第2章 第6話
地下祭壇は、混沌の極みにあった。
レオルドの騎士たちと、アルフォンス率いる黒装束の暗殺者集団との間で、激しい死闘が繰り広げられている。
そして中央では、傷ついたわたくしを守るように、レオルドが鬼神の如く剣を振るっていた。
「……ははは! 素晴らしい! それほどの怒り、それほどの力! それもすべて、精霊の新たな器となる巫女をより強くするための贄に過ぎん!」
吹き飛ばされたアルフォンスは、口元の血を拭いながら、狂気の笑みを浮かべていた。
彼の狙いは、わたくしを殺すことではない。わたくしの強い感情――特に、レオルドを想う愛情や、彼が傷つけられることへの恐怖心を引き出し、それを餌に精霊を堕落させ、己の支配下に置くことだったのだ。
「レオルド様、ダメ……! 戦っては……!」
脇腹の傷の痛みに耐えながら、わたくしは叫んだ。
レオルドが怒れば怒るほど、わたくしが彼を心配すればするほど、アルフォンスの術中に嵌ってしまう。
しかし、愛する妻を傷つけられたレオルドの怒りは、もはや誰にも止められない。
「黙れ、外道が! セレスティアへの愛を、貴様の汚れた野望のために利用されて、黙っていられるものか!」
レオルドの剣が、雷光を纏う。
それは、彼が持つ王族の魔力を極限まで高めた、必殺の一撃だった。
アルフォンスは、それを待っていたかのように、にやりと笑った。
「来ましたね……! その魂ごと、精霊に捧げてくれる!」
アルフォンスは、懐から黒く禍々しい輝きを放つ宝玉を取り出した。
『呪縛の魔石』。精霊を封じた古代の呪いを、さらに増幅させる禁忌の魔道具だ。
レオルドの雷光の一撃と、アルフォンスが放つ呪いの闇が、激突する――その瞬間。
「――おやめなさい」
凛とした、しかしどこか人間離れした声が、空間全体に響き渡った。
声の主は、誰でもない。
わたくしがその身を賭して解放しようとしていた、ひび割れた祭壇そのものだった。
祭壇が、内側から眩い光を放ち始める。
刻まれていた呪いの文様が、ガラスのように砕け散っていく。
長きにわたる封印が、ついに、完全に破られたのだ。
しかし、それはわたくしの【聖癒】の力によるものではない。
わたくしを庇ったレオルドの流した血。その一滴が祭壇に染み込んだ時、何かが変わったのだ。
光の中から、ゆっくりと人影が現れる。
それは、透き通るような翠の髪を持ち、瞳に深い森の色を宿した、神々しいほどに美しい女性だった。
彼女こそ、このグランデールの大地を司る、精霊その人だった。
「……長き眠りから我を目覚めさせたのは、そなたたちか」
精霊は、まずアルフォンスに、憐れむような視線を向けた。
「愚かなる人の子よ。我が力を得ようなど、千年早い。そなたの歪んだ野望では、我が魂に触れることすらできぬわ」
精霊が、軽く指を振るう。
それだけで、アルフォンスが持っていた『呪縛の魔石』は砂のように崩れ落ち、彼自身も見えない力に拘束され、身動きが取れなくなった。
絶対的な、格の違いだった。
そして、精霊は、わたくしとレオルドに向き直った。
その深い翠の瞳が、わたくしたちを、そしてわたくしが身に着けている『ある物』を、じっと見つめている。
「……巫女の末裔よ。そして、隣国の若き王よ」
精霊は、わたくしではなく、レオルドに向かって、驚くべき言葉を告げた。
「そなた、まさか『誓約の王』の血を引いているのか?」
「……誓約の王?」
レオルドが、訝しげに問い返す。
精霊は、静かに語り始めた。
それは、祖母の日記にも記されていなかった、もう一つの真実。
遥か昔、グランデールの初代王が精霊との誓約を交わした時、その場にはもう一人、証人として立ち会った王がいた。
それが、当時、隣国の王子であった、エルミット王家の祖先――『誓約の王』だったのだ。
彼は、グランデールの王が誓いを破ることのないよう、そして万が一、巫女の血筋が途絶えそうになった時には、その身をもって巫女を守り、誓約を維持することを、自らの血をもって精霊に誓ったという。
それは、エルミット王家にも記録が残っていない、忘れ去られた古代の誓約。
「そなたの流した血が、我にかけられた呪いを解く最後の鍵となった。王の血と、巫女の祈り。二つが揃って初めて、真の解放は成されるのだった」
だから、わたくし一人では呪いを解けなかったのだ。
わたくしたちは、出会うべくして出会った。
この場所で、共に戦うことは、遥か昔から定められた運命だった。
「……なんと……」
レオルドも、わたくしも、ただ言葉を失う。
わたくしを救うために、彼が流した血。
彼の愛そのものが、この奇跡を起こした。
しかし、安堵したのも束の間だった。
精霊の表情が、ふっと曇る。
「……だが、遅かった。長きにわたる封印と呪いは、我が力の源である大地の魂を蝕みすぎた。もはや、このグランデールの大地が、元の豊かな姿に戻ることはないだろう……。やがてはすべてが枯れ果て、死の大地となる」
その言葉は、あまりに絶望的だった。
呪いは解けても、大地は救われない。
そんな……、何のために、わたくしたちは……。
呆然とするわたくしの前で、レオルドが、毅然として一歩前に出た。
「いや、まだだ」
彼は、精霊の目をまっすぐに見据え、言い放った。
「俺の妃を、絶望させることは許さない。……精霊よ。大地を救う方法が、まだ一つだけ残されているはずだ」
「……ほう。何かわかっておるのか、若き王よ」
「ああ」と、レオル-ドは頷く。
「それは、新たな『誓約』を結ぶことだ」




