第25話 蛇口は閉めろって話
翌日。
ラグナスの朝は、いつもよりちょっとだけ涼しかった。
教会の中庭には、小さな花壇と、腰の高さくらいの石の柱がいくつか立っている。
そのうちの一つに水晶玉が乗っていて、陽の光を受けてきらきらしていた。
「じゃあ今日は、秋人くんの番ですね」
エルナが、いつもの柔らかい笑みで言う。
「ユイちゃんと紅葉ちゃんは、昨日と同じく見学をお願いしますね」
「はい!」
「……見る」
ユイとクレハは、庭の端っこのベンチに並んで腰を下ろした。
なんか、観客席みたいでちょっと緊張する。
「そんなに構えなくて大丈夫ですよ」
エルナがくすっと笑う。
「魔法の練習といっても、今日は“きれいな水の出し方”を覚えるだけですから」
「もうちょっとカッコいい言い方になりません?」
「では、“蛇口の締め方講座”とでも」
「余計ダサくなりましたけど!?」
遠くのベンチから、「うん、蛇口講座」とユイの声が聞こえた。
クレハもこくこく頷いている。おい。
◇ ◇ ◇
「まず、秋人くんの魔力の状態を、もう一度見ておきましょう」
エルナは水晶玉のある柱の前に立つと、俺に向かって手招きした。
「昨日のように、手を置いてみてください」
「はいはい」
水晶玉にそっと手のひらを当てる。
じんわりと、手のひらが温かくなる。
自分の中にある何かが、少しずつ表に出ていくような、変な感覚。
しばらくして、エルナが「ありがとうございます」と手を離した。
「やっぱり、魔力量そのものはかなり多いですね」
「やっぱり、って……」
「なのに、使う時は“どばーっ”と出してしまうので、すぐに疲れてしまう」
エルナは、両手を広げて見せる。
「あの、どばーっととか蛇口とか、比喩のセンスが容赦ないんですけど」
「分かりやすさ優先です」
即答だった。
◇ ◇ ◇
「秋人くんは、《魔力適性:全属性》という特典を持っていますね」
「はい」
「これは、“あらゆる属性の魔法に向いている”という意味ですが……」
エルナは一歩だけ近づいて、じっと俺の目を見た。
「向いているからといって、全部を同時に、全力で使おうとすると、すぐに破綻します」
「……心当たりしかない」
前に練習のとき、試しかけた“よくわからない複合魔法”を思い出す。
あれ、冷静に考えるとけっこう危なかった。
「ですから今日は、“小さく、同じくらい”を目標にしましょう」
「同じくらい?」
「ええ。火も風も水も、“小さな一杯分”ずつ。
三つのコップに同じ量の水を注ぐようなつもりで、魔力を出す練習です」
「……例え話は全部水道系なんですね」
「今の秋人くんには、それが一番伝わりやすそうですので」
反論できなかった。
◇ ◇ ◇
「では、まずは火からいきましょう」
エルナは中庭の真ん中あたりを指さした。
「そこに、小さな火の玉を浮かべてみてください。
《火の初級魔法》──昨日と同じようにやると、多分大きすぎますから」
「ぐさっと来ることをサラッと言う」
「ろうそくの炎くらいのつもりで」
「……ろうそく、ね」
深呼吸をして、右手を前に出す。
じいちゃんの道場で教わった、構えの前の“息を整える”感じをイメージする。
(あったかいのを、手のひらの真ん中に集めて……)
意識を向けると、胸のあたりから、ぬるい水みたいなものが上がってくる感覚がある。
それを、腕を伝って手のひらへ。
いつもみたいに“全部出せー!”ってやるんじゃなくて──
蛇口を、ちょっとだけひねる感じで。
「──《火》」
ぽっと、小さな光が灯った。
手のひらの前に、親指の先くらいの炎の玉が浮かんでいる。
いつも出してる火球より、ずっと小さくて、静かだ。
「ふむ」
エルナが近づいて、炎を覗き込む。
「そのまま、そこからは増やさず、減らさず、十数えてみてください」
「十……?」
「ええ、“同じ大きさを保つ”のも、大事な練習ですから」
言われた通り、心の中でゆっくり数える。
(いーち、にーい、さーん……)
炎がじわっと大きくなりそうになるたびに、蛇口を少し閉めるイメージで魔力を絞る。
逆に小さくなりそうになったら、ちょっとだけひねる。
(……地味にムズいな、これ)
十を数え終わる頃には、額にうっすら汗が滲んでいた。
「はい、そこまで。よく出来ました」
エルナが手を伸ばし、指先で炎をはじくように払うと、火の玉はふっと消えた。
「どうでした?」
「思ったより……疲れました」
「それでいいんです」
エルナが微笑む。
「今までの秋人くんは、“一瞬だけ派手に出して終わり”だったでしょう?
それだと、魔力を“使いこなす”前に“使い切ってしまう”んです」
「ぐうの音も出ない」
ベンチの方を見ると、ユイとクレハが真面目な顔でこっちを見ていた。
たぶん笑ってはくれてるけど、内容はガチで心配されてるやつだ。
◇ ◇ ◇
「同じことを、風と水でもやってみましょう」
エルナの指示で、今度は風。
「風は、“ふわっと頬を撫でるくらい”の強さで。
小さな木の葉が一枚だけ揺れる程度をイメージしてみてください」
「木の葉一枚……」
手のひらを横に向けて、指先から横なぎに軽く振る。
「──《風》」
すうっと、優しい風が吹いた。
花壇の花びらが、ほんの少し揺れる。
「それを、さっきの火と同じくらいの力に保ってみてくださいね」
「う……」
また十秒カウント。
火のときよりも、感覚をつかむのが難しい。
(今、強すぎた? いや、弱すぎ? くそ……)
「秋人くん、肩に力が入りすぎです」
エルナの声が飛ぶ。
「風は、“押し出す”というより“撫でる”イメージですよ」
「……撫でる」
頭の中に、道場の猫を思い浮かべる。
あいつを撫でるくらいの力加減で──
風が、さっきより自然に流れた気がした。
「いいですね。そのくらいのイメージで」
◇ ◇ ◇
最後に、水。
「水は……どうイメージすれば?」
「手のひらに、小さな水玉をひとつ、乗せるつもりで。
飲み水を、ちょっとだけすくった、あの感じです」
「なるほど」
今度は左手を前に出す。
(冷たくて、透明で、丸くて──)
意識を集中させると、手のひらの前に、透明な水の玉がふわりと浮かんだ。
さっきの火と同じくらいのサイズ。
「おお……」
自分でちょっと感心する。
「そのまま十秒」
「また十秒か……」
水玉の表面が揺れるたびに、魔力の蛇口を微調整する。
さっきよりは、少しだけコツがつかめてきた気がした。
「はい、そこまで。とても良いですね」
エルナが満足そうに頷く。
「火・風・水、それぞれを“ろうそく一つ分”“木の葉一枚分”“水一口分”。
今の秋人くんなら、“同じくらいの量”で出せるはずです」
「……さっきのがそれ?」
「ええ。“蛇口は閉まってきた”と言ってもいいでしょう」
「言い方ぁ……」
でも、胸の奥では、ちょっとだけ嬉しかった。
今までの俺は、“強く出せるかどうか”しか考えてなかった。
でも、本当に大事なのは──たぶん、こうやって“調整できるかどうか”なんだろう。
◇ ◇ ◇
「では、もう一つだけ」
エルナが、少し真面目な顔をする。
「三つを、続けて使ってみましょう。
火 → 風 → 水の順番で、“さっきと同じ大きさ”を意識して」
「同時じゃなくて、続けて?」
「ええ。今はまだ“同時”ではなく、“切り替え”の訓練です。
全部を一度に出そうとすると、また蛇口が壊れますからね」
「壊れない程度に頑張ります」
右手を上げる。
「──《火》」
ぽっと、小さな炎が灯る。
それが消える前に、左手を横に払う。
「──《風》」
炎が、ふわっと揺れて形を崩す程度の風が吹く。
すぐに両手を前に出し、指先を合わせる。
「──《水》」
さっきと同じくらいの水玉が、炎と風があった場所にふわっと現れた。
……なんとか、暴発はしてない。
「……ふぅ」
思わず息を吐く。
「いいですね」
エルナの目が、少しだけ細められた。
「“火をつけて”“風で揺らして”“水で消す”。
今はそれだけですが──これが“複合の入り口”です」
「入り口……」
「ええ。いずれ、“切り替え”ではなく“重ねる”段階に進むでしょう。
その時に大事になるのは──」
エルナが、俺の胸元あたりを指先で軽く叩いた。
「ここです。“どのくらい出せばいいか”を、体で覚えていること。
頭だけで考えると、いつか本当に危ない目に遭いますからね」
皆んなが倒れてるイメージが、一瞬頭をよぎった。
まだ見ぬ“勝てない魔物”の影みたいなものが、想像の中でのたうっている。
ゾッとして、背筋が伸びた。
◇ ◇ ◇
「秋人くん」
「はい」
「あなたの魔力は、とても素直です」
不意に、真面目な声でそう言われた。
「多くて、扱いづらい面もありますが……
変に歪んでいないぶん、“正しい使い方”を覚えれば、ぐんと伸びるタイプです」
「……大器晩成、ってやつですか?」
「そうですね。
今はまだ、“器”の方が大きすぎて、中身を持て余している状態です」
「へぇ……」
なんだか、じいちゃんの道場でも似たようなことを言われた気がする。
“変に力が入ってる”“まだ肩に余計なもの乗っけてる”──とか。
「私が教えられるのは、基礎の基礎くらいです」
エルナが、少しだけ苦笑する。
「全属性の魔力を、本格的に、戦いに活かす方法。
それは、私よりもずっと──“魔法と剣の両方で頂点まで行った人”の方が得意でしょうね」
「……そういう人、いるんですか」
「ええ」
エルナは、少しだけ遠くを見るような目をした。
「まだこの街には来ていませんが……
世界には、“剣に魔法を乗せて戦うことを極めた人”が、ちゃんといますよ」
「“います”って、今進行形で言いました?」
「言いましたね」
エルナがくすっと笑う。
「いつか、紹介できるといいですね」
その声には、妙な確信があった。
(……いつか)
まだ見ぬ“誰か”の背中を、想像する。
火と風と水──もっと色々な魔法を、
一本の剣に乗せて振るう姿。
勝手に脳内で、“最強の魔法剣士”像が出来上がっていく。
──そのイメージに、ほんの少しだけ、自分の影を重ねてみた。
(……笑われるかな)
でも、胸の奥が、ちょっとだけ熱くなる。
それは、昨日ステータスカードを見たときの“現実を突きつけられた感覚”とは違って。
もっと、子どもの頃にゲームやってたときみたいな、ワクワクに近いものだった。
◇ ◇ ◇
「おつかれさま、秋人くん」
練習がひと段落して、ベンチに腰を下ろすと、ユイがタオルを差し出してきた。
「思ったより、真面目にやってたね」
「そこは素直に褒めてくれません?」
「褒めてるよ?」
くすっと笑いながら、ユイが隣に座る。
反対側には、いつの間にかクレハも腰かけていた。
「火、さっきより落ち着いてた」
「風も、水も、前みたいに“どかーん”ってなってなかった」
「感想がだいたいひどくない?」
でも、二人とも、目だけはちゃんと真剣だった。
「……ありがと」
ぼそっと、本音が漏れた。
「俺、ちゃんと、強くなるわ」
「知ってる」
ユイがあっさりと言う。
「秋人くんは、昔からそういう顔してたよ。
道場でボロボロにされても、“もう一回”って言う顔」
「……そうだっけか」
「そう」
クレハも、こくりとうなずいた。
「アキト、強くなる顔してる。
だから、私たちも、強くなる」
「……ああ」
三人並んで座って、空を見上げる。
中庭の上には、雲ひとつない青空が広がっていた。
そこに、まだ見ぬ“強さ”の形をなんとなく重ねてみながら──
俺たちはしばらく、何も言わずに風に吹かれていた。
つづく。




