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屑になりたい 第7話 癩者が産んだ子 

 拝啓


 雨の降る日が何日も続いていたのに、いつの間に季節が変わったのでしょう、油蝉の鳴き声が朝な夕なに響いています。唐黍(とうきび)畑の茎たちも背丈を大きく伸ばし、私など収穫の邪魔になるほどうっそうと葉を茂らせ、そろそろ刈り取りの頃になるそうです。実の付きも良いようで牛舎の餌として与えるには充分過ぎるほど甘く熟しているのですが、粒の中には黒いツブツブの混ざっているものがあり、黄色く揃った粒を反って際立たせているようにも見えます。せっかく作るのであれば人に食べてもらえる唐黍を栽培すればよいものをと父に言うと、牛の餌用に栽培した方が儲かるのだと言い返されてしまいました。農作物ひとつをとっても道理というものがあるようです。


 貴方がこの村からいなくなって二度目の秋がもうすぐ来ようとしています。

さみしい、私だけが何故にこんなに寂しい想いをせねばならないのでしょう。

自問しても致し方ない事と分かっていても、貴方は私に会えなくても寂しくないのだろうか、そう思うたびに先日届いた文の中の文字を読み返しています。


 ➖心待ちにしている自分に気が付いています➖


 貴方はそうお書きくださいました。

 貴方と私を切り裂いた癩という病を恨めしく思う時もございます。ですが病如きで貴方と今生の別れをせねばいけないのでしょうか。貴方は生きていらっしゃる、それもご自身で道を切り開き、作家となられて、私の知らない遠い地で、力を絞り尽くしながら歩んでいらっしゃる。今の私にとっては貴方がお書きになられた小説を読み、主人公を取り囲む人物のひとりであるような想いに浸ることで孤独感から解放されています。


 貴方は真に生きていらっしゃる。


 貴方は私のことを忘れてはいない、むしろ手紙という書簡を通して、私との交流を心待ちになさっていらっしゃる。ならば私は貴方にとっての一番の理解者でなくてはなりません。それが私に残されている責務でございましょうから、どうかこの気持ちをお汲み取りくださいませ。

 貴方のお父さまが仰られた『生きることが苦行ならば逃げる道は父が作る。』の言葉ですが、貴方のお父さまはあのお屋敷に起きていた病に対する偏見や差別を承知していたのです。


 このお話を進めるにあたっては、まず妊婦でありながら実家に戻されてきたお嬢様の身の上からお書きせねばなりません。


 お嬢様が実家に戻って来られた時にはすでに妊娠八ヶ月目、あるいは九ヶ月に入ろうかとしている頃だったそうです。臨月を間近にした堕胎はお嬢様の命にも危険を伴う行為そのものでした。

 お屋敷の主でいらっしゃる父親はお嬢様をお屋敷内に匿いました。おそらく、幼い日に貴方が出入りされていた蚊帳の張られていた部屋に妊婦のお嬢様を隠し入れ、秘密裏に出産させるおつもりだったのでしょう。その証拠にこの頃、お屋敷には何度か村に独りだけいたお産婆さんが出入りしています。貴方ご自身もきっとお世話になっているはずの銀さんです。しかし事は思うようには進みませんでした。銀さんがお屋敷に出入りしている行為を村の者、数人が見ていたのです。お美しいお嬢様でしたから噂は瞬く間にひろまり、さらには身勝手な妄想じみた話に尾ひれが加わり、お嬢様が帰省なされている事、さらにはご懐妊しているらしい事がお役人の知るところとなってしまいました。


 村の者たちの中でお嬢様が癩病を患われていることを知る者はいなかったはずです。


 手紙を埋めるための文字だけで無責任な噂話を貴方にそのままお伝えする気にはどうしてもなれません。ですから貴方のお父さまから聞いた真実と思われる事のみをお伝えいたします。


 役人たちがお屋敷にやってきたのは陽が昇らない午前四時頃でした。玄関のガラス戸を数回叩くとお屋敷のご夫婦の応対を待たずに三人の役人はお部屋の中へ入ってきました。


 履き物も脱がず、消毒液の臭いが強すぎる防護衣を全身に纏った役人が畳の上を土足のまま踏みあがり、居間の奥座敷に向かっていきました。

 襖の向こうにいらっしゃったお嬢様は勘の働くお人です。逃げ切れないとお思いになられたのでしょう、寝巻姿のまま布団の上で正座していたそうです。


 「貴女が癩を患っている証だ」


お役人のひとりが手にしていた紙は医師の署名がされた診断書と癩予防法における強制堕胎を正当化する書面の二枚だけです。たった二枚の紙切れがお嬢様ともうじき生まれてくる赤子の運命を奈落の底に落とそうとしていました。


 「お腹の中の子が生まれるまでお待ちください。もう十日もすれば臨月に入ります。生まれたのちは、すぐに隔離、収容に従います。逃げることも隠れることも一切致しません。我が子を抱けなくても、乳を与えられなくても、二度と会えなくても構いません。子を産むまでは、子の命だけはどうか見逃してください。」


 お嬢様は正座したまま頭を深く下げて懇願致しました。きっとお顔は涙で濡れていたことで御座いましょうが瞳を上げて役人を直視することはなかったそうです。

 時代がそうさせた、と言ってしまえばただそれだけのことで御座いましょうし、癩病の悲劇はなにもお嬢様に限った事ではございません事は貴方もご承知のとおりで御座います。


 二人のお役人に両腕を抱えられながら襖戸のお部屋から連れ出されていくお嬢様はこの時、初めて激しく泣き崩れ、抵抗なさいました。束ねられていた長い髪を振り乱し、気が狂ったように身体を左右に振り、必死にお屋敷内に留まろうとなさったのです。

 お屋敷のご両親も膝を折り、泣き声を振るわせて懇願したのですがお役人に容赦という言葉はございませんでした。


 「お腹の子の命をお救いください。お願いです、産ませてあげてください。今、連れていかれたら堕胎されてしまいます。お願いで御座います。」


 お役人はお父さまに目も向けずに居間から足を降ろすとお嬢様の腕を掴んでいた手を移し変え、乱れ髪を鷲掴みにして土間に放り投げたのです。


 「癩者が産んだ子はいずれ癩者となる」


 吐き捨てるようなお役人の言葉だったそうです。身重のお嬢様は土間に叩きつけら、右頬には血が滲んでいました。

 呆然と佇んで見守るしかできずにいたお父さまは『うおぉぉぉぉ』と大声を上げると後ろ向きに立たれていた役人の背に体当たりしました。不意を突かれた役人も土間に身体を放り落とされ、残された二人の役人は立ち怯んでいるだけでした。


 「逃げろ、早く逃げるんだ」


 お父さまは怒鳴るようにお嬢様に言い放つと、倒れている役人の身体に覆いかぶさり身動きができないように致しました。

 お嬢様は玄関から外へ飛び出し、裏山の端を流れる川に向かって姿を消したのです。川沿いの小径を遠回りしたのか川に飛び込んだのかはわかりませんが、お嬢様が頼れるお人はお産婆さんの銀さんだけでした。

 お嬢様と銀さんがどこで落ち合ったのかはわかりません。ですが銀さんはお嬢様を貴方のご自宅に連れていかれたのです。


 当時、貴方のご自宅にはご祖父母にあたるご夫婦と貴方のお父さまの三人が暮らしていました。まだ貴方はお生まれになっていません。世代が二世代さかのぼる事になりますが、貴方のご祖父母もご両親も銀さんの願いを受け入れ、お嬢様をご自宅の納屋にお隠しになられたそうです。


 納屋の中で横たわったお嬢様に異変が起きたのはほんの半日も経たない時分でした。腹痛を訴えはじめると、途端に破水したのです。お役人がお嬢様を土間に突き落とした時、お身体も打ち付けてしまったのでしょう。臨月に入る前の出産は母子共に危険な事でした。

 銀さんはお産婆さんですので村で出産があるたびに何度も立ち合い、臍の緒を切った経験が御座います。


 「このまま産ませてみせましょう。破水に血が混ざり過ぎています。時が経つほどに出血は多くなりましょう。」


 銀さんはそう決断すると貴方のご両親たちをも巻き込んで出産の準備を揃えさせました。なんと手際のよい事でございましょうか。陣痛から出血を伴う破水までされているお嬢様も産みの痛みを堪え抜き、みごとに力み続けた事でしょう。初産であるにも関わらずほぼ無難と言える安産で、赤子は声をあげ泣きながら取り上げられたのです。赤子と母を繋ぐ緒を切ると、ぬる湯に浸し寝着の替わりになる布で繰るまれたお顔は早産の末とは思えない美しさを放ち、生まれてきた幸せを平穏な寝息に変えて伝えていました。生まれてきた赤子は男の子で御座いました。


 お嬢様の出血は多くございましたが命を脅かす事態にまでは至らず、生まれてきた子と共に数日の間ご一緒に過ごされたとの事です。


 子を授かった女の強さとでも例えればよいのでしょうか、お嬢様は銀さんと貴方のご両親たちのお力添えを頂き、子の命を守ったのです。乳もお与えになられたことでしょう。添い寝もされたでしょう。母子ならではのひとときを過ごされました。


 この日から二十日後のことで御座いました。母子が眠っているはずのお部屋からお嬢様と赤子が消えたのです。子を取り上げた銀さんならお二人の行方を知っているかもしれないと思いましたが、誰にも行方を伝え残すことなく消息を断っておしまいになられました。


 時はふた月ほど経った頃でございましょう。貴方のご実家に一通の手紙が送られてきました。差出人の記載はございません。


 貴方のご実家に残されていたお手紙が今、私のもとに御座います。


 この度の御恩、一生忘れません。


 御家に留まる事はご迷惑をお掛け致すことになりますので関西の地を遠く離れて我が子と共に北へ向かいます。

人からの言い伝えに過ぎませんが上州の地に病に効能ある温泉が湧いていると聞きました。

同じ病を患った者同士が助け合いながら一つの街を作り、湯治に専念しているそうです。今の医療では治らない病なら聞き伝えを信じ、子と共に治療に専念してみようと思います。

 なお、子の父親である男とは離縁されていますので私どもの行方はお伝え下さらないようお願い申し上げます。


 子の命をお救いくださったこと、私を母としていただけたことに深く感謝申し上げ、お別れの言葉に換えさせてくださいませ。お産婆さまの銀さまになにも言わず放浪に出てしまった事、申し訳なく存じますが私ども母子の行き先をお教えすること、かえってご迷惑をお掛けする事になると思い、失礼ながらこのまま身を消すことをご理解くださいませ。


 お元気で、この先もお元気でいてください。病魔に呪われた母でありながらも我が子の成長を見守る以外の生き方を持ち得ません。いつまでもお元気で。さようなら。


 この手紙の通りならばお嬢様は産まれたばかりの子を伴い、上州の温泉地である草津へ向かったようです。この地には栗生楽生病院という名の癩患者隔離病院が御座います。お嬢様のお書きになった通り、かつて草津の地は癩病者が『住む地』を追われたのちに辿り着いた湯治場であった時代が御座います。


 また長々と綴ってしまいました。書き足らないという思いも御座います。真髄を避けて書き綴ったような文面になってしまった気も致します。

 貴方からのご返信をお待ち致しております。


                         かしこ

                昭和十一年八月十九日

                              と志子


 追伸


 安藤様の御計らいにより直接、郵送で全生病院宛にお送りするのではなく、貴方の書いた小説の出版元を介して郵送致しました。これならば病院職員による検閲を免れると教わりました。


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