屑になりたい 第2話 未来なき者
拝啓
まだ一年と僅かな月日しか経っていないにも関わらず封書の裏に書かれた貴女のお名前と文字を見つめ、懐かしさを感じる日々を送っていました。籍を入れて一年にも満たないのにこんな病を患ってしまった私は夫として失格者そのものですね。そんな私が封を切って良いものか、文面を読まずに貴女の予測通り宛先不明の書簡扱いにした方がお互いのためではないかと思案し続けていました。
しかしよくよく見ると、封はすでに開かれた痕跡があり、貴女がお書きになられた手紙の文字もお役人による検閲によって読まれてから私のもとに手渡されたようです。
私がいる全生病院における外部との書簡のやりとりはたとえ夫婦間のものであろうとも、全て職員の何者かによって検閲され、お国の方針に無害である事が認められないと郵送はままならぬ事を改めて知りました。個人の郵送物であっても第三者により検閲されるのですから、私が書いた小説の原稿など、よくもK先生のご自宅に届いたものだと思わざるを得ません。
貴女のお手紙に書かれていた事にのみお答え致しましょう。それ以外の事については触れないでおくことに致します。
私は癩病(らい病)を発症し、既に症状ははっきりと自覚できています。ただ軽症の範疇にあり生活に困難をきたすような事は御座いません。発熱する事をこちらでは『火が入った』と言います。癩菌が神経に噛みつき、手先や足先を這いずり動く時に『火が入る』のですが、今の私にはその兆候は御座いません。
私が書いた小説の説明は致しませんが、決してこの先、自死などは致しません。
癩病を患った者であれば誰もが人生の終わり、社会からの抹殺を思い、生きながらにして肉体だけが腐り落ちていく恐怖に慄くものです。私は小説の中にいる主人公の言葉と行動を綴って、癩病と診断が確定された者の心情を代弁し、病を受け入れたのちに現実と折り合うしかない状況におかれた癩者の精神の強靭さを対比させたかったのです。
それ故に、私が癩病に罹った事を哀れむのはおやめください。むしろ小説の画期的なる題材を得られたとお思いください。
私は死を選んだりは致しません。癩菌が眼球をえぐり取り、手指をもぎ取るそのときまで書いて、書き続けて小説家として大成してみせます。著名になり、貴女のもとにも作家としての名が知れ渡ったとしても、それが私であるとはきっと知らずに生きていくのであろうと想像しておりましたのに、こんなにも早く著者が私であると気が付かれたのは流石、無類の読書家ですね。
貴女のお手紙にあった巡査の安藤様のお名前、やはり私にとっては既に過去の人になっていたようで懐かしさを感じました。きっと小説の中に書いてしまった病院内の焼却場に使われている大きな煙突の記述が私の居場所を伝えたのでしょう。お元気でいらっしゃるとご推察致します。安藤様のお計らいにより、私は四国の病院ではなく東京のここ、全生病院に辿り着く事が出来ました。一生涯、退院することが叶わない身なら東京との疎通が関東近辺に収容病院が良い方がいいだろうと私に選択の余地を与えてくださいましたのは安藤様です。
もし、導かれるまま隔離収容されていたら私は四国の瀬戸内にある離れ小島に連れていかれたはずです。本土との連絡船もなく、橋もない島だそうですので小説の執筆などもせず、ただただ放浪な日々の果てに自死していたかもしれません。
末筆になりますが私の元にはお越しにならないでください。
面会の文字がございましたが私はやっとの思いで我が身に生じた災いともいうべき病を受け入れたのです。将来のない身ならば過去にはこだわりたくはございませんし、貴女にとっても何ら良き事があろうはず御座いません。
封書の裏に書かれた貴女の名を見つけた時、確かに私は嬉しく懐かしむ思いを抱きました、しかしその嬉しい思いの跡を追いかけるようにうっすらと纏いついてくる不安を抱きました。何に対する不安なのか定かでは御座いませんでしたが、今こうして貴女宛ての手紙を書いていると解ります。なにひとつ変わる事のない現実に逆行する無意味さが不安を生じさせているようです。
生きた証を残したい、誰もが思う事でしょう。命を惜しむつもりはございませんが名を、小説家としての名を残したい一心でK先生に原稿を送りつけました。そう、送りつけたという言い方が相応しいでしょう。私如き、名も無き病者が書きなぐった原稿をK先生はお読みくださり、出版に至るまでご尽力いただいたのですから、これから先は私の身に取り憑く非難や差別をすべて受け止めて生きていきます。貴女にお会いする時は既にございません。やっと処女作が本屋に並んだに過ぎません。
どうかこの手紙をもって私との交流はお終いにしてください。
離縁証に私の本名と今いる全生病院の住所を書き入れて同封致しました。頃合いをみて役場に提出してください。連判の者は貴女の方でご用意願います。
寒さ厳しき折、ご自愛なさってください。
敬具
昭和十年十二月十八日
七條 晃司