第2章 第7話
「新たな誓約、だと……?」
精霊が、わずかに目を見開く。
レオルドは、揺るぎない声で続けた。
「古代の誓約は、グランデールの王が裏切ったことで破られた。ならば、今この場で、俺が――エルミットの王が、貴方と新たな誓約を結ぶ」
それは、あまりに大胆不敵な提案だった。
一国の王が、他国の精霊と誓約を結ぶなど、前代未聞のこと。
「レオルド様……! 何を……!」
「黙って見ていろ、セレスティア。ここからは、俺の戦いだ」
彼は、わたくしを制すると、精霊に向き直った。
「俺は誓う。この身ある限り、貴方の力を決して私物化せず、常に敬意を払い、グランデールとエルミット、両国のためにその力が使われるよう、守り抜くことを。そして何より――」
彼は、わたくしの手を取り、その前にぐっと引き寄せた。
「――貴方と世界を繋ぐ、たった一人の巫女、我が妻セレスティアを、生涯をかけて守り、愛し抜くことを、我が魂に懸けて誓う」
それは、王としての誓いであり、同時に、夫としての、愛の誓いだった。
彼の言葉が、熱い奔流となって、傷ついたわたくしの心に流れ込んでくる。
精霊は、しばらくの間、黙ってレオルドを見つめていたが、やがて、その唇に、ふっと柔らかな笑みが浮かんだ。
それは、この地下に来て初めて見る、心からの慈愛に満ちた微笑みだった。
「……面白い。実に、面白い王だ。そなたの覚悟、その曇りなき瞳、気に入った」
精霊は、すっと手を差し出した。
「良いだろう、若き王よ。その誓約、受け入れよう。……だが、代償は大きいぞ。そなたは、自らの魔力の一部を、常にこの大地を癒やすために捧げ続けねばならなくなる。王としての責務に加え、あまりに重い宿命を背負うことになるが、それでも良いか?」
「無論だ」
レオルドは、即答した。
「俺の魔力で、この大地が、そしてセレスティアの心が救われるのなら、安いものだ」
彼は、自らの剣で、ためらうことなく手のひらを切り裂いた。
滴り落ちる、赤い血。
それは、エルミット王家に受け継がれてきた、清浄で強大な魔力を宿す血。
わたくしもまた、彼の覚悟に応えるように、自らの指先を小さく傷つけ、彼の手のひらに、自分の血を重ねた。
巫女の血と、王の血。
二人の血が、一つに混じり合う。
「「――ここに、新たな誓約は成りぬ」」
精霊と、わたくしたち三人の声が、重なり合った瞬間。
地下祭壇から、天を衝くほどの、巨大な光の柱が立ち上った。
それは、翠と金が螺旋を描くように絡み合った、荘厳で、生命力に満ち溢れた光だった。
光は、グランデール全土を覆い尽くし、瘴気に蝕まれた大地を、瞬く間に浄化していく。
枯れた木々には、みるみるうちに新しい若葉が芽吹き、涸れた川には、清らかな水が再び流れ始める。
人々は、窓の外で起きている奇跡に、ただ涙を流し、天に祈りを捧げた。
やがて、光が収まった時。
地下祭壇は、その役目を終えたかのように、静かに崩れ落ち、土へと還っていった。
そして、そこに立っていた精霊の姿も、いつの間にか消えていた。
ただ、声だけが、わたくしたちの心に直接響いてきた。
『ありがとう、巫女よ。そして、愛深き王よ。……我が名は、エリアーデ。これよりは、貴方たちと共に……』
その言葉を最後に、彼女の気配は、風に溶けるように、大地そのものと一体になっていった。
すべての戦いが、終わったのだ。
「……終わった、のですね……」
「ああ……。終わったんだ」
張り詰めていた糸が切れ、わたくしは、その場に崩れ落ちそうになった。
その身体を、レオルドの逞しい腕が、優しく、しかし強く、抱きとめてくれた。
「よく、頑張ったな。セレスティア」
「レオルド様こそ……。無茶を、なさるから……」
彼の胸に顔を埋めると、安堵からか、涙が止めどなく溢れてきた。
彼は何も言わず、ただわたくしの髪を、何度も何度も、優しく撫でてくれた。
その温もりに包まれながら、わたくしは、ゆっくりと意識を手放していった。




