第2章 第3話
数日後、わたくしたちは、少数の護衛と賢者たちを伴い、グランデールの地を踏んでいた。
一年ぶりに見る祖国の空は、気のせいか、以前よりも色褪せてどんよりと曇っているように見えた。
「……空気が、重いですね」
隣を歩くレオルドに囁くと、彼も静かに頷いた。
「ああ。大地が嘆いているのが分かる。一刻も早く、根源を断たねば」
グランデールの新しい為政者たちは、わたくしたちを国賓として丁重に迎え入れた。
彼らは、過去の王家が犯した罪を知ると、顔を青くし、ただ平身低頭するばかりだった。
けれど、わたくしに向けられる一般の貴族や民の視線は、複雑な色を帯びていた。
感謝、畏敬、そして――ほんの少しの、やっかみと恐怖。
『あの御方が、追放されたはずのセレスティア様……』
『エルミットの王妃になられたと聞いたが、まさかこれほどお美しく……』
『だが、あの方の力がなければ、この国は救われぬのだな……』
ひそひそと交わされる会話が、風に乗って耳に届く。
心地よいものではない。けれど、もう、そんなことで心が揺らぐわたくしではなかった。
レオルドが、わたくしの手をぎゅっと握りしめてくれる。その温もりだけで、十分だった。
案内されたのは、旧王城の跡地。
かつて、わたくしが婚約破棄を突きつけられた、あのパーティー会場があった場所だ。
今は見る影もなく荒れ果て、建物の残骸が、まるで巨大な墓標のように点在している。
そして、その中心部――かつて大広間があった場所には、ぽっかりと、不気味な大穴が口を開けていた。
「ここから、瘴気が……」
大穴の縁に立つと、ぞわりと肌を撫でる邪悪な気配と共に、腐臭にも似た淀んだ空気が渦を巻いて上がってくる。
穴の底は暗く、何も見えない。
「賢者殿の調査によれば、この地下深くに、古代の封印祭壇があるとのことです」
案内役のグランデール騎士が、緊張した面持ちで報告した。
「しかし、あまりに強力な呪いの力場で守られており、我々では近づくことすら……」
「道は、私が開きます」
わたくしは、静かに一歩前へ出た。
レオルドが心配そうに「セレスティア」と名を呼ぶ。
「大丈夫です。大地の精霊が、わたくしを呼んでいます」
目を閉じると、聞こえる。
地下深くから響く、悲しみと怒りに満ちた、か細い声が。
それは、わたくしと同じ【聖癒】の力を持つ者にしか、聞き取れない魂の叫びだった。
わたくしは、両手をそっと穴に向けた。
腕輪が、共鳴するように熱を帯びる。
全身から放たれた金色の光が、渦巻く瘴気の中へと、まっすぐに降りていった。
ジュウウゥゥッ!
光が瘴気に触れた瞬間、まるで酸をかけたかのように激しい音を立て、黒い靄が霧散していく。
しかし、すぐにまた、穴の底から新たな瘴気が湧き上がってくる。
いたちごっこだ。
「……っ!」
瘴気に込められた呪いの力が、わたくしの精神に直接攻撃を仕掛けてくる。
頭の中に、怨嗟の声が響き渡る。憎悪、絶望、裏切られた悲しみ。
それは、長年封じられてきた精霊の、負の感情だった。
(負けない……。わたくしは、あなたを救いに来たのだから……!)
歯を食いしばり、さらに強い光を放つ。
すると、瘴気の壁が、ほんの一瞬だけ、薄らいだ。
その瞬間を、レオルドは見逃さなかった。
「今だ! 突入する!」
彼の号令一下、選りすぐりの騎士たちが、躊躇なく大穴へと飛び込んでいく。
もちろん、その先頭には、自ら剣を抜いた国王レオルドの姿があった。
「レオルド様!」
「心配するな! お前は瘴気を抑えることに集中しろ! 必ず、俺がお前の道を切り開く!」
彼は、振り返り様にニヤリと笑うと、闇の中へと消えていった。
わたくしとレオルド。
地上と地下。
離れていても、心は一つ。互いの役割を、完全に信頼しきっていた。
わたくしは、地上に残った賢者たちと共に結界を張り、瘴気がこれ以上、地上に溢れ出さないように全神経を集中させた。
金色の光の柱が、天と地を繋ぐように、大穴へと降り注ぎ続ける。
それは、まさに女神の御業と呼ぶにふさわしい、神々しい光景だった。
しかし、その光景を、冷たく、そして憎しみに満ちた目で見つめる者たちがいることを、この時のわたくしは、まだ知らなかった。




