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夜明け前に目を覚ます。
起き上がり、かたくなった体を解す。結局、着替えもせずに眠ってしまっていた。
ひとまず服を取り替えて、部屋を出る。
城にも、ぽつりぽつりと明かりが灯っていた。警備兵に頭を下げつつ、それらの明かりを回っていく。
夜通しの作業を進めていた一人に気付かれ、慌てて駆け寄られる。
「マリー。なにかあった?」
「いえ、特にはなにも。たまたま通りがかっただけです。遅くまで、お疲れ様です」
「交代制でやっているだけだよ。あなたのほうこそ、こんな夜更けまで……ちゃんと眠れてる? 最近、一段と痩せた」
「去年よりはだいぶ人間らしい生活が出来てます。こまめに湯浴みし、食事も摂れてる。……巡礼も、多少の遅れは出ているようですが、通常であればあと一年と半年で終わるはず。よろしくお願いします」
頭を下げて、また次に向かう。
そうやって、夜半の作業が不可欠なものを除き、明らかな進捗の遅れがある案件がいくつかあるのを確認していく。
その後は、ユーギリスの執務室で今、動きのある案件を総ざらいし、まとめなおした。優先度をふりなおす。
同時に、聖女一行の旅程も確認する。
すこしペースが落ちてはいるが、年のための余裕はあらかじめ組んである。予想の範囲内だ。
「あと、一年と半年」
そうすれば、また元通りになる。
ユーギリスが常に城に居て、私は彼からの言いつけに従う小間使いに戻る。
大丈夫。やりきってみせる。
そう自分に言い聞かせた。
私はよりいっそう世話しなく城の中を駆け回る。報告が入ってこないなら、私から聞きに行けばいいのだ。
「サバルド様。サリカの件、確認して参りました。今のところは大きな衝突はない模様です。これが報告書。目を通していただけますか」
「ああ、うん。わかった。確認しよう」
「デルカ様。除幕式の運営、ありがとうございました。つつがない進行、お見事です。それで、来月以降の式典についてもぜひデルカ様のご意見をおうかがいしたいのですが、お時間よろしいですか」
「ふん、いいだろう。前のようなことがあってはかなわんからな」
「ありがとうございます。では直近、陛下が参列なさるものから……」
「カボラ様」
「来たね、マリー。これ、分厚くて悪いが君に伝えておきたいことをまとめた報告書。ユルダもバレンダイン商会と領主との三者合意に向けて最終調整に入った。どうかね、それの確認しがてら、食事でも」
「申し訳ありません、書類整理が溜まっておりまして。報告書は今日中に読ませてもらいます。失礼します」
「……今日中といっても、もう日が落ちてしまうよ、マリー」
動き回れば人と会う。廊下の通りすがり、挨拶を交わすことも多くなる。
「ま、マリー様!」
呼び止められ振り向くと、いつだかの深夜に出会った、ウルシェ似の若手の貴族がぎこちなく立っていた。
「ごきげんよう。……本日は、暖かいですね」
彼の振り絞ったような声に、かたくなった気持ちがほろりと崩れる。
「ごきげんよう。ほんとうに、日差しが心地よいですね。アイスティーが欲しくなります」
「そ、そうですね。あ、アイスティーといえば、今年の茶葉は収穫量が少ないそうです」
「そうなのですか?」
「天候の具合なのだとか。ですが、そういう年があると翌年か再来年に出来るものはとてと美味しくなると聞きました」
「知らなかった。そういうものなのですね。教えてくださって、ありがとうございます」
彼は、ほっとしたように頬を赤らめた。
それから、彼の携わる作業の話を交わし、現場での気がかりなどの情報も集められた。
「お引き留めして失礼いたしました。ですが、とても有意義でした」
「ええ、僕……いえ、私も、今年から出仕してこうして誰かと雑談するのは初めてで」
そうだったのかと腑に落ちる。
ずっと気になっていたのだ。
「そうであれば、私からも一つ、お願いが。私を呼ぶのに、敬称は不要です。マリーとお呼びください」
「え、ですが、その、殿下の乳母姉弟様とお聞きしておりますし」
「構いません。私には、爵位の後ろ楯もありませんから。ただのマリーなのです」
きょとんとした彼に恭しく頭を下げ、別れを告げる。
そうして、仕事の運営も完璧とは言えないけれど致命的な問題も発生せず、なんとか日々をこなしていった。
それでも、ユーギリスの姿を見ると安堵する。
「ユーギリス殿下、お帰りなさい」
以前の反省を踏まえて、執務室で待っていた。
「今回は戻りが遅れてすまなかった。報告を頼めるかな」
「資料もまとめてあります」
彼がいてくれるだけで、話が進む。
合間に、紅茶を飲む時間までとれた。
「今年は茶葉が貴重になるそうですよ」
いつだか聞いた話をすると、ユーギリスも、興味深そうに頷く。
そして、頬をゆるめた。
「良かった。マリーの表情が明るくて」
「ご心配お掛けしました。……あの妙な派閥の話ですよね」
「カボラからの謝罪まで受けたよ」
ユーギリスが目を伏せる。睫の影が、頬に落ちた。
「そんなことになるとは想像していなかった。気苦労をかけるね」
「本当ですよ。なんでこうなるんだか……聖女様の耳にも入ってらっしゃるのでしょうか。お気を悪くされてませんか?」
「前向きにとらえていた、かな。これを機に君とじっくり話したがっていた」
「そうですか。明るい方で良かった。……ですが、話とはなにを……?」
同年代の娘といえば出仕した貴族の娘ばかり。身分に差があるので、友好よりも仕事の話しになる。楽しむための話題というものが、まるでわからなかった。
そういえば、と以前に身だしなみのことで助言をしてくれていたのを思い出す。
後でと言ったきり不精をしてしまったので、話をしたいと言われているのなら、こちらから改めて時間を乞うべきなのだろうが。
「私からお誘いしても良いものなのでしょうか」
「マリーなら構わないと思うけれど……そうだな。聖女に会う前には、リディに相談するといい」
リディはラディウスの姉君だ。社交界の華である。親切な方で、私にもチョコレートの差し入れをくださった。
彼女なら、年頃の女の子がするような話題をすべて網羅しているだろう。
「確かに心強いですね」
「君の味方は、つわものぞろいだ。存分に頼ってくれていいからね」
「味方って……派閥つくってる感じを煽らないでくださいよ。別に、聖女様と戦う訳じゃないんですから」
手をひらひらと振って笑い飛ばそうとするのに、ユーギリスの表情は晴れなかった。
唇を重たそうに動かして、眉を寄せる。
「マリー。私からの手紙は届いた?」
ラディウスにも聞かれたことだ。
あれから部屋をひっくり返したり、自分に届く書類を改めなおしたり、人に尋ねたり、色々したけれど、それらしいものはなにも見つからなかった。
「……いえ、なにも。ラディウスにも聞かれましたが、なにか送ってくださったのですよね? 申し訳ありません、忙しさにかまけてどこかにしまいこんだようで」
実はちょっと怖く思っていたことを小声でたずねる。
「大事な手紙を失くすなんてやらかしておきながら恐縮ですが、なにが書いてあったのですか。もしかして、重要性の高い指示とか書いてありました?」
「私信だよ。大したことは書いてない」
ユーギリスは苦笑するが、雰囲気からして落胆は伝わってくる。
手紙。どこに混ぜてしまったのだろう。
「あなたからもらうものを、大したことないとかあるとかで切り捨てられませんよ。私に送りたいと思ってくださったのでしょう? 必ずや見つけて読んでみせますから、落ち込まないで。処理済みの資料も当たってみます、どこかに挟んであるかも」
「いいんだ。また書き直すよ。今度はちゃんと届くようにするから、待っていて」
微笑むユーギリスはそれっきり手紙には触れなかった。紅茶を飲み干し、すぐに仕事人の顔つきになる。
「明日は公務で城を空ける。夕方までには帰るから、私の判断が必要なものはすべてマリーが把握しておいて。次の巡礼に出るまでに片付けておけるものは一掃しておこう」
「わかりました。確認してきます」
ユーギリスが帰ってきたとあって、城内は活気づいている。
これは仕事が進むぞと、嬉しくなって私も跳ねるように動き回った。
時間ができたら、過去の資料を貯蔵している倉庫を覗こう。手紙を探すのだ。
そう思って、たぶん私は間違えた。
ここですぐにリディに連絡を取っておけば、あるいは、多少マシな結末を迎えていたかもしれないのに。
仕事を終え、ユーギリスと別れ、倉庫で夜を明かした。
積み上げた資料のなかでうたた寝した私を起こしたのは、歓声。ユーギリスが近くにいるのかと思ったけれど、主君に向けるにしてはやけに黄色く色づいている。
なんだろうと、目をこすり、いくつかの資料を手に掴んだまま倉庫を出た。
歩く私を、駆け足の貴族が抜き去っていく。
すれ違いざまに、上ずった応答が聞こえた。
「聖女様がいらしたって?」
「そうなんだよ。執務棟までいらっしゃるのは初めてだ」
聖女。
昨日の今日で耳にしたそれに、背筋が伸びる。
とっさに思ったのは、ユーギリスに会いにきたのではないかということだったが、彼はもうすでに公務のために城の外に出立しているはず。
伝えなければと思った。ユーギリスの小間使い根性だ、彼宛の来客には私が対応しなくては。
そんな気持ちで、私は騒ぎの中心に足を向けた。
聖女の人気を目の当たりにするのは初めてのことだ。貴族が集まってきている。
その中心で、華やかなパープルのドレスに身を包んだ彼女が、にこにこと笑いながら手を振っていた。
「みなさま、ごきげんよう。いつも国のため王のため民のために尽くしてくださり、感謝申し上げますわ。本日はささやかながら、差し入れをもって参りましたの。我が商会でもなかなか手に入らない、ルアドのお茶菓子。宝石のように繊細な作りですので、運ぶのに苦労いたしますのよ。その分、味は逸品。どうぞお仕事の疲れを癒すティータイムのお供にしてくださいませ」
美しい口上、仕草で、周囲の人を撫でる彼女は貴族の最中にあっても女王のように堂々としている。
差し入れを持ってきてくれるなんて、いい人だ。士気が上がるし、適度な休憩を挟む理由にもなる。とりあえず拝んでおこう。ありがたや。
同時に、ユーギリスに用があったわけではなさそうだとわかったので、私はそろりそろりとその場を離れ、朝の業務を終わらせるべくユーギリスの執務室に戻ろうとした。
それを、見つかった。
「……マリーだ」
「おい、マリーが来てる」
ざわざわと人がうごめく。注目が私に集まる。
なんだろうと思っていたが、どうやら衆目は派閥争いする両者が繰り広げる闘争が目的らしいと気づく。
これはまずいと逃げようにも、ここであからさまに背を向けたら、それこそ無視をしたと言われるに違いない。
私は、意を決して聖女様ににじりよる。
「ご機嫌お麗しく、聖女様。ユーギリス殿下の小間使いのマリーです」
「…………あら、マリー。お久しぶり」
なんか妙な間があったな。全身をまんべんなく見られた気もする。
しかしそれを追及する間もなく、聖女はにこりと笑って優雅に口許に手を当てた。
「相変わらず、お忙しいのね。徹夜明けなのかしら」
「私事で調べものをしておりまして」
言いながら、自分が昨日のままの格好なのを思い出す。仕事終わりに倉庫に行って、そのまま夜を明かしたからだ。
せめて顔だけは洗ってくるんだったな、と思うも時すでに遅し。
頭の先から足の先まで綺麗に整えている聖女様と向かい合うには、不釣り合いの格好をさらしてしまっていた。
「このような格好で申し訳ありません」
「こちらこそ、ごめんなさい。私が騒がしくしてしまったから、慌てさせてしまったかしら」
「お恥ずかしながら、ただの不養生です」
深々と頭を下げる。
人前に出てよい格好でもなし、はやく立ち去ろう。
「不肖ながら感謝申し上げます。日夜働く諸兄へ労いかけてくださいます聖女様のご恩情、なによりの励みになりましょう。私も微力ではありますが、聖女様一行の無事の巡礼を支えられるよう尽くして参ります。此度は誠にありがとうございました」
無難に終わらせて、では失礼と身を引こうとした時、聖女が声をあげた。
「マリー。よかったら私とお話しない? あなたと話してみたかったの」
思わず、手にしていた資料を握りしめる。
今日の仕事と聖女を天秤にかけ、それは後者に傾いた。
「…………私でよければ。仕事の確認だけ終わらせてきますので、談話室でお待ちいただけますか? 申し訳ない、どなたか案内を。鷹の間にお願いします」
部屋の名前を告げ、後を任せる。
倉庫からの資料を手に私は走り出した。聖女を待たせるわけにはいかない。最短ルートで駆け抜ける。
「申し訳ございませんが、カボラ様がいらしたら、この資料を渡していただけますか。マリーからの依頼だとお伝えください」
「マリー、殿下の承認が必要な書類を執務室に運んであるよ」
「ありがとうございます。聖女様との話し合いが終わり次第すぐに確認します。他に急を要することは構わずに回してください」
「マリー。例の件はどうなってる」
「狩猟許可の件ですね。おおむねの方向性は期間を定めての許可になる見込みなのは変わりませんが、今日の午前までに現地調査が報告書をあげてくるのを待ってから期間の範囲を調整、最終の決定をくだす予定です。ユーギリス様にも伝達してます」
「マリー! 聖女様を待たせてるのに悪いが、ちょっと報告しておきたいことがある。歩きながらで良い」
「助かります。よろしくお願いします」
その合間に、さっと顔を洗い、髪に櫛を通し、服は着替える暇がないのでホコリだけ払う。
「マリー。良かったらこれ」
追いかけられ、差し出されたのは香水瓶。一瞬、失敗の記憶がよみがえる。
「ありがとうございます。……付け方こうであってます?」
手首におそるおそる香りをつける。
ふわりと柔らかな花の香りがした。
「素敵よ。前とは違って香りの穏やかなものにしておいたから、あまり続かないだろうけれど」
「十分です。その節は申し訳なかった」
「いいのよ。……聖女様との会談、頑張ってね」
背を押され、談話室に向かう。
呼吸を整えてから扉を開けた。




