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パーティー会場に、聖女が現れた。

青空とみどりの芝生によく映える、真っ白なドレス姿。胸元には蜂蜜色の宝石が嵌め込まれたネックレス。堂々とした立ち振舞いは、主賓のように輝いている。


無事に巡礼が終わったのもあって、聖女の人気は最高潮。さっそく人に囲まれ、にこにことしながら、丁寧に言葉を交わしている。


それを遠巻きに眺めていたら、声をかけられた。ぱっと振り返る。

「エルダ様」

「終わりましたね。本当にお疲れ様」

「エルダ様も」

この三年間、エルダはずっと聖女と共にいて、彼女を助けていたのだ。

「ユーギリスもラディウスもウルシェもマリーも立派に巣だってしまって寂しかったものですから、数年振りに刺激的でした」

一般の市民であった彼女を貴賓として各国に送り出して問題の起きないよう、文化教育やしてはならない所作などをやんわりと教え込み、フォローして、聖女についた講師陣と連携しつつつぶさに見守ってきた彼は、まさしく人知れずの功労者。

頭が下がる。


「マキアブ国で王子とトラブルになったと聞いた時は、本当にぞっとしました」

「あっははは。ありました、ありました。いやー、聖女様がダリス王子を正面切って馬鹿呼ばわりしてからに、旅の前に遺書を書いておくべきだったと後悔しましたねぇ」

本人はからからと笑っているが、国際問題に発展しかねない無礼だ。肝が冷える。


「ウルシェに助けられました。合同研究の成果がそれなりに出ていたから、我が国との関係悪化を避けたいダリス王子が飲み込んでくれて、謝罪で済みました」

「ウルシェ……この三年間、研究棟にも使いに行ったのに、いつも奥の間に引きこもっていて顔を見られませんでした。元気ですかね?」

「元気も元気。イキイキしてます。あの子が人前に出てこないことこそ、健全に暮らしているサインです。期待の最新研究、聞きました? 驚きますよー。切った髪が元通りにくっつくんです。理論上は切り離された指もくっつけられるとか」

「そんなことが?」

「綺麗な切り口だとくっつきやすいそうなので、マリーも紙で指先を切ったら訪ねてみなさい。今、人体での本格的な臨床実験をしたくってウズウズしているみたいでしたので、歓迎されますよー」

「あれも痛いですからね。良いこと聞いたな」

「ユーギリスが巡礼中に怪我をした時も、その薬の試作を届けてくれたからこそ大事になりませんでした。ウルシェさまさまです」

「…………けが?」


思わず耳を疑う。ユーギリスが巡礼中に怪我をした。そんな話は、この三年で、一度も聞いたことがない。


エルダも私の反応に、一瞬だけ怪訝そうな顔をした。それでもすぐにいつもの、ふんわりした笑みを浮かべる。


「マリー。ユーギリスからの手紙は読みましたか?」


また手紙の話だ。

私は叱られた子供のように首を横にふる。


「見つからないのです。たくさん探したのに、全然……」


私の肩を、エルダが親しみを込めて抱き締めてくれる。


「今のユーギリスは元気そのものです。それを念頭に置いてください。……旅の途中、時間短縮のため行路を予定と変えたことがありました。そうしたら、思っていた以上に道の状態が悪くて、馬車が横転。私は先発隊として先に町に入っていたので難を逃れてしまったけれど、聖女様とユーギリス様が被害に」


「そんなこと、ひとことも……だれも、教えてくれなかった……。……違う、たぶん、私が聞き逃したんだ……」


時期を思えば、妙な派閥争いが起こり始めた頃で、私はいろいろな情報の見落としが伝達不備を起こしていた。

そのなかに、きっとあったのだ。

ユーギリスの怪我の件が。


ざっと血の気が引く。


「しっかりなさい、マリー。大丈夫、話はまだ終わってませんよ。ユーギリスが言ったのです。マリーには自分の言葉で伝えたいから、誰も言ってくれるなと。だから、手紙を書かせました。業務の伝達とは関係ない、ユーギリスからマリーへの私信として、連絡用の馬に託したのです」


エルダは、優しく空気を暖めるように言った。


「みんな、忙しくしていた。どこかで、うっかりが起きてしまったのだね。良くないうっかりです。許せません。……けれど、マリー。これは私の想像ですが、ユーギリス本人はホッとしてると思います。あなたが手紙を読まなかったことに」

「…………なんで?」

「手紙を出した後で、私に泣きついてきたから。怪我の後の熱に浮かされて、手紙に書くようなものでもないことまで書いてしまった、どうしよう、どうしようって」


あんなユーギリスは五年ぶりに見ました、とエルダはいたずらっぽく笑う。


「それを思うと、手紙はユーギリスがなんとかして取り戻しちゃった可能性もあるな。変なカッコつけですよ、まったく。……でも怪我の報告を大事な人にするのは、ちょっと恥ずかしくなることがあります。もちろんあなたのそのユーギリスを思う気持ちには、一切関係ないことです。あなたは、なにも悪くない。心配していい。怒っていい。その気持ちとユーギリスの意地っ張りのどちらが勝つかです。マリー」

エルダが私の肩を叩いた。

「私が叱りましょうか?」

「……私が、話を聞いてきます」

「うん、それがいいね。行っておいで」


背を押され、駆け出す。人を掻い潜り、ユーギリスがまだいるだろう王宮を目指す。


ユーギリス。ユーギリス。

あの横っ面を叩かなくてはいけない。

いつだったか、木から落ちて指の骨を折っても、泣きもしなかった幼いユーギリスにそうしたように。


けれど、私はたどり着く前に、捕まった。


「マリー。ごきげんよう。今日みたいな日にまで走り回っているのね」

「……聖女様」


立ちはだかるように体を滑り込ませてきた聖女に、私は噴き出す汗を拭って最低限の礼をした。


「お日柄もよく、祝い日和の今日に見えまして光栄です。長きのお勤めお疲れ様でございました。……では、私は急ぎますので、これで」

「まあまあ、確かにあなたと私は変に対立させられてたから、気まずく思うのも無理ないわ。だけど、それも今日までとしたっていいじゃない。水に流しましょうよ」

「賛同します。だから、もう……」

私から離れてくれ、と言いたかった。

それなのに聖女は、ぱっと頬を赤らめると、あろうことか私の腕をとって絡み付いてきた。


「あー、良かった! これでなんの憂いもなくなったわ! ご支援賜りました皆様にも、ご心配おかけいたしましたね。私とマリーは、良き友人ですわ!」


それに、周囲からの拍手が加わる。いつの間にか聖女のシンパに囲まれていた。

なんだこれ、と嫌悪感が沸き上がる。運悪く、私はなにかに巻き込まれてしまったらしい。


ありがとう、ありがとうと、皆に手を振る聖女を凝視する。目の前の人を助けると言いきった、あの時の崇高なる彼女を探した。

しかしユーギリスに会いにいきたい焦りで目が曇っているからか、どこにも見当たらない。

得たいの知れない女が、私の腕にへばりついている。


いけない。焦ってるな。

人が自分の思うようには動かないなんてことは、この三年間で骨身に染みた。


私は努めて落ち着いた声を出す。

「聖女様。私はユーギリス様にお会いしなくてはならなくて、急いでいるのです。お話は、後で」

「あら、ちょうどいいわね。私も御挨拶したくて探していたの。一緒に行きましょう」


強引に腕をひかれる。よろめくように歩き出す。


「あの、ユーギリスは」

まだ会場にはいない。行くなら王宮だ。

そう伝えたいのに、聖女様の声が上書きする。

「この三年間は多くの学びがあったわ。商人としても、聖女としても、私個人にとっても。マリーにもたくさん迷惑をかけてしまったかもしれないわね。ごめんなさい」


「……いえ、私の方こそ、反省すべきことが多い三年間でした。あなたを嫌な気持ちにもさせた。申し訳ございませんでした」


私たちは傍目から見て腕を組み歩いている。その様子を、ある人は微笑みながら眺め、ある人は目を見開いていた。

私は、柔らかな芝生を頼りなく踏みつける。


「最後に二人きりで話した後で、私はあなたとの共通点があるってことを教えられたの」

「共通点?」

「母親が幼い頃にいなくなったってこと」

「…………ああ」


雲ひとつない空から容赦なく日差しが降り注いでいる。ドリンク、足りるかな。

なんだか賑わいが遠いな。


「私の母は、父以外の男のところに行ったのだけどね。下手したら、死別よりも悲惨よね、これって。今もまだどこかで生きてるんだもの。憎らしいわ。大嫌いなの」

「そうですか」


足元の影が濃い。

私は死別だった。

ユーギリスが乳離れして、離乳食を問題なく食べられるようになった頃、母は城の敷地内にある時計台から飛び降りた。

私はユーギリスと枕を並べて昼寝をしていた。私たちを寝かしつけてから、母は飛んだ。


母を憎らしく思ったことは、一度もない。


「私の友人にもいるのよ。なんでも正面から受け止めて頑張っちゃう子。その子も親が欠けてたのよねぇ。だから、頑張らないとって気持ちが強いのよ。あなたもそういうことだと思うわ。気を付けてね。その子、過労で倒れちゃったのよ。それを思い出して、ずっとあなたが心配だったの」

「…………そうですか」


聖女様が引っ付いている側の体が蒸されて暑い。反対側は冷えているのに。


「聖女様。手分けをして探しませんか。会場は広い。すこし、人に聞いてきます」

「まだ日は高いし、大丈夫よ。時間は気にしてないわ。私たちの友好をユーギリスにも見てもらいましょうよ」

腕を強くひかれる。

「ねぇ、マリー。私、言ったじゃない? 女親から教わる身だしなみと男親から教わる身だしなみって違うって。それを考えたら、マリーにもひどいこと言っちゃった。マリーが髪のお手入れの方法を知らないのも無理ないなって。だったら、やっぱり私が教えるべきなのよ。同じ境遇の仲間だもの。マリーには目の前の人に手を差しのべるなんて言っておきながら、私、マリーを見捨ててた」

「………………」

「でも今日のマリーは可愛いね。ちょっと巻いてある髪も素敵。ちゃんとやれる子なんだって安心した」


私のドレスは、ユーギリスが気を遣って用意してくれたものだ。髪も、香水を貸してくれたりした彼女が自分の家の使用人を遣わせてくれた。


「マリー。私ね、聖女をやり遂げたから王から準男爵の称号を賜ったの。聞いた? 褒賞金もたくさんもらったし、これからどう過ごしていくか、友人になった貴族の方々にも聞きながら模索していくつもり」

「聖女様。私、やはり一人で探してきます。走り回っている方が、早いから」

「そんなに急ぐなんて、どんな用事? なにかあったの?」

「……旅の途中で、ユーギリスが怪我をしたと聞きました。その件で、すこし」

「ああ! あれね!」


聖女の声が華やかに跳ねた。

くすくすと笑っている。


なにを笑ってる?


「懐かしい! そんなこともあったわ。馬車の横転の時のでしょう? 急に衝撃が来て、なにがなんだかわからないうちに、ユーギリスが私を抱きしめて庇ってくださったの! すごくカッコ良かった!」


あまりに軽く言うので、私は息をついた。もしかして、怪我という言葉に惑わされ過ぎているのかと知れないと思ったからだ。

そう深刻ではない、擦り傷だったのかと、そう思って足を止めた。

聖女も同じく足を止める。瞳を輝かせる。


「ユーギリスって本当にカッコいい王子様よね。血だらけでも様になるのよ。私を安心させようと、笑ってた」

「……血だらけ……」

「ああ、まずはそこに驚くわよね。でも大丈夫。すぐ治ったから。……ユーギリスったら、お見舞いに行った時も優しかった。森を抜けようって提案したのは私だったからなおのこと、気まずくって気まずくって……だけど、気にしなくていいって。そんな人、なかなかいないわよね。すごいでしょう?」

「どうして。……どうして、森を抜けようとしたのですか」

「商人ってそうなのよ、移動時間は短くするものなの。みんなを説得して、いけると思ったんだけど、失敗しちゃった。いい学びになったわ」

「……聖女様」


吐き出す声は自分でも驚くくらい冷えている。


「私、あなたが嫌いです」


聖女の整った眉がぴくりと跳ねた。

「なに? 聞かれたから話してあげたんじゃない。そういう急に怒り出すの、感じ悪いわよ」

「ユーギリス様は、この国の王子です。大切な方です。その方が傷ついた話を、そんな風に語るあなたが、私は嫌い」


腕を振りほどく。聖女は呆気にとられたように瞬いて、顔をむくれさせた。


「もう終わったことを、泣きながら話せっていうの? そもそも、そういう時って神妙にしてる方が暗くなりすぎて良くないことってあるじゃない。……まあ、マリーは現場にいなかったんだから、そういう空気はわからないと思うけど……。せめて、なにがそんなに嫌なのか教えてくれないかしら。直せるように努力するわ」

「本人が笑って話すものすべてが、気安く取り扱っていい話題とは限らないのだと私は思います。人との関係性で大事にしたいことが、私とあなたではずいぶんと違う。だから距離を取りたいのです」

「もしかして、あなたまだパロメの件まで根に持ってるの? でもあれ、結局あなたが台無しにしたじゃない。二人の仲を引き裂いた」


今度は私の顔が固まった。


「パロメ様にルアドの件を問いただした件ですか。あれは職務の一貫です」

「そっちじゃなくて、ほら、あの件よ」


聖女が、心なしか、ふざけたように笑う。私から反応が得られたのが嬉しいのか、声をわざと上ずらせて、口を大きく開けた。

「パロメとマリンデアが……」

そこで思わず、私は右手を振り抜いた。

ぱあんっと高い音がする。

何人かが私たちを振り返る。


聖女は、私が打った左頬に手を添え、目を丸めて私を見た。


「なにするのよ!」

「あなたは、しつこい。私はあなたが嫌いだと言った。会話などしたくない。それがわかりませんでしたか?」

「はあ!? だったら、そう言いなさいよ! なんで私が打たれなきゃならないわけ? ふざけないでよ、私だって本当はあんたに話しかけたくなんかないのに、お父様の指示なんだからしょうがないでしょう! にこりともしないし、ろくな話題も振ってこない! そのくせ、自分の思いどおりに会話が進まないと嫌がる! 今も、仕方なく私と会話してあげてるって雰囲気を出すけれど、それ逆だから。相手に気を遣わせて、相手だけ働かせて、相手を疲れさせてるのよ、わかってる!?」


聖女の大声に、いよいよ周囲が動き出す。


「なんだ、なにごとだ」

「マリーが聖女の頬を打ったようで」

「マリーが!?」

「ユーギリス様は今どちらに?」

「火急の確認していただきたいことがあってまだ王宮に……今日はマリーを働かせられないからと、自ら動き回られていて」

「呼んでこい!」


私はその流れを確認する。

そして、走ってきてくれるエルダの姿を見つけた。これで安心できる。

私は手近なテーブルに目を走らせる。

ちょうど、クリームたっぷりの美味しそうなケーキがあった。


「ねぇ、喧嘩売ってきた癖にどこみてっ……きゃあ!」


ケーキをおもいっきり振りかぶって投げつける。聖女の額あたりに着弾した。髪がクリームにまみれ、上にのっていたベリーがぼとりと落ちた。

ごめんなさい、と心のなかで呟く。聖女にではない。ケーキを作ってくれた人たちにだ。


「マリー! やめなさい!」


エルダが聖女を背に庇う。

「エルダ! いいの、退いて! その女にはあたしがやり返さなきゃ気が済まない!」

「リザ様、落ち着いて。マリーは王宮に仕える人間です。王宮の規則で罰します」

「王宮に仕えるの人間なんていったって、貴族でもなんでもない、ただの孤児でしょ! 馬鹿な女がたまたまここで産み捨てていっただけじゃない。あたしなんかより、よっぽど身分が低い女よ。なんであたしの方が我慢しなくちゃならないの!?」

「あなたのほうが身分のある方だからです、リザ様。あなたのお怒りで、マリーはいかようにもなってしまいます。どうか、私に免じて、今この場だけでも、その怒りを慈悲に変えてください。皆が見ています」


最後の一言に、聖女はぱっと口を噤んだ。

エルダは次にマリーを見る。

切ない目だった。


「マリー。その場に跪いて、手を胸の前で組みなさい。目を伏せて、顔を下に。許可があるまで言葉を発してはなりません」


指示に従う。神に祈るように、マリーは跪いた。


「私は聖女様を安全な場所にお連れします。クリームも落とさなくては。どなたか、マリーを見張っておいていただけますか? すぐに人を寄越しましょう」

「では、その役目、私が」


歩み出てきてくれたのは、声からしてカボラだ。さくさくと足音が聞こえ、隣に誰かが立つ気配がした。


暗闇のなかで、エルダの声がする。


「マリー。なにか釈明があれば、一言だけ発することを許します。この場で言っておきたいことはありますか?」


聖女に謝罪せよと言っているのは暗に伝わってくる。

私は口を開いた。


「その女は嘘つき。誠心誠意つとめていた侍女が可哀想。どうかなにも信じないで」


「…………わかりました。リザ様、こちらへ」


しんと静まり返った会場。

場違いなほどにあたたかな日差しが、私の背に降り注いでいた。

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