屑になりたい 第8話 偽名なる遺骨
拝啓
貴女からお送りいただいた長い長い文章で綴られているお手紙、確かに拝読いたしました。安藤様のお考えになられた出版社を介して手紙を原稿の内に忍ばせるとは、よくぞ思いついたものです。さすがは巡査です。今も現役なので御座いましょうか。
最近、私は執筆の傍ら、将棋というものを教わりました。同じ収容棟の重症者に将棋の達人とも思えるほどの男がいます。お名前を山岸源一と言います。おそらくは偽名です。このお方、歳は私よりもひと回りほどご年配者で、眼球は両目ともございません。義眼を入れていて、『ギョ』とするほどに美しい眼をしているのですが、顔の輪郭に対して義眼が大きすぎるのです。歯も真っ白く、これもいささか不釣り合いな気が致しております。あれほどまでに白い入れ歯を如何に拵えたのだろうかと思うほどです。
これまでに三十局以上は対戦致しましたが、ただの一度も勝たせてはもらえず仕舞いです。相手は全盲です、にもかかわらず私の考える先手、先手を読み切ってしまうのです。めくら将棋、あるいは盲人将棋とでもいうのでしょう。丸く輝かった頭に毛髪は一本もございませんが、威厳と風格が備わっているようなお人であり、病院で支給された衣服を着ずに藍色の和服を帯締めで着こなしているので、なおさら個性的に見えるのでしょう。難しい局面に入ると手拭いを頭に巻く癖があり、滑稽といえばそうも言えるお人柄です。もしも癩病を患わなければ将棋の名人位を得ていたお方かもしれません。
先日、お相手頂いた時には私の方が優勢のまま終盤の局面に入りました。山岸さんの王将は逃げ場を失いつつあり、私自身の初勝利を読み切っていました
ーあと十五手でこの勝負、勝ったー
そう思った時でした。私は大悪手を打ってしまい、勝つどころか四手あとには負け将棋に陥りました。
「待った!」
私はこの大悪手だけは無かった事にしていただきたいと頼んだのです。
「この打ち駒に待ったを認めるのであれば三十三手前まで戻らなければならん。君は私の仕掛けた罠の順番通りに駒を動かし続けたにすぎん」
なんという卑怯者でしょう。私の打つ手、打つ手を優勢に思わせておいて、自身の術中にはめていたのです。人の噂によると時の名人に香車を抜かせて二戦二勝したほどの実力があり、四段位を認められたそうです。
この病院にはいろいろな経歴をお持ちの方がいて、収容される以前は医師であったり、画家、俳人など、惜しまれる才能の持ち主が多くいる事を知りました。癩病は人の道を閉ざすのではなく苦難を乗り越えられるかを試しているようにさえ感じられる時が御座います。しかし、大半の者は業病だ、苦行だと言い訳を繕い、死んでいくのです。
山岸四段曰く
「わしに勝つ時が来る前に君の目の玉は癩菌に神経を食われ落ちているだろうから、今からめくら将棋に親しんでおく方がよい。」そうです。癩の菌は神経の先っぽから食いつばみあげていきます。指先、足先、鼻先、目先、故に身体は顔を含めて醜く爛れ落ちていくのです。
私の場合、癩菌が身体中を巡る神経をゆっくりと喰い唾ばまれているようですが、まだまだ軽症なほうで、自ら告白しなければ癩者とは気付かれないでしょう。ただ、両の目の眉とまつ毛はすべて抜け落ちてしまい、墨を使って描いています。
さらには私も来月から重症者の看病をおこなう世話係を命じられました。今まで頼まれても頑として断り続けてきたのですが、いよいよ逃げ切れなくなりました。月に数回は当直にも携わりますから、重症者たちの下も取らねばなりません。赤子のおしめさえ見た事がない私が、私以上の大男の便や尿を取って、拭きあげねばなりません。落ちぶれたものだなぁと嘆きたくもなりますが、明日の我が身が目の前の癩病者たちなのでしょう。現実を受け入れなければなりません。
私の実家をお訪ね頂いているようですね、感謝申し上げます。父が残しておいた手紙をお写し下さりお嬢様のお気持ち、充分に納得致しております。父はお元気でしょうか。母を亡くしてから男手独りで私を育ててくださいました父ですので、親不孝の上塗りをしてしまいました。
二十日もの間、あのお屋敷のお嬢様を我が家にかくまわれていた事、そしてお子の出産の場所までもが当家だったとは貴女が手紙で綴ってくださらなければ知らずにいた事でしょう。
親子共々、知らず知らずのうちにあのお屋敷とは隠されていた縁があったので御座いましょう。父も私も続合いというものに操られていたようです。
あのお屋敷のお嬢様も赤子を産み、連れ添いながら共に生きていく道をお探しになるため、上州行きを決断なされました。
これもまた癩という病が与えた試練なのです。この先、お国の方針が代わり癩者を哀れなる病人として扱う日が来る時、癩者の苦難は忘れ去られる真実となり、記憶に残す人はいないでしょう。
癩の菌を死滅させる薬が開発されれば私たち癩者は人間として扱ってもらえるようになるでしょうが、新薬の発明が先か身の消滅が先か、たとえ身体から癩菌がすべて取り除けたとしても既に歪んでしまった顔や心根をもって街を歩く事は出来ません。
隔離収容されたあの日に生き地獄は始まり、人権は終わっているのです。
院内の端に骨壷を納めるだけの古い納骨堂があります。
裏側にある扉を開けると中は空洞になっていて、円形の空間いっぱいに棚が施されています。遺骨だけが入れられた白磁製の壺が山のように散在していて、これらの遺骨の元持ち主である魂は哀れみの熱を保ちながら、この場所だけに無常感を押し留めているかのようです。
この壺の中の遺骨、ひとつひとつが私と同じく、ある日を境にして癩者となり、ここに連行され、苦悩の末に焼き切られた者たちなのです。
納骨堂の裏には納められている遺骨の生前名が刻まれていますが、どの方のお名前も本名ではございません。私は自分が書いた小説の著者名である北条民夫と刻んで頂く事に致しましょう。
敬具
昭和十一年十月七日
七条 晃司