第107話 甘いお土産と、ラグナスの空気
焼き菓子の入った袋は、まだ半分以上残っていた。
「……まだある」
クレハが、率直に言う。
「当然です」
ユイは即答した。
「ギルド、宿屋、鍛冶屋。
お世話になっているところは、全部回ります」
「律儀だな……」
アキトは苦笑しながらも、否定はしなかった。
この街で生き延びてきたのは、こういう積み重ねだ。
◇ ◇ ◇
まずは冒険者ギルド。
扉を開けた瞬間、いつもの喧騒が耳に入る。
「あっ、フロンティア・ラインだ」
「帰ってきてたのか」
視線が集まるのを、三人はもう気にしなくなっていた。
「ミリアさん」
「おかえりなさーい!」
受付のミリアが、ぱっと顔を明るくする。
「これ、旅のお土産です」
ユイが差し出すと、ミリアは一瞬きょとんとしてから、
「えっ、いいんですか?」
「日頃のお礼です」
「……嬉しいです」
素直な笑顔だった。
だが、そのあと、声を落とす。
「最近、ギルド……少し空気が重いんです」
「依頼ですか?」
「はい。
魔物討伐じゃなくて、“調査”が増えてます」
アキトが自然に聞き返す。
「人絡み?」
「……はい」
ミリアは周囲を見てから、続けた。
「詳しいことは言えませんけど、
上から“注意して扱え”って指示が出てる案件が多くて」
それだけで、十分だった。
◇ ◇ ◇
次は、いつもの宿屋。
「おや、帰ってたのかい」
女将が、腰に手を当てて迎える。
「無事で何よりだよ」
「これ、ささやかですが」
アキトが焼き菓子を差し出すと、女将は目を細めた。
「気を遣うようになったねぇ」
受け取りながら、ぽつりと。
「最近な、
冒険者が急に泊まらなくなる日があるんだよ」
「急に?」
「理由は分からない。
ただ、夜になると騎士団が動いてる日が多くてね」
ユイが、静かに頷く。
「宿泊者に被害は?」
「今のところはないよ」
“今のところは”。
その言葉が、引っかかった。
◇ ◇ ◇
続いて、タツミの鍛冶工房。
中から聞こえる、一定のリズムの槌音。
声をかける前に、音が止まった。
「……来てる気がした」
タツミが、顔を出す。
「これ、旅のお土産です」
ユイが渡すと、タツミは一瞬だけ驚いた顔をしてから、
「……ほう」
短く頷いた。
「無事だったようだな」
「はい」
アキトが答える。
タツミは焼き菓子を作業台に置き、腕を組む。
「最近、
妙な注文が増えている」
「妙な?」
「魔獣用の拘束具。
用途を聞くと、口を濁す」
クレハが、少しだけ目を細めた。
「受けた?」
「断った」
即答だった。
「嫌な匂いがした」
それ以上は語らない。
だが、職人としての勘は確かだ。
◇ ◇ ◇
最後に、
顔馴染みの露店を回り終えた頃。
袋は、ほとんど空になっていた。
「……全部配った」
クレハが、どこか満足そうに言う。
「その分、
情報も集まりましたね」
ユイが静かにまとめる。
「騎士団の動き。
調査依頼。
貴族の接触。
鍛冶屋への怪しい注文」
アキトは、通りの先を見る。
いつもと変わらないラグナス。
だが――
確実に、歯車は動いている。
「逃げる準備は?」
クレハが聞く。
「頭の片隅に」
アキトは答えた。
「でも、
今はまだここにいる」
ユイが、静かに頷く。
「情報を集めるために」
三人は、何も言わずに歩き出す。
焼き菓子の甘さは、
街に溶けた。
残ったのは――
この街を覆い始めた、
見えない違和感だけだった。
⸻




