屑になりたい 第10話 望郷の丘
拝啓
まずはお伝えせねばならぬ事から書くことに致します。私が執筆した小説は第3回芥川賞の候補までで終わりました。だからと言って落胆などしておりません。私の生涯のすべての時を捧げ、小説の執筆を続けていく覚悟をさらに強く抱くようになりました。目が見えなくなり、指が曲がりくねるその日が来るまで原稿の紙に日々、人として生まれてきた使命の獄を書き続けていきます。私は『癩文学』という括りを嫌います。誰でもがそうでしょうが自分の身に生じた病気や戦争の悲劇などをひと括りにされて『闘病記』とか『反戦小説』という小さき分野に押し留められるのは間違いであると感じています。病苦を執筆するだけなら誰でもが小説家になれるはずです。病苦を乗り越え、治らぬ病ならその根源たる人の哀れさ、儚さ、意地の悪さを超越したものを書き続けねば真の小説とは言えぬでしょう。
ご覧なさい、ただ死を前に嘆く者の無情さを、笑い飛ばしなさい自己と折り合えぬ自殺者の顛末を。私は自分の周りにいる哀れなる癩者を侮蔑しています。現実を受け入れられず、痛いの早く死にたいのと嘆いては何一つ解決策を持たぬ愚か者たちを白眼致します。
今、私が棲み処としている全生病院の裏門から樹々を抜け、まっすぐに進める新たな路を作る計画が実行されています。
作業は私を含めた軽症者を募っておこなわれているのですが土を掘り、踏み石を隙間なく敷き詰めて雨が降っても水溜りが出来ないように整地するのです。
こんな作業に貴重な時間を奪われたくないと思いながら手を貸しましたが、何もない地に平石を隙間なく踏み固め、路を作る事とサラ紙に文字を書き込んで物語を創作していく作業は似通っています。脚が不自由であっても目が見えなくても陽光と風の中を歩いてみたいものでしょう。あるいは目見えぬ者であっても文学に接したいものです。どことなく似ていると思いませんか。作られていく路の端々にはソメイヨシノの苗木を植えるそうです。この路が出来ると全生病院の敷地内には十字に延びる鋪道が完成します。
掘り起こした土を東側の空き地のひとところに集めると小山が出来上がりました。この小山を『望郷の丘』と名付けたそうです。この丘は収容施設棟の屋根の高さも超えません。丘の上まで登り辿れば、確かに遠く彼方まで続く畑の向こうに武蔵野の緑が一望できますが、ただの気休めにしかなりません。我々、癩者が集まって何かを成そうとしても戯言に過ぎないのです。
貴女は草津へ行かれたとお書きになりましたが、その旅に何らかの意味合いはございましたか。
なぜ無意味な事に、それも面識もない癩者の女性に会おうとなさいましたか。それこそが哀れみというものなのです。人は哀れみに包まれて生気を失くす生き物です。生気無きものは自ら死を選び、他者にとってはただの遺物に過ぎないのです。
徳島の実家近くにあったお屋敷はもうありません。業の男は私の目の前で炎に焼き崩れて死んだのです。そして一家は離散していったのです。自ら消えていくことを選んだ者たちを追いかけてはいけません。それこそ興味本位というべき行動でしょう。その行動から誰かが救われるのなら話は異なりますが、あのお屋敷の住人はもうどこにもいないのです。
貴女のお手紙にあった仲田徳次郎さんも神谷スエさんも存じております。この二人は同じ重症者棟の隣部屋に入居されています。仲田さんはすでに両目を失くされていますが手足は伴われていて、お元気と言えばそうも言えます。病院内にある粗末な寺院において宗派を異問わずに住職をお務めされています。弱き癩者の相談役とでもいえば良いでしょうか、信望あるお人です。
神谷スエさんは非常に重篤な状態にあります。両の眼球は抜け落ち、左腕と両足を切断していて介添え者がいなければ生きてはいけない状態です。ただ知能と五臓六腑は丈夫なようで、ただちに死を予感させる事はございません。
この二人は仲が良く藤山一郎の『東京ラプソディー』を一緒に歌っているのを聞いた事があります。
貴女は神谷スエさんをあのお屋敷のお嬢様とお思いのようですが、私が見たところ背は低く、小太りであり決して白百合の花を思い描けるような容姿ではございません。左腕が無いので指輪の有無は確認の仕様がありませんが、おそらく何を聞いても過去の事はお話にならないでしょう。
さらには神谷スエさんは御自身の運命に従い、ここ全生病院での生活を楽しんでいるように思われるのです。このまま何も聞かずにいるのが温情というものです。私が見る限り彼女は幸せそうに思えてしまうのです。手足を失くして眼球を失っても現実を受け入れ、未来を求めずに今を楽しんでいるようです。
人は五体満足であるから他者と争わなくてはなりません。ですが、ただ生きているだけの屍になれば争いごとは起こしません。避けているのではなく争うモノがないのですから、これほどの幸福も御座いませんでしょう。
と志子さん、貴女は私と会う前の貴女に戻るべきです。幸いなことに私たちの間に子は出来ませんでしたし、再婚して幸せな人生をやり直してください。私の事も神谷スエさんの事も詮索などせずにそっとしておいてください。過去を蒸し返すことは不幸を再認識させることなのです。再度、離縁書を同封致します。
火を点けて燃やす前に役場へ持ち込んで下さい。
敬具
昭和十二年四月八日
七条 晃司




