響かない轟音
『響かない轟音』
異変の朝
ケンタは、日々の社会生活に疲れ果てていた。自分の声が誰にも届かないと感じる孤独は、かつて友人タケシに「お前の言ってること、全然心に響かない」と突き放された日を思い出させた。自衛官になったタケシは、社会の規律を重んじる真っすぐな男だった。あの時、もっと素直に話していれば、こんな孤独は感じなかったかもしれない。
帰り道、タケシから「久しぶりにサバゲーやらないか?」というメッセージが届いた。ケンタは行くのをやめた。タケシの真っすぐな正論は、社会に適合できない自分自身の弱さを突きつけられるようで、彼にとって耐え難いものだった。「誰も俺の声を聞いてくれない。なら、いっそ人間じゃなくなってしまいたい」という心の叫びが、彼を衝動に駆り立てた。彼は図鑑には載っていない奇妙なキノコを口にし、地面から突き出た岩のそばで眠りについた。夜中に、体中が熱くなるのを感じた。それはまるで溶けた鉛が血管を流れるような、内側から体を焼き尽くすような熱だった。
翌朝、異様な熱と違和感で目が覚める。体が巨大になっていたのだ。もともと視力が悪く、眼鏡がなければ世界はぼやけて見える。その眼鏡は小指の爪ほどのサイズになり、かつての鮮やかな緑の森は、色の深みや葉の一枚一枚が持つ陰影は消え失せ、視界はただのぼやけた緑色の膜に覆われているようだった。絶望に打ちひしがれながらも、彼はツタや大きな葉っぱを編んで前掛けを作り、まるで原始人のような姿になった。
偽りの映像と友人の葛藤
空腹に耐えかねたケンタは、人里に近づいた。その途中、自分のキャンプ道具を見つけた。懐かしさからポールに手を伸ばすと、指先に少し力を入れただけで、テントのポールがまるで乾燥した木の枝のようにポキッと折れ、タケシが誕生日にプレゼントしてくれたキーホルダーが付いたランタンがガラスの破片となってジャリジャリと砂利の上に砕け散った。無力なため息がこぼれた。
やがて遠足に来ていた村人たちと鉢合わせする。「俺だ、ケンタだ!わかるか?」と優しく話しかけたつもりの言葉は、山々に響く轟音となり、村人たちの耳にはただの岩石が崩れるような地鳴りとしてしか届かない。パニックに陥った村人たちが逃げ惑う中、一人が木の根につまずいて転んだ。ケンタは彼を助けようと、ゆっくりと手を差し伸べる。しかし、村人の目には、その手が自分を潰そうと襲いかかる怪物の爪に見えた。「うわあああ!足を潰された!」という悲鳴が響き、その様子をスマホで撮影した村人が、SNSに**「巨人に襲われ重傷!」**という偽情報を投稿した。デマは瞬く間に広がり、街を破壊したり、車を投げ飛ばしたりするケンタのフェイク動画が作られていく。
一方、自衛隊のドローンパイロットとして監視任務に就いていたタケシは、モニター越しにその映像を見ていた。原始人のような姿の巨人に、タケシは違和感を覚える。その右手の甲に、ケンタが昔から気にしていた小さなほくろが、まるで地図の目印のようにくっきりと見えた。不安な時に無意識に首をかく癖。さらに、映像の片隅に映り込んだ、見覚えのある壊れたランタンのキーホルダー。タケシは息をのんだ。信じるべきは上官の命令か、それとも親友の存在か。
その時、司令部から非情な緊急命令が下る。「未確認巨大生物、駆除命令発令。目標は友人だ。」タケシは血の気が引くのを感じた。上官に食い下がるが、「ターゲットの人間性に関する情報は確認できない。ただちに駆除を開始せよ」と冷酷に命じられる。
悲劇の回避と届いた声
タケシは、命令に従い戦闘ドローンの操縦席に座った。モニターに映るケンタは、ぼやけた視界の中で必死に何かを訴えようとしているように見えた。タケシはマイクを手に取り、叫んだ。「ケンタ!俺だ、タケシだ!聞こえるか!?」だが、彼の声はただの無機質な電子音となり、空に虚しく響くだけだった。ケンタは、近づいてくるドローンの音に怯え、身を守ろうと無意識に手を大きく振り払った。その行動を、隊長は「敵意を持った攻撃と判断、直ちにミサイル発射」と命じる。
その瞬間、タケシの脳裏に、数年前の光景がフラッシュバックした。
「お前はいつもそうだ!自分のことばっかりで、他人の気持ちなんて考えたこともないだろ!」
怒りに任せ、タケシはケンタにBB弾を撃ち込んだ。彼は痛みに顔をゆがめて**「やめろ!」と叫んだ。だが、タケシにはその声が届かず、銃を撃つのをやめなかった。あの時、ケンタの「やめろ」という声なき声を聞き逃した。今、ケンタは言葉を持たず、ただ身を守ろうと手を振り払う。その姿に、過去の「やめろ!」が重なった。あの時、ケンタの声は届かなかった**。今、彼の声は届かない。
タケシはケンタの右手の甲のほくろ、不安な時に首をかく癖、そして壊れたランタンのキーホルダーを思い出し、涙を流しながら引き金に指をかけた。彼はミサイルをケンタに直接当てるのではなく、あえてその近くに着弾させた。爆音と衝撃波がケンタを包み込み、激しい痛みを伴う。その瞬間、ケンタの体は急速に収縮し、元の大きさに戻った。
「ケンタ!!」
タケシの叫び声は、ヘリコプターの轟音にかき消され、ケンタに届くことはなかった。しかし、ケンタは生きていた。彼は、タケシが乗ったヘリが自分を救助しようと近づいてくるのを見て、かすかに微笑んだ。ぼやけた視界の中で、タケシの乗ったヘリが自分を救助しようと近づいてくる。その一筋の光の中に、かつて失われた友情が確かに輝いて見えた。
結末
ケンタは自分の声が届かない孤独から解放され、タケシもまた、社会の規律だけでなく、信じる心を持つことの大切さを知った。しかし、ケンタが人間として存在していたことを知る者は、二人以外にはいなかった。彼は、人間が作り出した恐怖と無知、そして社会の論理によって、ただの「未確認巨大生物」として人々の記憶から消えていった。彼の悲劇は、決して誰にも語られることのない、二人の心の中だけの真実となった。
あなたにとって、届かない声は、本当に存在しない声だろうか?