第18話 名称変更 国立療養所 多磨全生園
拝啓
最後にお送りしたあの手紙から90年という歳月が経ちました。
貴方が作家としてお暮らしになられていた全生病院は名を変えて、今は国立療養所多磨全生園というそうです。病院の二文字が消えて、療養のための施設になったそうです。
不思議なものですね。あれほど人々から憎まれ、嫌われていた癩病も、いつの頃からかハンセン病と名を変え、お国の定めた法さえ消えて無くなりました。
人民浄化という企みを消すのに90年以上もかかってしまいましたね。
そうそう、無くなったと言えば、貴方がお書きになられた小説に出てくる大きな煙突も昭和62年に倒されました。煙突の天辺に太い紐を幾重にも掛けて引っ張り、横倒しにされてしまいました。
きっと、途中から折れるだろうと見守っていたのですが、煙突は根本から見事に倒れ地響きを伝えていました。
倒れた煙突の内側を見てみると、真っ黒い煤が幾重にも厚く重なっていて、スコップを使って煤を掻き出しても、掻き出しても、永遠に無くなりません。
貴方がここ、全生病院にたどり着いた時に着ていた服やズボン、神谷スエさんの藍色の着物と帯もきっと、黒い煤になるまで焼き切られた後、煙突に留まり全生病院の90年間を静かに見ていたはずです。
そこに怒りのお気持ちはございましたか。
悔しいですね。悲しいですね。
いったい誰を恨めばいいのでしょうか。
恨む相手がいれば少しは気が落ち着くかもしれませんのに誰一人、あの頃の無情を覚えている人がいない時代になってしまいました。
名を変えた療養所の中でも古くなり過ぎた重傷棟を建て直すために、取り壊し、土を掘り起こして基礎造りの整地をおこなっていました。掘り起こした土は、90年前、貴方が小説の中で書かれたように、ひとところに集められると小山を作っていました
風に煽られれば土煙を舞い上がらせ、雨が降るたびに積まれた土は削り落とされながらも、小山は少しずつ大きく積み上げられていきました。
貴方がお作りになられた小山は望郷の丘と言いましたね。あの丘には刹那というふた文字が埋もれながらも、八重の桜や皐月の樹々を携えて美しく残されています。
登りくる方々に望郷はございませんでしょうが「貴方が運び、積んだ土には、今も貴方の思い入れがきっと残っているはず」と感慨を胸のうちに忍ばせるお方もいるようです。
廃材と共に溢れ出た残土の小山から茶の色をしたガラスの破片が、先を尖らせ、まるで牙を向けているように幾つも幾つも見つかります。きっと手を傷付けないように取り除いているのでしょう。
ガラスの破片を無くした土を振るうと、土色に隠されている石がいっぱい出てきました。拾われた人たちが、水を掛けて土を洗い流すと、それは石ではなく小さな骨でした。きっと、手の指か足の指だと思います。
少し深い場所を掘っていた男の方が拾われたのは割れたお皿のような形をした頭の骨でした。
拾っては水で洗い流し、人の骨だと判ると麻の袋に入れていく。何人もの人がこの作業をおこなっていました。
この小山にいったい何人の胎児が埋められていたのでしょう。百人、二百人、いいえ千にも及ぶ遺骨が見つかりました。
晃司さま、いいえ、今日は北条民雄さまと言いましょう。
貴方は90年も前に、この日が来ることを綴っていました。貴方は知っていたのですね。そう、貴方は小説の中で「屑になりたい」とお書きになり、この遺骨の眠っている場所を教えてくださっています。
生まれくることができなかった癩者の子達がやっと埋葬される時がきました。
貴方が書き記したことで報われる魂が無数にあったのです。
でも、民雄さま、予測が外れたものもございます。
全生病院は鬼ヶ島にはなりませんでした。木々のみどりが美しい公園のように変わりました。春には菜の花と梅が可憐に咲き、ソメイヨシノの樹々も残されています。この桜並木の道を作ったのはあの日の貴方でしょう。
今、貴方はどちらにいますか?もちろん、肉体ではございません。
この全生病院の納骨堂に貴方のお名前は見つけられませんでした。七條晃司も北条民雄の名も刻まれておりません。
私はまた、貴方を探しに遠い遠い旅に出なくてはいけないようですね。
私は徳島の地に眠っております。
大きな蜜柑の木から北へ向かった場所におります。お分かりになりますか。二人の故郷ですもの。きっと貴方は「あそこに眠っているのか…‥」と思うはずです。
元妻の、女の勘とでも言えば良いのでしょう。
今回も私の勘は当たると信じて筆を置くことに致します。
かしこ
2020年3月20日
と志子




