第11話 大盛り夕飯と、布団の中の不安
空がすっかり赤から紺色に変わる頃、俺たちは街の門をくぐってラグナスに戻った。
「おかえりー!」
青い灯火亭の扉を開けた瞬間、カウンターの奥からリナの声が飛んでくる。
「ちゃんと三人ともそろってるね、よしよし」
「点呼されてる……」
「生存確認、大事」
クレハが真顔で頷いた。
マリーも、奥から顔を出して俺たちを見る。
「怪我は?」
「軽い筋肉痛くらいです」
「それくらいなら合格だね。
さ、手洗って、席につきな。ちょうど夕飯できたところだよ」
言われるがままに席に座る。
しばらくすると──
「お待たせしましたー!」
リナが、湯気の立つ皿を次々と運んできた。
煮込んだ野菜たっぷりのスープ。
香草の乗った肉のグリル。
焼きたてのパン。
そして──
「大盛りバージョン!」
俺の皿だけ、明らかに肉の量がおかしい。
「いや、ちょっと待ってリナちゃん?」
「約束だからね! “無事に帰ってきたら大盛り”!」
「嬉しいけども!」
心の中の男子高校生(元)がガッツポーズした。
「秋人くんは、ちゃんと食べてもらわないと」
ユイが、ちょっと得意げに言う。
「ふらふらして倒れられたら困るし」
「アキト、残したら許さない」
クレハは、淡々とプレッシャーをかけてくる。
「胃袋への圧がすごいな今日……」
ぼやきながらも、肉にかぶりついた。
……うまい。
単純な塩と香草の味付けなのに、ちゃんと肉の旨みがあって、脂もしつこくない。
さっきまで体を動かしていたせいもあって、スープもパンも止まらない。
「うん、いい食べっぷり」
マリーが腕を組んで満足そうにうなずいている。
「その調子で鍛えて、ちゃんと稼いで、ちゃんと食べて。
死なない程度に無茶して、またここに戻ってくるんだよ」
「“死なない程度に”ってところ、どの世界でもお母さんは似たこと言うんだな……」
思わずこぼれた言葉に、マリーが一瞬だけ目を瞬かせた。
「……前の世界のお母さんにも、似たようなこと言われたのかい?」
「え」
言ってから、自分のミスに気づく。
「いや、その、あの──」
言い訳を探していたら、マリーがふっと笑った。
「言わなくていいよ。
あんたの顔見てれば、“もう帰れない場所”のことを、ちゃんと大事にしてるのは分かるから」
心臓が、一瞬だけ強く打った。
「この街にいる間くらい、こっちのお母さん役は引き受けてあげる。
その代わり、無茶しすぎたら、うちでもちゃんと怒るからね?」
「……はい」
なんか、泣きそうになるのをスープでごまかした。
◇ ◇ ◇
夕飯を平らげて、風呂も済ませて、部屋に戻る。
窓の外はすっかり暗くなっていて、街の灯りがぽつぽつと見える。
ベッドに腰を下ろすと、急激に眠気が押し寄せてきた。
(今日は……長かったな)
朝から森を歩いて、ウルフと戦って、街に入って、ギルド登録して、鍛冶屋に行って、
ニナと会って、教会に行って、訓練までして。
一日なのに、情報量が多すぎる。
ドサッ、とベッドに仰向けに倒れ込む。
「……秋人くん、入るよー?」
軽いノックとともに、ユイの声がした。
「どうぞ」
扉が開いて、ユイが顔を出す。
髪をほどいて、いつものポニテじゃない。
バスタオルでしっかり乾かしたのか、少しだけふわっとしている。
「どうした?」
「様子見に来た」
「え、保護者?」
「そういうことにしてもらっても」
笑いながら部屋に入ってくる。
「クレハは?」
「部屋でストレッチしてる。なんか、“寝る前の儀式”みたいに静かに体ほぐしてたよ」
「あー、想像できる」
部屋の隅に座って、ひたすら黙々と柔軟してるクレハの姿が目に浮かんだ。
ユイは、俺の向かい側のベッドに腰を下ろす。
「……どう? 異世界一日目の感想」
「ざっくりした質問きたな」
天井を見ながら、言葉を探す。
「楽しかった、が6割。怖かった、が3割。
よく分からない、が1割」
「割合出てくるの、らしいね」
ユイがくすっと笑う。
「楽しかった、にちゃんと“怖さ込み”って感じもするけど」
「まあな」
ウルフに囲まれたときとか、
魔法がちゃんと出なかったら死んでたかもしれないし。
「でも、“よく分からない”っていうのが残ってるのは、悪くないと思うよ」
「そうか?」
「うん。全部分かったつもりになるより、余白がある方が、危なさにも気づけるし」
ユイは、少しだけ真面目な声になる。
「秋人くん、きっとこれから何回も“無茶したい瞬間”出てくると思う」
「その言い方やめよ?」
「知ってるもん。秋人くん、昔からそうだし」
言い返せない。
「だから、お願いが一つ」
ユイが、まっすぐこちらを見る。
「無茶したくなったとき、“とりあえず一回、私かクレハの顔思い出して”」
「……なんで俺、毎回説教されてるんだろうな今日」
「説教じゃないよ。お願い」
少しだけ視線をそらして、言葉を続ける。
「私ね、秋人くんに“助けて”って言われたら、多分なんでもすると思う」
「おい」
「だから、“助けて”って言われる前に、死にそうにならないで」
笑いながら言うのに、目が全然笑ってない。
「……分かったよ」
本気でそう思ってるのが伝わってきて、ちゃんと頷くしかなかった。
「ありがとな」
「うん」
ほんの少しだけ、肩の力が抜けた気がした。
「じゃ、私そろそろ戻るね。
クレハが“ユイ、寝ないの?”って覗きに来るから」
「あー、想像できる」
「でしょ」
扉のところまで行きかけて、ユイが振り返る。
「秋人くん」
「ん?」
「こっちに来てくれて、ちょっと嬉しいって思ってる自分がいるからさ」
ぽつり、と落とされた言葉。
「だから、生きててね」
そう言って、照れくさそうに笑い、部屋を出ていった。
扉が静かに閉まる。
「……重いことさらっと言うよなぁ、あいつ」
でも、不思議と嫌な重さじゃなかった。
胸の中に、静かに残っていく感じ。
◇ ◇ ◇
しばらくして、今度は控えめなノック音。
「アキト」
小さな声で名前を呼ばれる。
「どうぞ」
扉を開けて顔を出したのは、やっぱりクレハだった。
「寝る前に、顔だけ見る」
「犬の見回りみたいな言い方やめて?」
「主の無事確認」
さらっと返された。
部屋に入ってきたクレハは、いつもより少しだけリラックスした格好をしていた。
道着っぽい服じゃなくて、簡素な寝間着。
髪も少しだけラフにまとめられている。
「訓練、よかった」
「そうか?」
「アキト、ちゃんと強くなろうとしてる」
クレハは、ベッドの端にちょこんと座る。
「魔法も剣も、全部中途半端にしそうで心配だった」
「信頼が足りないな?」
「今は、前より信じてる」
即答だった。ちょっと照れる。
「クレハこそ、疲れてないのか?」
「少し疲れた。でも、心地いい疲れ」
そう言って、小さく伸びをする。
「……アキト」
「ん?」
「里を出るとき、里長に言われた」
唐突に、クレハは視線を膝に落としてつぶやいた。
「“主家の後継ぎ候補を見定めろ。気に入らなかったら、その首を持って帰れ”って」
「お、おう」
物騒な単語が混じった。
「だから、最初は監視だった。敵か味方か、ちゃんと判断する任務」
「まあ、そういう感じだろうとは思ってた」
「でも……」
クレハは、ゆっくり顔を上げた。
「今は、“監視してる相手”じゃなくて、“一緒にいたい人”って思ってる」
心臓が、また強く打つ。
「主とか任務とか、それもあるけど。
たぶんそれだけじゃないから」
不器用な言葉が、不器用なまままっすぐ届いてくる。
「だから、死なないで」
クレハも、ユイと同じことを言った。
「アキトが死んだら、里に帰らない」
「帰らないって、お前」
「意味ないから」
さらっと断言されて、笑いながらも、どこかでズキッとした。
「……分かった。なるべく死なない」
「“なるべく”じゃなくて、“死なない”」
「努力目標として高すぎない?」
「高くていい」
クレハは、すっと立ち上がる。
「おやすみ、アキト」
「おやすみ」
部屋を出ていく小さな背中を見送りながら、
俺は布団に潜り込んだ。
◇ ◇ ◇
天井を見つめる。
目を閉じても、今日一日の映像が頭の中をぐるぐる回った。
森。
狼。
焚き火。
ラグナスの門と、グレンとリオ。
ギルドのざわめき、ミリアの笑顔、ボルグの片目。
タツミの鍛冶場と、炉の熱気。
青い灯火亭の灯り。
ニナの屋台と焼き菓子。
エルナの静かな視線。
カイルやセラ、ノア。
そして、ユイとクレハの言葉。
(……なんか、すごい勢いで“居場所”ができつつあるな)
元の世界で、俺はただの高校生だった。
剣術道場の孫で、親を失って、でもなんとか暮らしていて。
こっちでは、剣と魔法の適性をもらって、
気づけば「守りたい人」が一気に増えている。
「責任、重いなぁ……」
天井に向かって小さくつぶやく。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
怖さも、プレッシャーも、全部ひっくるめて。
(ちゃんと強くなって、ちゃんと生きて、ちゃんと“刀を持つ”ところまで行きたい)
それが今の、一番わかりやすい目標だ。
そこまで辿り着けるかどうかは分からない。
でも──
「……やれるとこまでは、やるしかないよな」
そう呟いて、目を閉じた。
剣と魔法と、少しお節介で少し重いけど、本気で心配してくれる仲間たち。
異世界生活一日目の夜は、
そんなもの全部を抱えたまま、静かに更けていった。
明日は、初めての正式な依頼を受ける日になる。
たぶん、今日よりももっと忙しくて、
今日よりも少しだけ、強くなる必要がある一日だ。
そんな予感だけを胸に抱いて、
俺はゆっくりと眠りに落ちていった。
つづく




