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馬車はまだ動いていない。王都から出て、ひとまず東へ。街道を抜けて、どこまで足を伸ばすか。
悩みながらも歩き出した私の前に、人影が揺らぐ。
「おい」
まさかと思って後ずさる。
「ラディウス?」
彼はしっかりと旅支度を整えて待ち構えていた。
「馬の用意がある。乗れ」
「待ってください。なんであなたがここにいるのですか?」
「おまえなら、ああいう脅しをかけりゃすぐ動くに決まってんだろ。行くなら東だ。道が整ってる。女の足でも歩きやすい」
「そうではなくて」
「聞きたきゃ馬に乗れ」
眼光鋭く睨み付けられ、しぶしぶ馬の鞍に足をかける。ラディウスも私の後ろにまたがり、私を包むようにして馬の手綱をとった。
ゆっくりと歩き出す。
「ユーギリスからの頼みで動いてる。軍には暇願いを置いてきた」
「…………私について行けと? なんで」
「理由なんていくらでもあんだろ。要は監視だ、重罪人。こっちも聖女を黙らせたばっかなんだ。下手なことされたかねぇんだよ。それに、おまえのその首の傷がバレても困る。まだ一般に公表されてねぇ新薬だ。そもそもおまえは王宮のことを知りすぎてる。……まだいるか? なら、これでも読んでろ」
無造作に手紙を渡された。
手紙を握りしめる。
「……あなたはなんで了承してきたのですか」
「兵士なんて替えが効く。家も姉上たちがいりゃそれで済む。一番動かしやすい駒だった」
「そうではなくて、あなたの気持ちの話です」
後ろから、深いため息が聞こえる。
「てめぇが聖女と話した日。ユーギリスは公務でいなかった。……あの日、俺はおまえの護衛をするために呼ばれた」
「護衛? 大袈裟な」
「んなわけあるか。カルボがうまくおまえに悟らせなかっただけで、派閥の二分化は相当深まってた。ギリギリだったんだよ。おまえがマリンデアと侍女のパロメを落とすまでは、こっちが劣勢だった」
「そんな……」
「商会も身内から聖女が出てさぞや浮かれたんだろうな。こそこそと動きやがって。サリカなんて良い例だ。警戒だけさせて、今もなにも起きてねぇ。ルアドなんかで動くためのいい目眩ましだ。あの女も商会に良いように使われやがる」
ラディウスがたまりにたまった鬱憤をはらすように吐き散らす。
「要は、おまえはかなり明確に狙われてた」
そんなことになっていたとは、私は気づいていなかった。目の前にあることを回すのに必死で。
「……あの日に、おまえと聖女になんかあったんだろ。そこくらいしか思いつかねぇからな。俺はそれに間に合わなかった。……おまえの首も斬ってやれなかったしな。汚名を返上したい」
「そんな風に思っていたのですか」
「気にしなくて良いなんて軽く扱うなよ。俺の矜持の話だ」
月が明るく、静かな夜だ。
しばらく私は黙っていた。ラディウスも。
王都からずいぶん離れてから、私も手紙に目を落とす。
「井戸だ。休憩いれるぞ」
ラディウスが馬を止める。
馬に飲ませるための水を汲みに離れたのをみて、私はもそもそと手紙の封を切った。
月明かりに透かすようにして読む。
ユーギリスの文字。
ラディウスから説明を受けた通りのことの経緯と、謝罪。商会と聖女を、王宮が適切に取り扱えるようになるまではラディウスと共にいてほしいとの嘆願がしたためられている。
つらつらと文字を眺める。
君が逃げるというのなら、私はその逃げ道を守る。誰にも追わせない。けれど、覚えておいてほしい。マリーはなにも悪くない。そして、決してひとりじゃない。私の他にかえがたき家族だ。君が安心していられる場所をここに作ってみせる。私にとっても、君以上に大切な人間はいない。
どうか、生きて。また会おう。
「…………」
馬の世話を終わらせたラディウスが戻ってくる。背を丸めた私を後ろから支えて、また歩き始めた。
なにも言わないのがありがたい。これほどまでに頼りになる同行者もいないだろう。
私は、鼻をすすり、目をこする。
「私、なにしてるのでしょう。ユーギリスをひとりにして、あなたを巻き込んで……でも、聖女様といつ顔を会わせるかもわからない場所には戻りたくないのです。今、心底ほっとしてる」
「そうかよ」
背中のぬくもりが、はあ、と息をついた。
「おまえが城にいてやりたいことは、ユーギリスの小間使いだろ。なら別に、今もそれやってりゃいいじゃねぇか」
「…………どういうことですか?」
「この国を回って、見たこと聞いたこと必要そうなことをユーギリスに報告してやれよ。そうすりゃどこに行ったって、おまえはユーギリスの小間使いだ」
私は息を吸い込んだ。冷たくて心地の良い空気が肺を満たす。
「ウルシェに結婚しようと言われた時も思ったのですが、私って、人に相談して意見を取り入れるってことをおろそかにし過ぎてますね」
「は? 結婚?」
「新たな視点です。そうか、私まだ、ユーギリスの小間使いでいられる方法があるんだ」
彼の助けになれる。彼との繋がりを保っていられる。
それは、なによりも嬉しかった。
「……私、今は逃げてしまうけれど、また強くなって、あの女がなんだって思えるまでに強くなって、帰りたい。ラディウス。付き合ってくださいますか」
「なんのためにここにいると思ってる」
「ありがとう。そうと決まれば、行くところは一つです。ヘミカ平原。一昨年からの大規模治水工事を行った箇所の下流にあたります。本当は上流の工事の影響をそこまで下って確認しておきたいのに、人員不足でままならないと聞きました。私が確認します」
「そうかよ。…………それで、ウルシェと結婚ってのはなんの話だ?」
「ああ、やっぱり驚きますよね。あのウルシェの口から聞くと驚きが倍増しますよ」
「勘弁しろよ。断ってんだろうな」
「さすがに断りましたよ。三食おやつ昼寝つき。たいへん魅力的でしたが」
「…………はあ」
「ラディウス。あなたのその重たいため息、すべて私の頭にかかるのですが」
「俺には俺で、あらゆる報告義務があんだよ。おまえも気を付けろ。面の皮一枚剥いだら髪の毛一本も他人に触らせたくないような男だぞ」
「……? 私まだ狙われてるんですか!?」
「…………ある意味な。気を付けろよ、なにかありゃ俺にすぐ言え」
「わかりました! 頼りにしますよ、ラディウス」
「……はあ」
ラディウスからの重たいため息に首をかしげつつ、私は顔を上げた。
月光がふりそそぎ、夜でも明るい。この逃げ道を進んだ先にどこに行きつくのかはまだわからないけれど、私は胸を張れる。
ユーギリス。
美しき満月の色は、彼の髪の色にもすこし似ていて、私は彼の名前を心で呼んだ。




