第102話 引き渡しと、消えない重さ
第102話 引き渡しと、消えない重さ
夜明け前。
森の空気は冷たく、
焚き火の残り香だけが、昨夜の出来事を繋ぎ止めていた。
魔獣使いは、黙って歩いている。
縛られた手首に力は入っていない。
抵抗する気力も、もう残っていないように見えた。
――“壊れすぎないように止めた”。
クレハの言葉が、頭の奥で何度も反芻される。
「……行こう」
アキトの声は低く、短い。
誰かを急かすためじゃない。
自分を動かすための言葉だった。
◇ ◇ ◇
宿場町のギルド支部は、朝から慌ただしかった。
血と泥の匂いを纏った一行が現れると、
受付の職員が一瞬だけ息を呑む。
「護衛依頼の件で報告に来ました」
ユイが、淡々と告げる。
「盗賊ギルド関係者数名、拘束。
魔獣使い一名、生存。
使用された魔獣は、ブラッドベア一体」
言葉は整っている。
声も震えていない。
それが逆に、周囲の空気を冷やした。
「……奥へ」
職員はそれだけ言って、
慌てて奥へ走る。
◇ ◇ ◇
簡易の取調室。
魔獣使いは椅子に座らされ、
改めて拘束される。
ここから先は、
ギルドの仕事だ。
そう分かっているのに――
胸の奥に、何かが引っかかる。
「状況説明を」
支部長代理らしい男が、
書類を前に問いかける。
ユイが、最初から最後までを説明する。
斥候の発見。
谷での待ち伏せ。
ブラッドベア。
魔獣使いの存在。
エルステッド家の紋章。
感情は挟まない。
事実だけ。
「……ふむ」
支部長代理が、眉を寄せる。
「C級の護衛で、
よくここまで対処したな」
称賛の言葉。
でも、温度は低い。
「ただし」
続く言葉が、
胸に刺さる。
「魔獣使いから情報を引き出した方法、
少し詳しく聞かせてもらえるか?」
室内の空気が、
一段階、重くなった。
◇ ◇ ◇
「……通常の尋問です」
ユイが答える。
嘘ではない。
だが、全ても言っていない。
「精神系魔法と、
回復魔法を併用した」
支部長代理のペンが、止まる。
「……なるほど」
その表情は、
咎めるでも、褒めるでもない。
「ギルドとしては禁止していない。
だが、好まれるやり方でもない」
「承知しています」
ユイは即答した。
「ですが、
緊急性がありました」
「そうだな。
結果として、被害は抑えられた」
書類に目を落としながら、
淡々と続ける。
「盗賊と魔獣の連携。
貴族の関与の可能性。
……厄介だ」
その言葉を聞いて、
アキトは拳を握った。
(“厄介”で終わるのか)
誰かが死にかけて、
誰かが壊れて、
それでも“厄介”。
◇ ◇ ◇
「魔獣使いは、
王都ギルドへ移送する」
支部長代理が決定を告げる。
「盗賊はここで処理。
魔獣の件は、上に報告が行く」
「……エルステッド家は?」
アキトが、思わず口を開いた。
一瞬、室内が静まる。
「名前は、
書類に載せる」
支部長代理は、目を上げない。
「だが、それ以上は――
証拠次第だ」
分かっている。
分かっていた。
でも、
納得できるかは別だ。
◇ ◇ ◇
手続きが終わり、
一行は支部を出た。
外の空気は、
妙に澄んでいる。
「……終わった、のか?」
アキトが呟く。
「形式上は」
ユイが答える。
「でも、
気持ちは終わってません」
「だろうな」
ニナが、少し距離を置いて歩きながら言う。
「正直に言うね」
振り返らずに、続ける。
「今回の件、
商人としては“最悪”に近い」
「……」
「でも、
護衛としては“最高”だった」
その言葉に、
救われた気がして――
同時に、救われたくない自分もいた。
◇ ◇ ◇
少し離れたところで、
クレハが立ち止まる。
「二人とも」
振り返る。
「後悔してる?」
唐突な問い。
アキトは、少し考えてから答えた。
「……後悔はしてない」
でも、と続ける。
「慣れたくない」
ユイも、静かに頷いた。
「同じです」
「なら、大丈夫」
クレハは、それだけ言った。
「慣れたら、
多分、戻れなくなる」
忍びの里の“当たり前”。
その一端が、
ほんの一言で滲んだ。
◇ ◇ ◇
その夜。
宿場町の宿で、
三人は同じ部屋に泊まった。
灯りを落とし、
誰もすぐには眠らない。
アキトは、天井を見つめる。
(俺たちは、
ちゃんと善良でいられるんだろうか)
答えは、まだ出ない。
ただひとつ分かっているのは――
何もしなければ、
もっと汚れていたということ。
だから今は、
この重さを抱えたまま進くしかない。
明日も、
旅は続く。
そしてきっと、
同じ選択を迫られる夜が、
また来る。
それでも歩くと決めたのは、
他でもない、
自分たち自身なのだから。
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