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その後、少しだけ相づちを打って、聖女とは別れた。
世の女性たちはお喋りが好きだと、なんとなく固定概念を抱いていたけれど、自分がやってみると貴族たちの会議よりよほど疲れる。
よろよろと廊下を歩きつつ、仕事の組み立てを考え直す。ユーギリスが帰ってくる夕刻までに、進めておきたいことなんていくらでもあった。
そのなかでも急ぎになるのは。
「おい」
不躾に呼ばれ、振り返る。
「あなたはいつも良いタイミングで来てくれますね、ラディウス」
銀狼のような髪をぴしりと撫で付け、軍服に勲章までつけた完璧なスタイルで、ラディウスが立っている。
威圧感ましましだ。
「聖女と話つけに行ったって聞いたが、マジか?」
「すこしお話を。ただ仕事の話はなにもしていませんよ。お互いに頑張りましょうって励まし合ったくらいです」
ラディウスが深々と息を吐く。
「あの女とやりあうんなら、先に姉上に言えよ。てめぇじゃ火力が足りねぇ」
「だからなんでみんな私と聖女様を戦わせたがるのですか。良い方でしたよ。美人がにこにこしてくれていると、なんだか嬉しくなりますよね」
「……話した内容は一言一句違わずにユーギリスに伝えとけよ」
「乙女の会話を? 嫌ですよ」
パロメのことは、絶対に墓まで持っていく。
「それよりもラディウス。今日のご用は? 正装までして…………もしかしてユーギリスの式典の護衛だったとか!? 連絡ミスです、もう出立してますよ!?」
「ちげぇよ。ユーギリスに呼ばれたのはそうだが、別件だ。公務に出てんのも知ってる。戻るまでは、俺の自由にさせてもらう」
「ということは、それまでは暇なのですね? 良かった。頼みたいことがあるのです。……詳細はここでは話しづらいので執務室まで同行願えますか?」
「ああ」
恰幅の良い、いかにも軍人らしいラディウスが歩くと、温室育ちの貴族たちの目を奪う。彼に愛想は期待できないので、代わりに私がにこやかに対応する。
「ごきげんよう。後ろのラディウス様は置物です。噛みません。お気になさらず」
「は、はあ。えっと、カルボ様からの伝達事項をまとめたものです。マリーに渡すようにと言われてます。今朝の件のだと」
「ありがとうございます。預かります」
「それと、確認なのですが、先ほどの聖女様との会談で、マリーが聖女様の活動に深く感銘を受け、これからは聖女様と協調していくことを約束したって本当ですか?」
「……は? なんですかそれ。どちらかと言うと相容れそうにありませんでしたよ。こちらの言うことも聞いてほしいとお願いはしましたが」
「やはりそうでしたか。マリーがユーギリス殿下のいない場所で、そんなことを決めたりするわけないのにと思って……安心しました」
「……それ、結構でまわりました?」
「…………まあ、そこそこに。マリーの人となりを知るものは、慎重に受け止めるだけにして、信じていませんが」
反対に、聖女派閥にはいい燃料になっただろう。
私は頭を抱えた。後ろにいるラディウスからの視線が痛い。
「遅れをとったな」
「申し訳ございません……。すぐに火消しをしなくては、えーと、とりあえず、誤解だと言って回ります」
「そんなもんが効くかよ。……話を信じてる奴をリストにあげとけ。今は刺激するな」
「わかりました。すぐに」
報告してくれた貴族がテキパキと去っていく。
「ラディウス、このままではバレンダイン商会が噛んでいる事案の折衝に障害がおよぶ可能性があります。すぐに訂正か……」
私は深呼吸をした。
「私の出自を大々的に流して、ことの信憑性を薄めるのはどうでしょうか」
「ここにいるもんなら誰でも知ってる。今さらだ」
「ですが、出仕したての貴族は案外、知らなかったりしましたよ」
「いいから黙っとけ。すぐ向こうからボロをだす」
「…………ボロ?」
なんのことかと思ったけれど、それは早くにわかった。
渋々に戻ったユーギリスの執務室で資料を読み込んでいたら、扉がばたんっと開いて、やたらとニコニコした貴族が入ってきた。
私よりも一つ二つ上の世代、中肉中背の、物腰柔らかそうな雰囲気の男だった。
「やあ、マリー。君も聖女様の魅力に気づいたそうだね。全面的な協力。まことに結構じゃないか」
「…………そうでしょうか」
「国で出来ることは限られる。バレンダイン商会のように、志ある団体を利用するのも、また賢い手だよ」
「こちらから要請をかけることはあるでしょう。しかしそれは一商会だけにすることではありません。有力な商会はバレンダイン商会だけではないのです。それに、商会というものは必ず利益を追求します。金にならなくなったと彼らが判断した時、見放される部分が必ずある」
「そこを僕らが拾えばいい」
「そこまで来ると、大切なものを失った後になってしまう可能性が高いのです。遅すぎる。落ちきったものを救うのは、容易ではない……マリンデア様。あなたが一番よくお分かりのはず」
「…………なんのことかね」
「しらばっくれんなよ、面倒だ」
低い声に、マリンデアが背を凍らせる。
扉の裏に潜んでいたラディウスを見て、彼はあからさまに顔色を変えた。
「ラディウス様……どうして、ここに」
「そこの小間使いに呼ばれた。なあ、マリンデア。おまえ、前にルアドから駐屯地への食料輸送の件で使ってた業者、ご丁寧に申請時の名義を変えてやがるが、バレンダイン商会の関係だったな」
「………………だとしたら、なんです。専門の業者に依頼をかける。よくあることです」
「その時の資料をあたりなおしました。……水増しをされてましたね」
は、とマリンデアが息を飲む。
「当時は緊急性が高かったため、回ってきた稟議案が十分な検討なくそのまま承認されていました。大事な兵たちに空腹を強いるわけにはいきません。とにかく速度重視だった」
昨日、倉庫でユーギリスからの手紙を探している時に、ふと目についてしまったのだ。
ラディウスから手紙のことを聞いたのも、この件の確認と同時期だったなと、しみじみ紙面に目を落とし、会計収支の欄に違和感を覚えた。
他事業の予算案と比べて、動く金額が大きすぎる気がした。
他国からの輸入だからかと思ったが、納得するには至らず、急いで食料価格などに見識あるカボラに資料を回し、確認してもらった。
カボラの仕事は早かった。軍部にも問い合わせてくれ、結果、購入するとされる品目と、駐屯地に届いている品目に大きな解離があることがわかった。
消えた食料は、どこへ行ったのか。
疑いの目は、まず業者に向く。
「聖女様、今日はルアドの茶菓子を差し入れてくださいました。壊れやすいため、流通になかなか乗らない逸品だとか。そうしたものをあれだけ多く仕入れるのなら、よほど信頼できる商会だと相手に認めてもらっているのでしょう」
例えば、その前に大量の食材を買い付けておくだとか。いくつかの仕事をこなして、信用を高める。
「国の金で余分に仕入れた食料はそのままバレンダイン商会の売り上げに化ける。ルアド側とのパイプも作れる。良い商売だ。おまえは見返りになにをもらったんだ?」
マリンデアは深く項垂れている。
「マリンデア様。ルアドは、はっきりいって小国です。食料のやりくりにも気を遣います。そんななか、同盟国の連帯を重んじ、ルアドは自国の食料備蓄を割ってまで長期間に渡り兵糧を用意してくれました。もちろんルアドの有事の際には駐屯地から兵を出す協定があるのも事実ですが、これは利益の話ではない。信頼の話です」
「自力じゃ吐けねぇか? マリンデア」
ラディウスが一歩踏み出す。
それだけでマリンデアは肩を跳ねさせた。
「見返りなんて、もらっていません。ほんとうだ。ただ、仕入れた食材は、飢えに苦しむ民に分け与えるのだと聞いている。国ではなかなか予算がおりないから。……崇高な志に共鳴したまでだ」
「認めたな。なら、この後の自分がどうなるかの覚悟も出来たろ。来てもらおうか」
「ッ、マリー。聖女様の話を聞いた君ならわかるだろう。彼女は目の前にいる人の幸福のために動いてる。君は、彼女の力になりたいと思わなかったのか?」
「そうしたトキメキなら間に合っています」
私にはユーギリスがいる。
消沈した様子のマリンデアはラディウスにひかれて行った。
そしてマリンデアの横流しを暴いたことで、私が聖女に与した風だったのも、マリンデアを油断させるためだったのではないか、と、都合の良いような悪いような見立てがなされ、私は、はからずも危機を脱した。
カルボは喜んでいた。バレンダインの弱みを見つけたのだから、これを足掛かりに交渉を有利に進めると。
「麦を買い付けていたのも、備蓄を減らしたルアドに高値で売り付ける狙いもあったりするのかなって感じでつついてみようか。なにか聞き出せるかもしれない」
頼もしい限りだ。
私はユーギリスへの報告書を執務室でまとめてきた。ラディウスも部屋にとどまり、ユーギリスを待っているようだ。
ふいにノックをされて、入室を促しながら顔を上げる。
入ってきた人物を見て、胸が締め付けられる思いがした。
「来ると思いました。パロメ様」
しかし以外だったのは、その隣にエルダもいたことだ。
目の縁を赤くしたパロメの肩を、父母のようにそっと抱いてやっている。
「エルダ様も、ごきげんよう」
「ごきげんよう、マリー。あなたと話すのも、久しぶりだ。泣きたくなります」
鼻にかけた丸メガネの奥が優しく細る。
エルダはユーギリスの補佐として聖女一行に加わっていた。城に帰還している間も、聖女のそばに控えていたので、ちらりと顔を見ることはあっても、声を交わすのは懐かしい感じがする。
「この子がここに来たいと言ったのですが、ちょっと心配で、付いてきちゃいました。ですが、聖女様も心配なので、すぐ戻らなくちゃ。後をお願いしても?」
「はい。引き受けます」
「ありがとう。……パロメ。大丈夫。マリーはあなたを傷つけたりしませんからね。素直にお話をしたら良い」
エルダはパロメの背を軽く叩いた。
そして、私のところまで来て、私の背もぽんぽんと叩いてくれる。
「マリー。頼みますね」
「はい」
「ラディウス。あなたとも久しぶりだ。すぐそこまで付き合ってくれませんか? 時間はそう取らせませんから」
「……わかった。おい、俺がいない間は簡単に部屋のドアを開けるなよ。少なくとも、名前は確認しろ」
そう言い残してラディウスが部屋を出る。続けてエルダも、ふわふわと漂うように執務室を後にした。
二人きりの部屋で、パロメが鼻をすする。
どう切り出そうかと思ったけれど、パロメの方から口火を切った。
「リザ様が、おっしゃってました。マリーは知ってるって。私と……あの方のこと」
「…………ごめんなさい。勝手に聞いてしまって」
パロメが首を横にふる。ブラウンの髪がさらさらと揺れた。
「私の方こそ、ごめんなさい。あなたには、一番……知られたくなかった。でも、そう思った時に、わかったの。私がしてたのは、そういうことなんだって。……夢中になんてなるものじゃなかった」
「パロメ様。傷ついているのは私ではありません、紛れもなくあなたです」
「でも今から傷つけるわ。私、言ってしまった。マリーにだけは知られちゃだめだったのだと、リザ様に言ってしまった。あなたは」
言葉をつまらせるパロメの代わりに、私はすかさず口を挟んだ。
「確かに私は、不義の子です。あんまり楽しい話ではないから、積極的には話さないけれど、城の誰もが知っています。そのうえで、目を瞑ってもらっている」
そもそも侍女とは、たいていは貴族の若い娘が婚儀前に行う行儀見習いのようなもの。それを立派につとめあげた功績でもって、良縁を掴むのだ。
既婚の侍女もいないわけではないけれど。
少なくとも私の母は、一般的な侍女だった。中級の貴族の娘で、王妃に仕えた。
そして未婚のまま、私を授かった。
果たして合意だったのか、違ったのか。
母は取り返しが付かないほど腹が目立ってきてから、ようやく、私を身ごもったと周囲にこぼした。
相手を特定しようとしたことはないが、想像はつく。城にいる貴族で、母より位が高くて、たぶん妻のある人。
母の家が、母をどう扱ったかまではわからない。後に私を迎えに来てはくれなかったので、そういうことなのだろう。
母は、頼るものをなにもかも失った。
そんな時に、陛下と王妃が母を呼び出し、乳母になるきはあるかと問いかけられた。
奇しくも、王妃の腹部は母と同じように膨らんでいた。
それにしてもそんなこと言うか?って気もするが、赤子を生もうとしている年近い女を見捨てるような方たちではなかったのだ。
母は陛下と王妃に哀れまれ、これから生まれる王族の乳母になることになり、なんとか首の皮一枚つながった。
王妃と共に胎児を育み、先に私が生まれる。
すこししてから、ユーギリス。
私はユーギリスのおまけのような形で世話を受けた。




