第2章 第1話
あの断罪の謁見から、一年が過ぎた。
エルミットの王妃となったわたくし、セレスティアの毎日は、まるで陽だまりの中にいるように、穏やかで温かい光に満ちていた。
「セレスティア、おはよう。今朝も、太陽がお前を見習って輝いているようだ」
朝、目覚めると、隣には愛しい夫――エルミット国王となったレオルドの、眩しいほどの笑顔がある。
彼の黒曜石の瞳に、ただ一人、わたくしだけが映っている。その事実が、胸の奥を甘く、くすぐったい幸福感で満たしていく。
「おはようございます、レオルド様。……また、そのようなお上手ばかり」
「お世辞ではない。事実だ」
彼はそう言うと、わたくしの髪に優しく口づけを落とす。
国王としての彼は、以前にも増して威厳と風格を増し、臣下や民から絶大な信頼を集めている。しかし、わたくしの前では、今も昔も変わらず、少しだけ意地悪で、それでいてどこまでも優しい、一人の男性だった。
王妃としてのわたくしの務めは、多岐にわたる。
公務の書類に目を通し、女官たちを束ね、時にはレオルドと共に式典や視察にも赴く。
けれど、わたくしが最も大切にしている仕事は、週に一度、城下の施療院を訪れることだった。
「妃殿下! お待ちしておりました!」
「まあ、リコット。お膝の怪我は、もうすっかり良いのね」
施療院に着くと、子供たちが歓声を上げて駆け寄ってくる。
わたくしは一人一人の頭を撫で、その健康状態を確かめる。わたくしの【聖癒】の力は、直接触れずとも、その場にいるだけで人々の生命力を活性化させ、病の治りを早める効果があった。
そのため、人々は畏敬と親しみを込めて、わたくしをこう呼んだ。
『太陽の妃』、と。
「妃殿下がいらっしゃると、まるで春が来たように心が温かくなりますわ」
「本当に。妃殿下こそ、我らがエルミットの至宝です」
民の屈託のない笑顔と言葉が、何よりの喜びだった。
『無能才媛』と蔑まれ、誰からも必要とされなかった日々が嘘のようだ。
自分の力が、誰かの役に立っている。誰かを、笑顔にできる。
その実感こそが、レオルドが与えてくれた愛と共に、わたくしの心を強く、豊かにしてくれていた。
「……無理はしていないか?」
施療院からの帰り道、共に歩くレオルドが、心配そうにわたくしの顔を覗き込む。
彼は、わたくしが力を使いすぎることを、いつも気にかけてくれている。
「大丈夫です。民の皆さんの笑顔を見ていると、わたくしの方が元気をいただけますから」
「そうか。……だが、お前は俺にとっても、たった一つの太陽だ。決して、曇らせるようなことだけはするな」
彼はそう言うと、人目も憚らず、そっとわたくしの手を握った。
骨張った、大きな手。
この手が、わたくしを絶望の淵から救い出してくれた。
この温もりが、わたくしの凍てついた心を溶かしてくれた。
わたくしたちは、見つめ合い、自然と笑みを交わした。
幸せだった。
これ以上ないほどに。
この完璧な平和が、永遠に続くのだと、心のどこかで信じていた。
――その夜、緊急の報せが届くまでは。
執務室で、レオルドと共に夜食をとっていると、宰相が血相を変えて駆け込んできた。
「陛下! グランデール王国より、緊急の魔法通信が!」
グランデール。
その名を聞いただけで、胸の奥が微かに冷たくなる。
あの一件以来、かの国は新たな王族を立て、エルミットの監督下で懸命に復興の道を歩んでいるはずだった。
レオルドの表情が、瞬時に国王のものへと変わる。
「どうした。何があった」
「はっ。それが……、一度は完全に浄化されたはずの王都近郊の土地に、再び、瘴気が発生した、と……」
「……なんですって?」
思わず、声を上げたのはわたくしだった。
あり得ない。
わたくしの【聖癒】は、土地の穢れを根源から浄化する力。一度浄化した土地から、再び自然発生的に瘴気が湧き出すなど、考えられないことだった。
レオルドが、わたくしの肩を抱き寄せ、不安を打ち消すように言った。
「落ち着け、セレスティア。詳しい話を聞こう」
宰相の報告は、衝撃的なものだった。
今回の瘴気は、以前のものとは明らかに『質』が違うという。
ただ生命力を奪う淀んだ空気ではなく、まるで明確な『悪意』と『呪い』を伴って、植物を瞬時に腐らせ、動物を凶暴化させているらしい。
そして何より、不可解なのは、その瘴気が、ごく限られた一点――グランデールの旧王城の跡地、その地下深くから、湧き出しているということだった。
「……旧王城の、地下……」
そこは、かつてルーファス殿下たちが住んでいた場所。
そして、グランデールの歴史の中で、最も古い聖域の一つがあった場所でもある。
嫌な予感が、背筋を駆け上った。
あれで、すべて終わったのではなかったのか。
過去は、完全に清算されたのではなかったのか。
わたくしの手を取り、レオルドが力強く言った。
「心配するな。何が起きていようと、俺がついている。……お前の幸せを脅かすものは、たとえ神であろうと、俺が許さん」
彼の言葉は、いつもわたくしに勇気をくれる。
けれど、胸のざわめきは消えなかった。
まるで、忘れ去られていた古傷が、再び痛み出したかのように。
幸せな日々に差し込んだ、一筋の影。
それは、わたくしたちがまだ知らない、遥か昔に犯された罪が、長い眠りから目覚めようとしている、不吉な兆しだったのかもしれない。




