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屑になりたい 第16話 最後の手紙 

 拝啓


 貴女からの最後の手紙を読み、返信をせず音信を断とうと思いました。しかし私も人生最後の手紙を貴女宛に書き綴らせていただく事に致します。


 おそらく、この手紙が貴女のもとへ届き、お読みになられる頃、私はこの世のものでは御座いません。自死など致さずとも神仏は私から、この腐り始めた肉体を剥ぎ取るよりも先に、魂を欲しがられたようです。


 私は癩者であるにも関わらず、癩の菌にさえ見捨てられました。今はか細い食を保ちながら下血と極度の貧血に気を失いかけています。自分の書いている文字さえ歪んで見えているほどです。こんなにも早く私の予測を裏切り、生涯を終えようとは微塵も思っていませんでした。


 医者の診立てでは腸に結核の菌が棲みついたらしく既に手の施しようがないそうです。いったい結核菌など、どこから入り込んだのだろうと思いながらつくづく病に好かれる我が身に嫌気が差しています。


 癩病と診断されたあの日、あるいはこの全生病院に収容された時、すでに命を惜しむ気持ちは捨ててしまいましたから、今さら死に直面して生を乞いるような恥さらしな言葉は綴りません。ですが小説家として大成したかった。幾つかの作品を書き上げましたが、やはりどの作品も『癩文学』の範疇から抜けることなく執筆されたものばかりが目に並んでいます。


 自分で『癩文学』という括りを嫌っておきながら、結局のところ自身の身に起きた病苦、収容病院の非業から抜け出すことが出来ずにここに死を迎えます。


 癩という病気が全世界から消滅したとき、私の書き上げた文学も消えてしまうのでしょう。私は結局、癩から逃げられなかった。画期的なる題材を得たと最初の手紙で書いた記憶がございますが、癩病が撲滅されると同時に私の書き上げた作品は何ら意味を持たぬ『お伽話』となり、癩者は赤鬼の如く正体不明のものと化す、全生病院は人の棲む事なき鬼ヶ島に過ぎません。


 私は屑にもなれずに貴女から去っていった。私が死したのちは貴女に送った手紙を焼き捨ててください。せめて手紙だけでも燃え屑となって天寿を全うさせてください。


 死を受け入れたこの時、無念、このニ文字しか浮かびません。もっともっと書きたかった、貴女にも書き伝えたい事が山ほどあるような気が致します。ですが私たちが夫婦でいられたのは僅か一年のみですので私の思いは過去ではなく未来に向かえない無念さから湧いてくるのでしょう。


 貴女が労苦を惜しまず栗生楽生病院に出掛けられた事で、私は真の母の骨を拾い上げる事が出来ました。加賀谷という本名から一文字だけ変えて神谷という偽名を貫き通したスエさんは紛れもなく私の母でしょう。


 死の床に伏せた今、仲田徳次郎住職が私を見舞いにおいで下さりました。目の見えぬ1住職は私の頬を両手で摩りながら「後悔はないか」そう尋ねられました。私は魔を置かずして「はい、後悔も未練も御座いません。ただ無念で御座います」と言葉を返しました。


 「そうか、無念か、名を惜しむか、命を惜しまずに名だけを惜しむか」


 「はい、癩と診断されたのちは作家となるべき道のみに精進してきました。そうでなければ私如き者があのK先生に、自身の作品を送り付けたり出来ません。無礼を承知で郵送致しました。私など生きているだけでも無礼者で御座いましょうに、手段を選ばず進むのみで御座いました」


 私の言葉を聞いた住職は私の両手を握りしめ抱きかかえようとしながら言葉を続けました。


 「手段を選ばずに進むのみとは母親そっくりです。神谷スエさん、いいや、貴方にとっては加賀谷スエさんは自死する数日前、お子を産んだことがあると私にお話しくださいました。今、貴方は死に向かっている。ですので貴方の知らない出生時のことをお話し致します」


 「仲田住職、私はもうすぐ死ぬのです。今さら出生の秘め事など聞きたくは御座いません」


 住職は私の言葉を聞き入れずに話をお続きになられました。


 「貴方はすべてを知ったうえで死を迎えるべきです。そうしなければスエさんが、お母さまが報われません」


 仲田徳次郎という男と出会って三年以上になりますが、彼の叱責混じる声を聞いたのは初めてでした。


 「スエさんは幼い貴方を抱え、草津へ向かいました。しかし草津の湯治場は幼子を抱える女の脚では遠すぎました。襤褸布のような服を纏ったスエさんが川越にある末寺に逃れ込んできたのは雨ばかりの多い季節でした。お子のみを寺勤めの坊主に託して独り、東京へ向かったと聞いています。寺には遺言と記された手紙も残されていました。


 ー徳島の那賀郡にいらっしゃる七條家に子をお届けください。養子としてではなくご自身の子として育てて欲しいのです。この願い叶えてくださいますなら一生涯、母として名乗り出は致しませんー


私を徳島の父のところに導いたのは仲田徳次郎住職でした。住職は本寺の僧を継ぐはずであった身分であり、末寺に残された私を引き取ると自ら旅支度を始めました。


 ーこの赤子の母親は私同様、癩病者なのか。私の祖母も癩を罹ったのちに幼い私を残して自死した。りんねよ、いずれこの僧も輪廻ののち寺を去るときがこようー


 仲田僧侶は寺に残された私と手紙を見つめ、自ら徳島行きを名乗り出たそうです。


 ー徳島の七條家にこの赤子を預けたのち、私は寺には戻らぬ。寺に戻らずに全生病院に向かう。名に徳島の一字を頂き徳次郎と改名する。時が経ち、この子の出生を尋ねてくる者がきっと現れる。真実を伝えるべき時が来たら私を探し出せるよう徳のひと文字を使わせていただくこととするー


 父は加賀谷家にまつわる黒い血のこと、お屋敷のお嬢様の事、私の出生の秘め事を知っている唯一の人物でしたので仲田徳次郎住職が連れてきた赤子である私を実子として受け入れたのです。


 加賀谷という本名から一文字だけ変えて神谷という偽名を貫き通したスエさんは紛れもなく私の母でした。


 私の実家に残されていた古い姉弟の映る写真を見てみたかった。若き日の母は美しかったのですね、命を掛けて私をお産みくださりながらも癩病は母の容姿を崩し尽くしていった。

 やはり母である神谷スエさまも無念であったろうこと容易く察せられます。


 癩病撲滅のちの五十年、いやもっと遠い百年後、人知を遥かに超える新たなる疫病が人々に襲いかかってきたとき、私たち親子のような人間を再度甦らせる事になるかもしれません。病原菌が人相や形相、さらには心根までもを崩し変えてしまい、差別と偏見が再び顔を出す時がきっと来るでしょう。しかしそれは人類が望むべき未来では決してないはずですから、私の文学は封印されたまま屑と化す。


 ならば、わたしは屑になりたい。


 私の創作した文学と共に世から封印された屑になりたい。医学は人の犠牲の上に進歩していくものですが同じ過ちを犯さぬ事もまた人の責務でしょうから、私は名も無き犠牲者になりましょう。


 いよいよ最期の時が来たようです。


 この貴女宛の手紙を書き始めてからすでに五日が経ちます。私が入る棺桶は用意されたようですし、安置室は一人分しか御座いません。私の肉体が火葬を終えて骨だけが拾い上げられても、きっと故郷に戻ることはないでしょう。


 出来る事ならあの『大きな蜜柑の木』の見える処に埋葬して欲しかった。石碑など不必要、墓碑も墓標も戒名もいりません。


 死してなお故郷を想う、貴女と出逢い、暮らした村に帰りたかった。燃え尽きてしまった姉弟の写真が見たかった。


 しみじみ思う

 怖しい病気に憑かれしものかな、と

 慟哭したし

 泣き叫びたし

 この心如何せん  (北条民雄の詩)


             敬具


                昭和十二年十二月四日


                北条民雄こと、七条晃司


 

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