屑になりたい 第5話 強制堕胎
拝啓
貴方からお送りいただいた恐ろしい文字で綴られた手紙を読み、私の身体は小刻みに振るえていました。
人の死を欺く、それも実の子であろうお兄さまの病を十二年ものあいだ、隠し続けた挙句、自死の結末を選ばざるを得ず、一家は逃げるように離散していく顛末にそれが癩という病の現況なのでしょう。
きっと隠し続けたことで病は悪化していき、貴方がお会いした兄さまは重病だったに違いありません。そして貴方に癩病を感染させることになってしまった。言うまでもない悲運でしょう、しかし貴方は癩を患われた兄さまに対して臆することなく話しかけています。たとえ幼少の身から起きた言動であったにしても、誰でもが出来る事では御座いません。さらには『流し焼き』という菓子を分けて差しあげてもいます。心根の優しい性分は私の知っている貴方そのもので御座います。ではそのような貴方を癩は崩壊させ、死への道を歩ませていくのでしょうか、いいえ私はそうは思いません。はっきりと断言できます。なぜなら私は貴方のお書きになられた小説の主人公に同情よりも強い愛情を感じているからです。ここに書かれている主人公は貴方そのものであり人間としての生命を超越した人格が、なんびとの生命体よりも強い意志を持って生きている。そう感じずにはいられないのです。
私は今の貴方をもっと知りたくなり癩という病気について私なりに調べてみました。もちろん私は医者でもなければ看護婦でもございません。ですから調べたといってもうわべだけのものであり、患者となられた方々の心の奥底にある悲観や絶望までは分かりかねます。ですが私は貴方から頂いた二通のお手紙を読んで病の真髄を見つける事が出来たようです。
不治の病と聞くと人は癌を思うでしょう。癌は人を殺します、しかし貴方がお患いになられた癩病は命を奪うことなく肉体を崩壊させていく、思ってみただけでも恐ろしくなります。その病に貴方が罹られた、それが現実ならば私は受け入れてみせましょう。貴方はご自身がお書きになられた小説の中で病を受け入れてもなお、強い精神力で自我の境界を超えていく人物を描いています。この人物こそが貴方そのものであることは読者の誰もが分かるはずです。
貴方のお許しを頂かねばいけない事と承知の上で、私は誰にも言わずに貴方のご実家を訪ねました。お送りいただいた二通の手紙を貴方のお父さまにお渡しして読んで頂きました。突然の訪問にお義父さまは封書を手に取ろうか迷っておいででしたが貴方が名を変えて文壇の人になられた由、お伝えすると涙を隠さずに躊躇われていたお手を開いて便箋の文字を読み始めました。
「名を捨てて小説家になっていたとは知りませんでした。」
お義父さまは小さな声で呟きました、そして真髄とも言うべき言葉をはっきりと言いのけられました。
「晃司は癩者になってのではなく、癩を患った作家に生まれ変わったのだ。」
お義父さまはご自身の瞳を手で拭い切ると言葉を続けました。
「と志子さん、会える時がきたら晃司に会ってやって欲しい。生き続けることが苦行ならば、逃げる道は父が作る。しかし人には使命がある、その使命を全うできるまでは筆を握り続けて欲しい。」
二通の手紙をお読みいただいたあと、貴方がお書きになられた茶色い表紙の小説をお渡し致しました。お義父さまはただ「お借りいたします。」とだけ仰られて私の手から本を受け取るとお部屋の中へ戻られていき、しばらく私の前にはお戻りになられませんでした。
きっと癩者を出してしまった家である引け目があったのだろうかなどと、余計な詮索をして玄関先にてしばらく佇んでいました。
あまりにも長い合間でしたので私の方から退散すべきと思い「お義父さま、失礼いたします。」と声を上げ伝えると「と志子さん、今しばらく待っていてください。探し物をしています。」とお返事をくださいました。
お義父さまは私が渡した本の代わりに一枚の古びた写真を手に持ち、私のいる玄関先までお戻りになられてきました。
「晃司は長島か邑久に収容されたと聞いていました、あそこは小島の離島だから面会には行けぬと思い込んでもいました。まさか東京にいるとは信じがたいことです。」
お義父さまはそう言うと手紙に書かれていたお屋敷の男の記憶をお話しくださいました。
「あの燃え尽きたお屋敷には二人の子がいました。私も祖父から聞いた事ですので記憶違いかもしれませんが、ずうっとずうっと昔から悪い言い伝えがありました。しかしそれを言葉にする村人はいません。あの時の火事で亡くなられた男の方には三、四歳年上の姉がいました。それは美しい女性でした、小さな村ですからその美しい容姿は噂となってすぐに広まりました。大坂の富豪の跡取りとお見合いをして順風満帆な人生が待っているはずでした」
お義父さまはここまで言うと手にしていた古い写真の埃を手で払い取りました。
「この女性です、これがお屋敷のお嬢さんです、一緒に映っている男の人は火事で亡くなられた男の方がまだ二十歳になる前の頃だったと思います」
貴方のお父さまから見せていただいた写真はおそらく街の写真屋さんで撮られたもののようで、お二人ともに西洋の服と帽子を被っておいでになられていました。お嬢様が家を離れて嫁ぐことになり、家族で映る最後の家族写真の中の一枚のようでした。写真の中の女性は女の私から見ても美しく、花で例えるなら百合の可憐さと純白を内に持ち合わせたようなお方に見て取れました。そのお嬢様を指差してお義父さまは言葉を続けました。
「昔でいう庄屋の長男の嫁に行ったのだが三年と経たずに返ってきた。その姿は紛れもなく妊婦だった。私らはてっきり出産のための里帰りだと思い込んでいた。」
お義父さまはここまで話すと眉間の皺をいっそう深く真一文字にして、一旦は閉ざした口をゆっくり開いて言ったのです。
「ある日、お腹の膨らみも相当に目立つ頃、村の保健所の者が訪ねて来られ妊婦であるお嬢様を連れていこうとした。婚姻生活が二年目を過ぎた頃だったそうだ。妊娠の兆候がはっきりと現れたのと同時に癩を発病してしまった。癩に感染した母体の胎児は優生保護法の定めで強制堕胎させられる決まりになっている。そのことを知ったお嬢様は故郷に逃げた、腹の中の子を守ろうとする思いもあったろうし、実の父母に助けを求め、かくまって欲しかったのだろう」
お義父さまはここまでお話になると溜息とも深い息ともつかない呼吸で間を作りました。きっと話をお続けになって良いものなのかを自問自答していたのでしょう。そして重くなった口を開いたのです。
「堕胎の強要を逃れ、実家に舞い戻ったお嬢様の身を案じ何度もお屋敷に足を運んでみたが、姿を見つけることは出来なかった。お屋敷のご夫婦も真実を話すことは致さなかったし、かと言って詮索もはばかられた。すべては終わった事と思い始めた頃だった。ある夏の日、お屋敷のご主人がこの一枚の写真を持って私どもの自宅にやってきた。」
このあとの出来事を詳細に書き綴けると、それはこの世の出来事とは言いかねる文字を綴っていかなければなりません。人のおこないには悪と善があります。貴方自身も業病という言葉をお使いになっていらっしゃいます。
もし現世の悪業が輪廻の果てに呪いつくのであるならお嬢様を連れ去り、腹の子を堕胎させようとした者こそが呪われなければなりません。
長い手紙になってしまいました。貴方のお父さまから聞いた事が真実であり、それを文字として残すことが果たして許されるものなのかも分かりません。
一度、中途のような文面になってしまいますが筆を置いて投函させてください。検閲されてもお手紙が貴方のもとに届くようならば再度、このあとの出来事を書いてお送りいたします。
なによりもお元気でお過ごしくださいませ。
晃司さま、根をお詰めになさらず体力をご温存なさってくださいませ。
かしこ
昭和十一年六月二日
と志子