第2章 第5話
地上で結界を維持していたわたくしは、地下からの知らせを受け、覚悟を決めていた。
賢者たちに地上を任せ、レオルドと騎士たちが確保してくれた道を通って、一人、地下祭壇へと向かう。
瘴気の渦巻く洞窟を抜けた先。
そこには、愛する夫と、彼の騎士たちが、満身創痍で戦う姿があった。
「レオルド様!」
「来たか、セレスティア!」
彼は、魔物を一体斬り伏せると、わたくしの方へ駆け寄ってきた。
その鎧には無数の傷がつき、額からは血が流れている。けれど、その瞳の光は、少しも衰えていなかった。
「祭壇へ行け! お前の力が必要だ!」
「ですが、皆さんが……!」
「俺たちを信じろ! お前を守ることこそが、俺たちの使命だ!」
彼の言葉に背中を押され、わたくしは祭壇へと走った。
祭壇に近づくにつれ、精霊の悲しみが、嵐のように心に流れ込んでくる。
(ごめんなさい……。長い間、本当に、ごめんなさい……!)
わたくしは、ひび割れた祭壇に、そっと手を触れた。
その瞬間、全身から金色の光が、奔流となって溢れ出した。
【聖癒】の力が、呪いを解くために、祭壇の奥深くまで浸透していく。
ギシギシと、祭壇が悲鳴を上げる。
呪いが、解けていく。
長かった封印が、今、終わろうとしていた。
その、まさにその時だった。
「――妃殿下、お覚悟を」
背後から、冷たい声が響いた。
はっとして振り返る間もなく、脇腹に、鋭い、焼けるような痛みが走った。
「……がっ……!?」
信じられないものを見る目で、自分の脇腹を見下ろす。
そこには、一本の短剣が、深く突き刺さっていた。
そして、その短剣を握っているのは――先ほどレオルドを助けたはずの、宮廷魔術師アルフォンスだった。
彼の穏やかだったはずの瞳は、今は氷のように冷たく、昏い憎悪の色を宿していた。
「……なぜ……?」
かろうじて、声を絞り出す。
わたくしを刺したアルフォンスの背後から、ぞろぞろと黒装束の者たちが現れる。彼らは、レオルドの騎士たちに、次々と襲いかかっていった。
味方だと思っていた者が、突然、牙を剥いたのだ。
「セレスティア!」
レオルドの絶叫が、遠くに聞こえる。
彼は、わたくしの元へ駆けつけようとするが、新たな敵に阻まれて身動きが取れない。
アルフォンスは、わたくしの耳元で、蛇のように囁いた。
「……なぜ、ですと? 簡単なことです。我らは、精霊の力を解放したいのではない。……その力を、我が物にしたいのです」
「……何を、言って……」
「貴女の一族は、代々、精霊の力を独占し、国を裏から操ってきた。その傲慢な支配を、終わらせる時が来たのです。……初代の巫女の思念も、貴女をこの場に誘い込むための、ただの餌ですよ」
彼の言葉は、あまりに歪んだ妄執に満ちていた。
彼は、初代魔術師の末裔などではなかった。その力を妬み、奪うことだけを考え続けてきた、闇の一族の末裔だったのだ。
「【聖癒】の巫女の血肉をこの祭壇に捧げることで、精霊は、我らの『器』として、この世に再臨する。……さあ、貴女のその聖なる命、我らに捧げなさい!」
アルフォンスが、短剣をさらに深く突き立てようとする。
意識が、遠のいていく。
ああ、わたくしは、ここで……。
(……いやだ)
死ぬのは、怖くない。
でも、レオルドを、一人にはしたくない。
彼と、共に生きて、幸せになりたい。
その、強い想いが、奇跡を呼んだ。
わたくしの身体から、これまでとは比べ物にならないほど、眩い金色の光が爆発した。
それは、アルフォンスの身体を吹き飛ばし、地下空間のすべてを、一瞬、白く染め上げた。
そして、光が収まった時。
わたくしは、温かい何かに、力強く抱きしめられていた。
「……レ、オルド……様……?」
「……間に合ったか」
息を切らし、しかし安堵の滲む声。
わたくしを庇うように、背中に深い傷を負いながらも、彼は確かに、そこに立っていた。
わたくしを刺した短剣は、彼の屈強な身体に阻まれ、致命傷には至っていなかったのだ。
「……よくも、俺のセレスティアを」
レオルドの瞳が、燃えるような怒りの炎で赤く染まる。
それは、かつて彼が『氷の皇子』と呼ばれていた頃とは真逆の、すべてを焼き尽くすほどの、激情の炎だった。
彼は、傷ついたわたくしを騎士に預けると、ゆっくりとアルフォンスの方へ向き直った。
その全身から放たれる凄まじい覇気は、魔物でさえも後ずさるほどだった。
「貴様だけは、俺が、この手で塵にする」
守護者の盾は、今、断罪の剣と化す。
二人の王と、闇に堕ちた魔術師。
呪われた地下祭壇で、最後の戦いの火蓋が、切って落とされた。




