前を向いていた。
「俺たち、もっと強くならなきゃいけないしな」
「うん」
「二人が倒れないように、ちゃんと走る」
三人分の決意が、静かに重なった。
その夜、俺たちは初めて“順調な一歩”を踏み出した。
そして──
その先に待つ、大きな壁のことは知らないまま、眠りについた。
つづく。




