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「春の裾」  作者: 宇地流ゆう
第2話 祈りと束縛
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2. 礼拝堂


 

 「まだ僕のこと何も知らないだろ?」–−–−−


 義理の弟であるユアンの使いと、邸の者が密通をしているのを見てしまった私。彼らが取引していた包みの中身を「君に上げるよ」という彼に連れられて礼拝堂に入った私は、そこで信心深く祈りを捧げる彼に驚く.....


少し冷たい夜風があたりの木々を揺らすなか、わたしは手にランプを抱えながら、その黒々とした古い礼拝堂を前にして、ため息をついた。


ここへ来てからというもの、この屋敷の中では一番お世話になっている場所かもしれない。


 屋敷の人達と来たら、表向きは信仰深さと謙虚さを装っているが、実際にこの礼拝堂に来て毎日祈っている人間はほとんど見かけなかった。


 むしろ人がめったに来ないために、その石造りの礼拝堂は手入れもされておらず、壁には蔦がからんで、まわりには草が生い茂っている。


 おかげで、ここはわたしにとって屋敷の中で唯一独りで静かになれる場所だった。


 ご婦人達との「親睦」に疲れたり、誰にも会いたくないときはここへ来て、特に礼拝をすることもなく、ただ座って考えごとをしたり、読書をしたり手紙を書いたりする。


わたし達が結婚式を挙げた大きな教会は領地の教区にある主教会で、ここから少し離れたところにある。 

 だからこの礼拝堂はどちらかというと屋敷に付属した、せめてもの信仰の印だった−−−−実際は、わたしの密かな逃げ場となっている−−−−いや、なっていたと言うべきか、今の今までは。


 そこまで考えてもう一度ため息を漏らした時、突然後ろから声がかかる。


「ジゼル姉さん」


 辺りが暗く静まり返っていただけに、わたしは思わず肩をびくつかせる。


「はは、そんなに驚かなくっても。僕ですよ、ユアンです」


 またもや幽霊のように音もなく現れる、いささか不気味な義理の弟を振り返って、わたしは微妙な笑みを見せた。


「嫌だわ、ユアン。また幽霊ごっこ?それに姉さんはやめてと言ったでしょ」


 ユアンはそれには応えず、一瞬鋭い視線で辺りを見回してから、わたしの耳元近くにすっと顔を寄せて小声で言う。


「約束通り、1人で来てくれて嬉しいです」


 わたしと一緒に来てくれるような用心棒が味方についているとでも思ったのだろうか。それとも、他の使用人につけられていないか確認したといったところか。


「さて、夜のお祈りをしましょうか?」


 そう言ったユアンはいかにも優しげな笑みを浮かべながら、木製の軋むドアを開けてわたしを迎え入れていた。


 礼拝堂の中は、誰が灯したのか、数本の燭台に灯る蝋燭によって薄暗く照らされている。

 

 わたしは、有無を言わさない彼の顔を見つめながら、普段は入り慣れているはずの堂内に警戒しながら足を踏み入れた。


 ユアンは後ろ手でドアを閉めるや否や、上着のポケットから鍵の束を取り出して慣れた手つきで内鍵を掛ける。というか、内鍵を掛けること自体、わたしは知らなかった。


「姉さんはよくここの礼拝堂に一人で来るんだってね」


 わたしがここを密かな避難場所にしているところも調査済みときた。内外の鍵も所有するユアンを前に、もうわたしの逃げ場はなくなってしまったことだけははっきりとしている。


 昨日初めて会ったとは思えないほどの支配力に、留守の間も彼の耳や目として働く者達に、わたしも密かに行動を監視されていたに違いないと思い始める。

 いったいこの屋敷に何人彼のために情報収集する使用人がいるのだろう?


「……なぜ鍵を?」


 私が慎重に伺うと、


「誰にも邪魔されたくないからね」


 と、彼はわたしを間近で見つめながら、静かに瞳を輝かせた。


 それを見ると、何とも言えない緊張と不安が襲う。


 冷静に考えれば、昨日わたしにナイフを突きつけていた人物に脅されて、こんな人目のつかない場所にのこのこやって来たわたしは、早速監禁状態にあるのだ。


 昨日の小包みをあげるだなんて言った彼だが、本当のところ何をされるかわからない−−−−今更自分の落ちてしまった罠に気づくようにわたしは立ち尽くした。


「さて」と、ユアンはスッと私の持っていたランプを受け取って、軽く手を引きながら礼拝堂の真ん中を進む。


「ジゼル?夜のお祈りをするんだろ?」


 彼は一番前の列の席に座ると、優しくわたしを招いた。彼の前には、質素だが美しい磔刑のイエスキリストの石膏像が飾られ、蝋燭の明かりによって妖しく照らされている。


「え?」


 わたしはいささか拍子抜けして聞き返す。


「なんだ、君って信心深いと思ったんだけど」


 ユアンが眉を上げながら言うので、わたしは昨日の悪魔のような態度を見せていた人物を思い出して言い返す。


「あ、あなたこそお祈りなんてするタチじゃないじゃない」


 信仰より合理的な打算と計画を取りそうなユアンに、礼拝堂はまったく似合わない。すると、彼は今まで見せたことのない自然な微笑みを見せた。


「まだ僕のこと何も知らないだろ。さ、隣に座って」


 そう言われると、素直に隣に座らざるを得ない。一人の人間の中に、全く性格の違ういくつもの人間が共存して、かわるがわる役割交代しているみたいだ。


 言われるように彼の隣に座ると、彼はにこりと笑って、祭壇へ向き直ると両手を合わせて目を閉じた。


 彼は聖書からの引用文を静かに唱え始めたが、それはわたしの父がよく口にしていて、わたしも幼い頃から慣れ親しんだ章だったので、私は驚きも隠せずに、ちらりと横目で彼を見つめる。


「主よ、わたしにこの生を、生の大いなる喜びとともに授けてくださったことを感謝します。アーメン」


 私が呆然とその姿を眺めていると、彼はこちらを一瞥して、「君もお祈りしないのかい?」といったような視線を送る。


 私はハッとして、彼が読んだものとは違う文節を小声で唱えて、両手を静かに合わせた。


 そして、なんとかして落ち着かない心を抑えようと、目を閉じながらお祈りに集中しようとする。


 大丈夫よ、大丈夫。神様が助けてくれるわ。たとえどんな悪魔が手招きしてこようと、わたしは惑わされない。わたしには信じる心があるんだから……


 そう自分に言い聞かせながら、礼拝堂の静けさに包まれて、やっと心が少しだけ落ち着いていくのを感じた時だった。


 突然、両手を合わせていたその手首に、何かザラザラしたものが巻き付いた。


 驚いて目を開けると、どこから取り出されたのか、中太の麻紐がいつの間にか手首の周りを締め付けて結ばれている。


 困惑する間もなく、横から肩をグッと押されて、いつの間にか私の身体は長椅子に仰向けに倒れている。


「……!?」

次回、3. 束縛


「教えてほしいな……君にとって、信仰って何?」

 キリストの石膏像の前で、そう問いかけるユアン。

 でも私の手首はきつく縛られていて––−−−

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