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あれ、と思うような話が増えてきたのは、二年目から。
「マリー様。サリカ付近の商人およびギルドから嘆願が届いてます」
「嘆願? なにか問題が?」
サリカといえば聖女一行が早期に祈りを捧げた神殿がある土漠地帯だ。昔から災厄の影響が出やすいので優先して巡礼していた。
「いえ、バレンダイン商会がサリカに販路を広げたようです。それが元からいた商人たちをしのぐ勢いだそうで」
「バレンダイン……確か聖女様の」
ふと嫌な方に考えてしまって、声を潜める。
「もしかして、聖女様の名を使った商いでもしているのですか」
「いえ。現地での確認はまだですが、今のところ商売は真っ当にしているものかと思われます。ですが、あの地域の商人連合の前身は厳しい環境下で生まれた自治会です。仲間内でのんびりやっていた市場へ、王都にも拠点を構える気鋭の商会が参入してくれば混乱は必至。そこで、商会が聖女様のご実家なのを絡めて、こちらになんとかしてほしいと嘆願してきたようです」
「……私たち、巻き込まれてませんか?」
「地元経済の保護と活性も我らの職務といわれれば、まあ。……いかがいたしましょうか」
「いかがと言われても……バレンダイン商会がまともな商売をしている以上、下手に制限をかけるわけにも…………わかりました。とりあえず私が預かって、関係各所と相談してみます」
ただ、相談相手の貴族たちからも、現時点で介入すれば逆に泥沼になるとの意見が目立った。
まずは様子見に、サリカに身分を隠した調査員を派遣し、地元有力者たちの見解を探る気の長い方法をとることに決まった。
ユーギリスに報告するまでもないような気がして、彼の補佐として巡礼に参加しているエルダの方に手紙を認め、連絡便にまぜてもらう。
その返事がこないうちに、新しい報告が入った。
「マリー。ユルダにバレンダイン商会が!」
「麦の産地の、あのユルダですか。これから国で経済支援を行う予定の」
「それが、区画に対し多額の前金を払って麦が実る前から買い付けを行おうとしているようです。すでに作付面積の二割がバレンダイン商会のものとなる契約に領主が頷いたとか!」
「……ユルダは国の食料庫のひとつです。生産の二割を一商会が所有しては国策に関わります。領主に事情を確認。担当者のカボラ様にもすぐに伝えて、対処をお願いしてください」
また別の日にも。
「マリー様。聖女様がマキアブ国のダリス王子とトラブルに」
「え!?」
「ユーギリス殿下が場をおさめられましたが、以降のマキアブ国とのやり取りは慎重にせよとの伝達がありました。これからマキアブから届く封書は開けずにユーギリス殿下に回すようにと」
「わかりました。……ウルシェ様にもそのことを連絡してください。研究資材のことで彼もマキアブ国との交流を深めていたはず。なにも差し障りがないといいのですが……」
思わぬところで聖女の影がちらつく。
どれも大事ではないが、こちらの仕事にオモリをつけるような、対処に時間がかかる案件ばかりだ。
対応する貴族たちからの文句も出ていないのが幸いだった。
この一年で、彼女は王宮内でも人気を博していた。明るく人懐こいので、多くの貴族たちと交流を持ち、侍女や女官たちは常に美しく着飾り自信に満ち溢れる彼女に憧れを持つらしい。
彼女への好感に、バレンダイン商会への好感が付随する。貴族御用達の商会にも食い込みつつあり、存在感が日に日に強まる。
出る杭は打たれるのは世の常にあり、バレンダイン商会の躍進に反感を持つものも現れ始める。直接になにかされたわけではないけれど、やたらと耳にするようになったのが妙に癪にさわる、というやつだ。
そこまでならよくある話。
けれど、それがいつの間にか、バレンダイン商会に好感を持つ聖女派閥と、それが気にくわないマリー派閥に二分されていった。
「いや、なんで私!?」
王子の小間使いとしていいように使われて十五年。まさかそんなところで自分の名が使われるとは思わなかった。
私自身は聖女になにか思うこともなく、ただ仕事で気にしなくてはいけないことが増えたなぁくらいの気持ちだったのに。
「聖女と同時期に名前が売れたせいで、手頃に使われたのだろうなぁ」
そう冷静に分析したのはカボラだった。
ユーギリスの執務室の隅に机を構える私のもとまでユルダの件の報告に来てくれた彼は、前に見た時よりもやや萎んでいる。
「……確かに今までに話したことのないような方との会話も増えましたから、名前が売れたと言えなくもありませんが……」
「人気者をただ嫌うだけでは良心が痛むし、角が立つというもの。そうならないように自分は聖女ではなく別に好きなものがあるだけだと主張する。それは聖女に匹敵する実績ある名前でなくてはならない。君の活躍の成果とも言えるね、マリー」
「喜べませんよ」
「そうだろう。もともと、君にはなんの関係もない話だよ。だが周囲は過熱する」
カボラは、たくわえた髭を一なでして、肩を落とす。
「申し訳ない。私のせいだ」
「カボラ様?」
「ユルダの件で担当となったからか、私個人に向けてバレンダイン商会からの接触があってね。公の場以外での会談は断ったら、今度は友人の貴族から聖女様のサロンに誘われた」
「サロンなんてものまで出来たのですか」
「聖女様に憧れを持つ同好の集まりだ。近頃は勢い目覚ましくてね、どういう会話がなされているものか興味はあるが、この局面でそれに参加するのはさすがの私も気が引ける」
それはそうだ。貴族の社交は政局に関わる。非公式な場とはいえ、聖女の新派に囲まれて、麦の買い付けの件を担当するカボラになにかあっては私も困る。
「英断だったかと思います」
「ただねぇ。断るのに君の名を使ってしまったんだ。冗談で場を切り抜けるつもりで……私はマリー派だから遠慮するよってね」
「は?」
急にきもが冷えた。
カボラが一度だけにこりと笑い、唖然とした私にまた申し訳なさそうな顔をして、ポケットから綺麗な包み紙を取り出す。
「マリー。飴はいかが?」
「要りません。今、私があなたから欲しいのは釈明だけです」
「いや、実に申し訳ない。前はこういう冗談が通じる相手だったのだが、残念だ」
「いや……いやいやいや! なんということを言ってしまわれたのですか! そもそも、私と聖女様では格が違うでしょう、格が!」
「うーん。聖女様のほうが人心掌握の遣り手だった。事態の進行度合いを見誤ったなぁ」
カボラは自分で飴玉を口に放り込んだ。
包み紙を丁寧に畳み、またポケットにしまう。ふう、とつくため息から甘い匂いがした。
「派閥が露骨になったタイミングを見るに、火蓋を切ってしまったのは確実に私だ。鎮圧には全力を尽くそう」
「ほんっとうにお願いしますよ。私はそういうの、本当にわからないのですから」
貴族間のユーモアだとか、特有の湿度だとか空気だとか、私はこれまで社交というものには一切、関わってこなかった。
ユーギリスがエルダと頭を抱えているのは何度か見たが、私個人は権力をまるで持っていない。みなから一定の尊重は受けていたけれど、それはあくまでユーギリスの小間使いだからにすぎない。
だからこそ、これまで王宮にいながら、なんのしがらみもなく生きてこれたのだ。
「聖女様と並ばせるなんて……私なんて、そんな人間ではないのに」
「マリー」
丁寧に名前を呼ばれ、顔を上げる。
陽気なおじさん貴族であるカボラが、いつになく真剣な眼差しで私を見ていた。身が震えるような威厳を感じる。
「君はユーギリス殿下の大事な乳母姉弟だ。私たちはやんちゃに駆け回る殿下の成長を喜ぶと同時に、殿下の無茶に食らいついていく健気な君の成長も見守ってきた。誰も、君を嫌いになんかなれないよ」
私は十四年前からのマリー派だからね、とぱちりと片目をつむるお茶目な仕草に、毒気を抜かれる。
「ですが私の名を使ったことを許しはしませんよ。面倒な仕事をどんどんお任せしますからね」
「ああ、これはしまったな。どうぞお手柔らかに頼むよ、レディ」
後になって、私はいったいどこをどう間違えたのかを考える時、どうしてもこの会話を思い出す。
カボラが悪かったと言うつもりはない。昔からそういう冗談を口にする人で、それを周囲からも受け入れられている有能な人格者だった。
貴族のなかでも海千山千の彼が、冗談を言う相手を間違えるとも思えない。
カボラをサロンに誘った友人とは誰だったのかまではわからないが、要は、私よりも聖女に人的魅力があった。それに尽きるのだと思う。
なにかがあったわけではないはずなのに、じわじわと、仕事がやりにくくなっていく。
小さな伝達漏れが目立つようになった。
昨日はそこにあった資料がなくなっていて、尋ねたら、別の誰かに頼まれたから今朝方移動しておいたと教えられる。今までだったら、移動する時に周知されるか、気の効いた張り紙なんかがしてあったのに、それがない。
今日は曇ってるね、なんて何気ない一言でも、誰かに言われると意識するようになる。どこそこの工事は雨が降ったら延期にしなくてはならないから気を付けておこうとか、先に資材を保護する道具が今どこにあるかを念のため確認しておこうとか、細やかな仕事に繋がっていたのに、雑談が減った。
声は掛け合うのに、いつも決まった人ばかりになって、広がらないのだ。
漂う空気もどこか素っ気ない。
そうした、申し送りの形にするほどではないけれど、共通認識を持っておいたほうがいいようなことが、だんだんと派閥という見えない壁に阻まれる。
国政を担う彼ら彼女らは大人だ。あからさまに、いがみ合ったりはしない。
国のため、王のため、民のため、己の矜持のため。今日も一丸となって慌ただしく働いている。
そこで疲れた心を和ませるための話し相手を探す時、すこしでも気心の知れた仲を選ぶのはよくあることだ。
そうやって自然と群れが形成され、内側と外側を作る。
そうして有事のために結束していたはず一枚岩が、ひび割れていく。
「マリー。サリカの件、その後の進展はあったか? そろそろ祭りの時期だろう」
「それが、毎月もらっていた報告書がまだ届いていなくて……すぐに確認します」
「大丈夫か? 今さら君に講釈垂れたくはないが、祭りの準備で流通が活性するとなれば、にらみ合うだけだった商人たちに動きが出るかもしれないぞ」
「おっしゃる通りです。申し訳ありません、優先度をあげて対応します」
「頼むよ、マリー」
「マリー! マリーはいるか!」
「ここに! なにがありましたか」
「聞いてないのか? 聖女一行の旅程が大幅に遅れてる。ユーギリス殿下の一時帰還を待って執り行うはずだった除幕式をどうすべきかを君から殿下に確認してもらうはずだったろう。そろそろ決めてもらわなきゃ、こちらにも段取りがあるのでね。どうなってる」
「……私が聞いていたのは旅程が大幅に遅れが出る見込みだから、王妃が代わって参加なさるという話だったかと」
「なんだって!? それじゃあ、準備の仕方がまるで変わるじゃないか! なんで早く言ってくれなかったんだ!」
「私に報告に来た方が、そのままそちらにも向かわれるものと思い込んでおりました。私の勘違いです。大変に申し訳ありません」
「しっかりしてくれ! 君のところに情報が集まる。君がそれを各所に伝える。そうやってきたんだから、今回だけ違うなんてことがあるものか!」
「はい。申し訳ありません。今後は不備ないように努めます。恐れ入りますが、今回の除幕式を無事に行うため、どうかお力添えのほどをよろしくお願いいたします」
「おい」
「はい。申し訳ありません、なにかありましたか?」
駆け寄るとラディウスが排水溝のヌメリでも見るような目で私を見下ろした。
「なに先に謝ってんだよ。まだなにも言ってねぇだろうが」
「最近なにかと見落としが多くてご迷惑をおかけしているものですから、つい。ご用うかがいます」
「アルテとイダバ。補給ルートの復旧と補強が完了した。実際に現地に向かっての視察も済んでる。ルアドからの供給はもう止めて良いと軍部でも確認した。そっちの担当者に伝えたいが、なかなか捕まらねぇ。どこにいる」
「わかりました。私の方から報告を」
「いい。俺がやる。担当者の名前は?」
「マリンデア子爵です」
答えたのに、ラディウスはその場から動かない。腕を組んだまま、私を見つめている。
「まだなにか?」
「ユーギリスから手紙は来たか」
「手紙? 私宛の? なにも来てないと思いますが。いや、部屋に届いてるのかな」
「まだ執務室で寝泊まりしてんのか。たまには自分の部屋に帰れよ」
「わかってます。今夜には寄りますよ」
「読んだら返事くらい出してやれ」
頷くと、ラディウスはさっと姿勢を返してきびきびとした動きで去っていく。さすが軍人。体の使いこなしが、様になる。
「私も気合いをいれなおさなければ」
顔をあげて、大きく足を踏み出す。
廊下の端をせっせと移動していたら、向こうから歩いてきていた貴族と目があった。
それで素通りも気まずく思って、私は足を止める。
「ごきげんよう。今日はすこし肌寒いですね」
声をかけられると思っていなかったのか、年若い彼がすこしぎょっとした顔になる。
しまった。これは、ウルシェと似たタイプかもしれない。
私は誤魔化すのに、微笑みを浮かべながら、頭を下げる。
「風邪など召されませんように、今日も励んで参りましょうね。では、失礼いたします」
さかさかと足を早めて、彼の隣を通りすぎた。特に返事もされなかったし、妙に気恥ずかしい。
なんだか、空回りしている気がする。
その晩は部屋に戻りユーギリスからの手紙を探したが、それらしきものはない。
だが代わりに、ベッドのシーツがおそらく前に戻った時のままになっているのに気づいた。シワがついたままのそこに寝そべると、ホコリっぽいにおいがした。
替えのシーツを取りに行くのも面倒で、私はそのまま目を閉じた。




