第112話 目覚めた後に残るもの
意識が戻った瞬間、アキトが最初に思ったのは――
**「まだ、生きている」**という事実だった。
胸が上下する。
息が、苦しくない。
それだけで、喉の奥が少し熱くなる。
(……助かったんだ)
だが同時に、胸の奥に冷たい塊が残っていた。
あの廃城で感じた感覚。
自分の中から、何かが溢れ出したあの瞬間。
(……あれは)
考えようとすると、頭がずきりと痛んだ。
「無理に動かないで」
静かな声。
横を見ると、ユイが椅子に座っていた。
姿勢はいつも通りきちんとしているのに、
目の下には隠しきれない疲労がある。
「……ごめん」
反射的に出た言葉だった。
ユイは一瞬驚いた顔をしてから、
小さく息を吐く。
「本当に……そういうところ」
責めるでも、許すでもない。
感情を整理しきれない声。
「三日よ」
それだけ言って、言葉を切る。
三日。
意識が戻らなかった時間。
その間、ユイがどんな気持ちでここに座っていたのか――
考えなくても、分かってしまう。
「……クレハは?」
視線を動かすと、壁際にクレハがいた。
腕を組み、目を閉じたまま。
「起きてる」
即答。
「死にそうだった」
淡々とした言葉なのに、
胸の奥が、ぎゅっと締まる。
◇ ◇ ◇
「……クラリスは?」
その名前を口にするのは、
正直、怖かった。
もし――
もしも、間に合っていなかったら。
ユイは、少し間を置いてから言った。
「……目、覚ましたよ」
その瞬間、
アキトの全身から力が抜けた。
肩の力が抜ける。
呼吸が、深くなる。
自分がどれほど追い詰められていたか、
その時になって、ようやく分かった。
◇ ◇ ◇
別室で会ったクラリスは、
以前よりも明らかに儚げだった。
頬はこけ、
声もまだ弱い。
それでも、
目だけは、しっかりとした光を宿している。
「……ありがとうございます」
ゆっくりと、頭を下げる。
「皆さんが来てくださらなければ……」
「無理しなくていい」
アキトは、思わずそう言った。
だが、クラリスは首を振った。
「いいえ」
はっきりと。
「どうしても、伝えたかったんです」
そして、
視線が――アキトだけに向く。
「あなたが、一番前にいました」
心臓が、強く打った。
距離が近い。
声も、視線も。
以前の彼女は、もっと控えめだったはずだ。
(……近い)
ユイは、その違和感をはっきりと感じていた。
声の張り。
感情の出し方。
そして、アキトを見る目。
(……変わってる)
理由は分からない。
だが、胸の奥に、言葉にできないざわめきが生まれる。
◇ ◇ ◇
その日の午後、三人は領主邸へと招かれた。
応接室は静かで、
余計な装飾はない。
領主は、席につくなり立ち上がった。
「改めて礼を言う」
深く、頭を下げる。
「娘を救ってくれた」
その姿に、アキトは戸惑った。
(……領主が、ここまで)
「国としては、今回の件を公にはできない」
領主は率直だった。
「魔族の存在を認めれば、
混乱が起きる」
「だが、
なかったことにもできん」
机の上に、袋が置かれる。
「これは報奨だ」
「金だけではない」
ボルグが、低く言う。
「お前たちは、
“信用”された」
その言葉が、
アキトには何より重く感じられた。
(信用されるって……
守られる側じゃなくなる、ってことだ)
◇ ◇ ◇
「魔族については、調査を続ける」
領主は、クラリスに視線を向ける。
「今回の件で、
娘は大きなものを失った」
「だが……」
一瞬、言葉を選ぶ。
「同時に、
何かを得たようにも見える」
その言葉に、
ユイの胸がざわつく。
◇ ◇ ◇
帰り際、ボルグが三人を呼び止めた。
「正直に言う」
「今回の戦いで、
お前たちは“境界”を越えた」
「だから――
しばらく休め」
命令口調だった。
だが、その奥には、
確かな心配がある。
(休め、か……)
アキトは、素直に頷いた。
◇ ◇ ◇
その帰り道。
人混みの中で、
唐突に距離を詰められた。
「あら……」
甘く、気怠げな声。
「疲れた顔してるわね」
派手な女だった。
香水の匂いが、
一瞬、思考を鈍らせる。
気づけば、腕に絡まれていた。
「ちょ、ちょっと……!」
「ふふ。
そんなに警戒しなくてもいいのに♡」
耳元で囁かれる。
「あなた、
放っておけない顔してるわ」
ユイが、即座に一歩前に出る。
「……その人に、何か?」
「あら、彼女さん?」
余裕の笑み。
「大丈夫よ。
ちょっと触っただけ♡」
クレハは無言で割り込み、
女を睨む。
一瞬だけ、
女の目が細くなった。
「……ふふ」
「じゃあ、またね」
その去り際の笑みが、
妙に頭から離れなかった。
◇ ◇ ◇
夜。
リゼの言葉が、
静かに突き刺さる。
「あなたたち、
基礎が変わってる」
「レベルの話じゃない」
「上限が、一度壊れた」
強くなった。
だが、それは――
戻れない場所に来た、という意味でもある。
救えた命。
変わってしまった感情。
そして、自分たち自身。
ラグナスの夜は静かだった。
だからこそ、
胸の奥の不安だけが、
はっきりと浮かび上がっていた。
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