第2章 第4話
地下へ続く洞窟は、湿った空気と、瘴気の淀みが充満していた。
レオルドは、片手に松明、もう一方の手に愛剣を握りしめ、慎重に先へ進む。
セレスティアが地上で抑え込んでくれているおかげで、瘴気の濃度は薄まっているが、それでも肌を刺すような邪悪な気配は消えていない。
「陛下、お気をつけください。この先、何やら嫌な気配が……」
護衛の騎士が、警戒を強める。
洞窟は、やがて開けた空間へと繋がった。
そこは、古代の石材で組まれた、広大な地下祭壇だった。
中央には、ひび割れた巨大な祭壇が鎮座し、その表面には、見たこともない複雑な文様がびっしりと刻まれている。
精霊を封じ込めている、呪いの祭壇だ。
そして、その祭壇を守るように、異形の者たちがうごめいていた。
瘴気から生まれた、魔物だ。
泥のような身体に、赤く光る無数の目を持つ、おぞましい姿。
「……来るぞ!」
レオルドの鋭い声と同時に、魔物たちが一斉に襲いかかってきた。
剣と剣がぶつかる甲高い音、騎士たちの雄叫び、そして魔物の不快な咆哮が、地下空間に響き渡る。
レオルドは、国王でありながら、その剣技は王国一と謳われるほどの腕前だった。
彼の剣は、まるで閃光のように走り、魔物たちの核となっている赤い目を的確に貫いていく。
しかし、魔物は倒しても倒しても、祭壇から湧き出す瘴気から、次々と生まれてくる。キリがない。
「陛下! このままではジリ貧です!」
「分かっている! 狙いは、あの中央の祭壇だ!」
レオルドは、騎士たちに魔物を引きつけさせ、その隙に単身、祭壇へと突撃した。
祭壇に近づくにつれ、呪いの力場が、全身に重くのしかかってくる。まるで鉛の外套を羽織らされたかのようだ。
(セレスティアも、地上でこの圧力に耐えているのか……!)
愛しい妻の苦しみを思い、彼は歯を食いしばって前へ進む。
あと数歩で祭壇に手が届く、その時だった。
「――お待ちください、陛下」
背後から、静かな、しかし芯の通った声がかけられた。
振り返ると、そこに立っていたのは、今回の調査に同行していたグランデールの宮廷魔術師の一人だった。年の頃は、レオルドと同じくらいだろうか。穏やかな顔立ちをした、物静かな印象の男だ。
「どうした。今は取り込み中だ」
「その祭壇に、直接触れてはなりません。罠です」
男は、冷静に告げた。
「この祭壇は、強い魔力を持つ者が触れると、その魔力を吸い取り、封印をさらに強固にする仕組みになっています。……陛下が触れれば、格好の餌食となるでしょう」
「何だと……? では、どうすれば」
「この呪いを解く鍵は、力ではありません。……『心』です」
男はそう言うと、懐から古びた水晶を取り出した。
「これは、ヴァイスハイト家に古くから伝わる『記憶の水晶』。……かつて、精霊を裏切った王の非道を嘆いた、初代の巫女様の思念が込められています」
男は、祭壇に向かって静かに水晶をかざした。
すると、水晶から柔らかな光が溢れ出し、祭壇の表面に刻まれた文様が、まるで共鳴するように淡く輝き始めた。
光の中に、幻影が浮かび上がる。
それは、遠い昔の記憶。
豪華な玉座に座る王と、その前に跪く、セレスティアによく似た面立ちの美しい巫女の姿だった。
『――どうか、お考え直しください、陛下! 精霊様との誓約を破れば、この国に必ずや災いが!』
『黙れ、巫女よ! その力を、なぜ人である我らが敬わねばならん! 力は、支配するものだ!』
王は、巫女の訴えに耳を貸さず、兵士たちに命じて彼女を取り押さえさせる。
そして、彼女の目の前で、精霊を祭壇に封じ込める、非道な儀式を始めてしまった。
『ああ……! お許しください、精霊様……。我が王の愚かさを……。いつか、必ず、我が血を引く者が、貴方様を解放しに参ります……。それまで、どうか、この大地を滅ぼさないで……』
巫女の悲痛な祈りが、地下空間に響き渡る。
それこそが、彼女が最後に遺した、強い思念だった。
幻影が消えた後、祭壇を覆っていた邪悪な呪いの気配が、わずかに和らいでいた。
魔物たちの動きも、明らかに鈍っている。
「……巫女の想いが、呪いを中和したのか」
レオルドが呟くと、魔術師は静かに頷いた。
「はい。しかし、これだけでは足りません。封印を完全に解くには、やはり、現代の【聖癒】の巫女――セレスティア様の力が必要です。……陛下。どうか、妃殿下を、この場所へ」
レオルドは、一瞬、ためらった。
こんな危険な場所に、愛する妻を呼び寄せるわけにはいかない。
だが、他に方法はない。
彼は、覚悟を決めた。
「……分かった。騎士たちよ! 妃殿下を地下へお連れするための道を確保する! 何としても、この場を死守しろ!」
王の決意に、騎士たちの士気が再び燃え上がる。
レオルドは、謎めいた宮廷魔術師に鋭い視線を向けた。
「礼を言う、魔術師。お前は、何者だ? なぜ、ヴァイスハイト家の秘密を……」
すると、男は初めて、穏やかな笑みを浮かべた。
「私の名は、アルフォンスと申します。……かつて、初代の巫女様にお仕えした魔術師の、末裔にございます。我が一族は、代々、妃殿下のような御方が現れるのを、影ながら待ち続けておりました」
彼は、レオルドに向かって、深く頭を下げた。
「さあ、陛下。女神を、お迎えする準備を」




