屑になりたい 第4話 炎に消えた黒い影〜
拝啓
貴女からの二通目の手紙を二ヶ月近く書棚に仕舞い込んだまま小説の執筆に専念していました。読むべきか、そして返信すべきか迷っていましたが、三つ折りにされた便箋の端はひとつひとつ綺麗に角が合わされていて、指を滑らせればきっと刃物のように切り傷ができるほどだろう丁寧に揃えられていました。
貴女が綴った文面を繰り返し読むたび、本当に貴女がこちらに来てしまうような気が致しますので再度お断り申し上げるために筆を取らせて頂きます。
面会は無用にお願い致します。
私が書き上げた小説の中でも記しましたが癩病は貴女の想像をはるかに超える醜態なのです。文字で彼らの醜態すべてを表す術を私は知りません。醜態という言葉が適切かどうかはさておき、私が収容されている全生病院がいかなるところなのかをお教えする事に致しましょう。
小説の前半に書いた大きな煙突についてまずはお話し致します。私が今いる全生病院のほんの片鱗だけでもお伝えすれば貴女のお気持ちを変える事ができるかもしれません。
煙突の長さはほぼ三十尺以上ありますが火葬場の煙突ではございません。私どものような病者の身体を焼き切るくらいなら一時もあれば充分ですので、大きな煙突などは必要ありません。死体は病院の敷地の西外れにある野原に運び、薪木を組んだ中に棺を置き入れ、油を撒き散らしながらじっくりと時間をかけて焼き切るのです。この火葬のことをおんぼ焼き』といいます。
ー今夜あたり重傷病者棟の喉をえぐられた男が息絶えるはずだから松の枯れ葉と小枝を集めて用意しておくか、薪木はあと何体分くらい残っているだろうかー
死んでいった病者を荼毘に伏すのも、この地に収容された我々、収容者の仕事なのです。
焼く前の遺体には蛆虫が這い、小さなゴキブリが穴という穴の中に棲みついています。蝿やゴキブリに身体を奪われても感覚がまったく無いのですから気が付きようがなく死体は食いつばまれていきます。
全生病院の外の地からでも見ることのできる長くて大きい煙突は私どもが持ち込んだ衣類や膿の付いた包帯など、癩の菌が付着していると思われる物すべてを燃やし尽くしてしまうための焼却炉の煙を空高く放つためのものだと聞いています。
癩病者の悪臭の根源である膿は洗ったくらいでは取り除けませんし、誰も触りたくはありませんから燃やし尽くすのです。
死してなお、この病院から亡骸となっても解放されることはなく、遺骨となっても引き取る肉親はいません。小説の中の短編二作品目に書きましたが、家族の中に癩病者を抱えてしまうと、たとえそれが幼な子であっても一家離散に陥る事は往々にしてございます。あの癩病と診断された小学生の子も、実の祖父の手によって川へ突き落とされ、溺れ死なせようとしたものを描いたのです。祖父が孫を川へ突き落として溺死させる。これは小説における空想ではございません。
癩の菌が体内に入ったとしても発病するまでの期間は長い者で二十年、短い者でも五年は要するようですので幼児の発症は哀れとしか言いようがございません。ですが、この病院の敷地の中には未成年者棟があり、勉学のための校舎もあります。狭いながら校庭もあり、幼くして発病した子でも無邪気に遊びまわっている光景を目にすることがございますが、この子たちにいったい何を学ばせれば良いものかと悩む事があります。
この子らの十年後は併設されている重症舎棟の住人となる以外ないのです。指先が内側に折れ曲がり、足が不自由になって切り取られ、さらに鼻先が腐り落ち、眼球が顔から抜け落ちていく。酷い醜態になってもなお脳だけは正常であり続けるのですから人に取り憑く病の中でこれほど惨いものはございません。肉体を失ったのちも死ねないのです。子らは自身の顛末をすでに承知しています。貴女にこの子達の気持ちがお解りになりますか。
次に私に起きた事を書き記しましょう。
私がこの病気に気が付いたのは貴女がお書きになられた手掌の火傷が癒え、包帯も取れてやっと手指に自由が戻った頃です。
寒い季節だったと記憶しています。朝起きてすぐに洗面台へ行き顔を洗いました。両の手で水をすくい上げ、自分の顔を五回か六回擦り洗い致しました。ふと手のひらを見ると細くて短い毛が数十本纏わりついていて、指の間にもこびり付くように数本の毛が水に流されず残されていました。
なんの毛だろうか、と思うくらいで気にも留めず鏡に目を移した時でした。私の片方の眉の毛はなんの痛みも感じずにすべて抜け落ち、一本もございませんでした。眉どころかまつ毛も無くなっていて自分の人相の異様さに気が付いたのです。
先だっての両手の火傷、今度は眉毛、まつ毛の脱毛に私は身のすくむ想いを致しました。
この時、初めて私の頭に癩病というふた文字が浮かびました。家族や親族に癩病を患った者はいません、ですが私には心当たりが御座いました。私の生家から歩いて数分のところに、とあるお方のお屋敷がございました。このお屋敷のご夫婦にはお子がおらず、母を早くに亡くした私にとってお屋敷のおばさまは優しく接してくださり、幼少期にひとりでよく訪ねたものです。ガラガラと開く玄関の三和土を隔てた左側には二頭の牛が飼われていて、今思うときっと農耕のために必要だったのでしょう。鶏も放し飼いにされたまま、いつも決まった場所にある藁の上に鶏卵をひとつ、ふたつ見つけることができました。
子のないご夫婦は私が訪ねるたびに小麦粉を産みたての卵で溶いて砂糖を加え、バターで焼き上げた洋風のおやつを作ってくださいました。おそらくカステラを真似て焼き上げたもので『流し焼き』という名の菓子だそうです。二十畳はあるだろう居間の端には黒くて大きなボンボン時計が置いてあり、午後の三時を告げるボーン・ボーンと鳴るモノ悲しい音が聞こえるまでこのお屋敷に入り浸っていたものです。
居間の左奥に、もう一つ襖戸で隔てられた部屋がありました。ある日、いつものように片手に焼いていただいた流し焼きを持ちながら居間の隅にポツンと独り、膝を立てて食べていました。この時、私の記憶の中にお屋敷のご夫婦はおりません。襖戸の向こう側から「うぅぅ、うぅぅ』とうめくような小さい声が聞こえてきたのです。私は何のためらいもなく襖戸を開けると、部屋の中には緑色の大きな蚊帳が張られてあり、蚊帳の中に布団が一式、敷かれていて成人した男性と思われる方が仰向きに寝ていました。私は一瞬、後退りして部屋から出ていこうとしましたが、男のおそらくは成人と思われる方の言葉が私の身体を動かせなくさせ、その場に佇んだのです。
「坊、いつも来る坊やだね、どこの子なんだい。」
薄茶色に汚れた下着だけを身に付けていた男の問いに答えることができなかったのは、その男の異様な風体のためだったと思います。左目はあるのですが右の眼球はなく、丸く抜けた窪みから柔らかそうな桃色の肉が盛り上がり、黄色い汁を垂らしていました。私は男の問いには答えず、逆に右目の眼球が無い事を聞きました。
「兄さま、兄さまの目ん玉、どこいったんだ。」
成人らしい男は私の問いに笑みを含ませるようにして言葉を返してきました。
「右の目ん玉は二日前の晩に落っこちてしまった。坊、きっとそこら辺に落ちたまま、坊のことを見つめているはずだから一緒に探してくれないか。」
男は冗談まじりに私を揶揄ったのですが、私は蚊帳の外回りを隈なく探し始めました。蚊帳の外側には和箪笥と鬼灯がひとつ置かれたちゃぶ台があるだけで書物もラジオもありません。
「兄さま、兄さまの目ん玉、落ちてないぞ。」
そう言い返すと男は蚊帳の中の布団から上半身だけを起こし上げました。この時、私は男の顔全体と上半身を見つめる事になります。
鼻先は無く、ただ四角い穴がひとつあるだけで下唇は垂れ下がり、口を結ぶ事もままならないらしい事、常に口角から涎が垂れ落ち、失われた眼球の肉塊には米粒ほどのゴキブリが数匹這いずっていました。背を上げようと背後に向けられた腕の指先は握り拳のように硬く固まっていて、決して開くことはできないようでした。
この時、私は男の左目と視線が合ったのです。眉毛もまつ毛もただの一本も生えていない異様な風体を目の当たりにしたのです。
「兄さまはお病気なのか、身体中、膿がいっぱいの黄色い包帯だらけだ。」
幼子の言葉は時に残酷です。臆するという事を知らない私は男の容姿に驚きながらも好奇心が優り勝って聞いてしまったのです。
「坊、病気というより業だ。私が生まれる前より決められていた定めだ。前世の私は罪人だったそうだ。だから現世の私に悪業が取り憑いている、わかるか。」
私には男の話した悪業とか前世とか現世など解りません。解りもしないのに男の言葉に応じたのです。
「うん、わかった。兄さまは身体が痛いのか、悪い事をしたからバチが当たったのか。」
そう言い返したのです。
「私が悪さをしたのではない。私の魂を盗んだ人間が悪さをしたんだ。それなのに私が身代わりになって罰を受けている。身体中の神経が熱い、痛くてたまらん、業病だ。」
ますます理解できない話にも関わらず、私は「兄さまは悪さをしていないのに罰を受けているんだな。かわいそうだ、かわいそうだ、おばちゃんに焼いていただいた流し焼きを半分だけあげる。食べるか、美味しいぞ。』
冷たくなってしまった『流し焼き』を手でちぎって蚊帳の中にいる成人の男の口元に渡そうとすると、決して開くことのない左右の手を伸ばし上げて挟み込みように受け取り、そのまま口に運びました。指は5本ともあるのですが拳のままで使えません。関節という関節が内側に縮こまり、こけし人形の頭のように硬く丸まっているのです。よくよく見ると伸び過ぎた爪先が手のひらに食い込んでいる箇所があり、膿が出ていました。
「兄さまはかわいそうか、そうだなぁ、坊、私はかわいそうなんだ。でもな、もうすぐ終わる、痛みも熱さも感じなくなる、何もかもが無くなるんだ。」
やはり男の言葉を理解することは出来ませんでしたが、『流し焼き』を食べ終わると上半身を元の布団に戻し、開くことのない腕を使って毛布を手繰り寄せました。
私がこのお屋敷に通ったのは一年に満たない間だったと思います。襖戸の中にいる男と直接お会いしたのは数えるほどです。ですが、私が癩をもらった場所はこのお屋敷以外には御座いません。人は業病だ、遺伝病だといいますが、私の病はあのお屋敷にいた男から感染したに違いありません。
後日、このお屋敷は燃え尽きて無くなってしまいました。この時の事は昨夜見た夢の如く覚えています。
もうすぐ春になるという季節の深夜でした。
村の消防団たちの大きな声に目が覚めて、木戸の隙間から外を見渡すと男の住むお屋敷が炎につつみ込まれていました。住人は病人の男を含めて三人のはずです。父は物音に気が付かずに寝入っていましたので、私は寝着物のまま突っ掛けを履いて男の住むお屋敷に走っていきました。
私が到着した時には既に、お屋敷の藁屋根から炎はまっすぐ天に向かって噴き出していて、火の勢いに恐ろしささえ感じるほどで消し切る術は無いようでした。敷地の外には放たれて自由を得たニ頭の牛が火と熱風を恐れて円を描くようにクルクル廻り歩きしていましたし、放し飼いにされていた鶏も生きながらえていました。
➖あの兄さまも逃げ出せているのだろうか➖
そんな思いが頭の中をよぎった時でした。
燃え上がり続ける炎の中から「うおぉぉぉ」という大きな叫び声と共に両手を挙げた真っ黒い人影がお屋敷の中で立ち上がったのです。
私は男がまだ炎の中にいると確信いたしましたが、子供の力や思いなどでどうにかなる事ではございません。影はこちらに向かうのではなく、お屋敷の奥へ向かって小さくなっていき、膝を折るような姿勢を最後にして消えて無くなりました。
翌日、柱が黒い鱗のような煤状に焼き切られながらも、立ち残っている中から男の焼死体だけが見つかりました。
お屋敷のご夫婦はこの夜、自宅にはおらず無事でしたが火災の原因が付け火によるものであると断定され、ご夫婦に嫌疑が掛かりました。
三和土の左側で飼われていた牛をあえて外に放ち、闘病の男だけが亡くなられたのですから、付け火をしたのはご夫婦ではない事は明白でした。きっと男は長い年月を共に過ごしてきた牛たちを巻き添いにせぬようにした後、ご自身の寝床に油を放ち、火を付けたのでしょう。
ところがこの火事の顛末を調べているうちに奇妙な事実がわかりました。私が訪ねていたお屋敷の住人はご夫婦のお二人のみであり、私が兄さまと呼んでいた男の所在を証す謄本が存在していなかったのです。
火災による遺体は確かに運び出されている。しかし、この遺体が誰なのか判らずに数日が経ちました。私の自宅に村の役人さまと警察関連の方と思われる二名が来て、私の父が玄関先で事情聴取という質疑を受けていました。私は父にもお屋敷に病気の男がいる事を話してはいませんでした。何故か幼かった私には焼き出された男は人間ではなく、得体のしれない妖怪のような気がしていたのです。決して口外してはいけない存在だと思い込んでいたのでしょう。
父も役人さまの問いに「知らぬ」としか答えようがございません。
役人の目が自宅の奥にいた私に向けられると、何が楽しいのか分からない笑顔を作って飴玉をちらつかせながら手招きしてきました。
「坊、坊は幾つなんだい。」
役人の問いに私は素直に答えていくしかありません。
「五歳だ。」
「火事で燃えてしまったお屋敷に遊びに行ったことがあるね。」
「うん、何度も行っている。」
「なにをしに遊びに行ったんだい。」
「おばちゃんが流し焼きを作ってくれるんだ。」
「流し焼きかぁ、ひとりで食べるのか。」
「ちがう、兄さまと一緒だ。」
「兄さまってなんという名なんだい。」
「ゴウだ、ゴウの兄さまだ。」
私は役人の問いに次々、答えていきました。それも正直に、あまりにも具体的に言葉にしたのです。
「ゴウの兄さまはどんな人なんだい。」
「お病気だ。目ん玉が落っこちて一個ない。お化けみたいな兄さまだ。」
お屋敷は再建築されることなく、私を可愛がってくれたご夫婦も消えるように村を去りました。私が話をした具体的な内容が証となり、ご夫婦は村に居られなくなってしまったのでしょう。
癩に苦しんだ男は襖戸で仕切られた部屋に油を撒き散らし焼身したのですが、村の台帳記録によるとお屋敷のご夫婦には嫁いで村を離れていった娘さんと、十二年も前に亡くなられた息子さんがいたことを示す除籍謄本の記述が残されていました。
癩を患った者に快復はありません。そこにあるのは生き地獄だけなのです。
敬具
昭和十一年四月二十日
七條 晃司