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「春の裾」  作者: 宇地流ゆう
第1話 ユアン・トレバート
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2. 小包

長旅から邸へ帰還した義理の弟、ユアン・トレバートは、一見優しい紳士だが、

どこか掴みどころがない。


と、私は誰もいない廊下の隅で、何やら怪しい人影を認めた−−−−


◎第1話「ユアン・トレバート」1の続きエピです!

 お茶の間を出て廊下を渡り、やっと一人になれると、つい今しがたのことが頭の中で蘇る。


“むしろ興味をそそられます”


 彼の甘い声と、何か企むような表情がやけに記憶に残っていた。


 どういうことなの?彼はまるでわたしを誘っているみたいだった。


 彼の容姿や振る舞い、またみんなの反応からして、正妻以外にもこの邸内で女性との関係があるのは想像に難くない。でもそれは、ウィリアム様のようにおおっぴらで気まぐれで手当たり次第という感じではなさそうだ。


 彼には何というか、洗練された手品師のような手際の良さと、人を操るような支配力に長けた雰囲気がある。

 そんな彼が無計画にも宮廷の人間関係のなかで、自分自身を生きにくくさせるようなスキャンダルや関係を結ぶだろうか。さっき彼と接した印象からして、彼はただの女たらしではなく、「策士」のようだ。


 そこでわたしは彼の「意思」がなぜはっきり見えないかわかった気がした。


 なぜなら彼の先ほどの言動一つ一つには意味がなく、「意思」があるとすれば、わたしを困らせることが目的のようでもあった。


 そして彼はそうすることによって、初対面の義理の姉の、よそからやって来たこの宮廷の新入りを査定していたのかもしれない。どう出るかによってわたしがどんな人間かを計り、宮廷の人間関係の中での位置づけをしようとしたのだ。


 …考え過ぎかもしれない。


 でもわたしがこの宮殿で生きていくためには、そしてわたしが自分自身の願いを実現させるためには誰よりも賢く、鋭く、したたかでなければならない。


 一瞬の隙は我が身を滅ぼす、父はよく私にそう言っていた。人間のつくる世の中は、人間を知ることで上手く渡れるのだ。


 いつも諸侯との取引や王室での権力争いに柔軟に対応し自らの富と地位を築いていった父を、わたしは尊敬していた。この世で一番力のある者とは、金のある者でも、軍力のある者でもなく、知恵と野望のあるものだった。


「ええ、フランスのゴーブリュ家の野望はたしかに存在しているものと」


 と、廊下の奥から密やかな声が聞こえ、わたしは反射的に足を止めた。


「では噂ではなかったのか、メザンヌ家が隠していた私生児というのは」


 それに対し、今度は男の声がやはり声を潜めて返す。この邸の遠回りの古い廊下には、私以外誰もおらず、なるほど密通にはもってこいの場所だった。


 でも秘密というのは念には念を押さない限り、すぐに漏れるというのが世の決まりなのだ。現に、わたしはもうゴーブリュ家の野望について知る一人となっている。


「ええ、ですからすぐに両家の争いが始まるでしょう。それがユアン様の言づてでございます。例のものを?」


 わたしはすっと肩を緊張させた。ユアン様の使いだわ。なるほど、フランス旅行はただのジュリエッタ様の付き添いではなく、こういった情報を仕入れるためでもあったのかもしれない。


 誰と誰が話しているのかは見えないけれど、向こうがわたしに気付き、ユアン様の秘密の言伝を立ち聞きしてしまったのを知られたらたら、ただではおかないはず。彼って完璧主義っぽいし。


「君、あのだね、これは私が大事にしているものであって、その、期限付きで返却というわけにはいかないかね」


 男の声が妙に渋ったように、女の方に言う。


「それはユアン様が決める事ですわ。もっと情報をお知りになりたいのならそれなりの「代価」が必要になると、あの方ならそうおっしゃるはずです」


「まったく……。あいつの考えている事には到底理解が及ばん」


 それは同意見だわ、とわたしは心の中でうなずく。会話が終わりそうな気配だったので、わたしは静かに柱の裏に隠れて、注意深く話し手が壁の影から出てくるのを伺った。


「では、確かに受け取りました。御機嫌よう」


 女のほうは邸のメイドで、食事の際にもお給仕をしているのを見かけた事があった。女は手に何か小包を抱え、周囲を見渡しながらそそくさと廊下の反対側へ去っていった。


 続いて男が出てくる。ホフマット卿だ。


 邸のなかではただの酒と女好きの中年という認識がある以外はさほど目立たったところのない男である。宮廷のみんなは彼を、権力争いや企てなどに加わる野心と勇気がない男として、空気のように扱っている。


 とりあえず、わたしが今得た情報からするとこの男は「空気」というほど無害でもなさそうだ−–−–ユアン様を通じて陰ながらフランスの最新情報を仕入れているという限りでは。


 それにしても彼が何を「代価」としてメイドに預けたのか気になるところである。彼にとって手放し難いもの、そしてそうと言うにも何か恥ずかしさがあって言い難いようなもの……。


 そして、そのメイドの持っていた、ユアン様お目当ての小包の中身はほどなくしてわかることになる−–−–私がそれを知って後悔するかどうかは別として。




 夜の食事会というのは昼下がりのお茶会よりひどいものである。


 お酒の入った殿方達は下手な冗談を、まるで世界で一番面白いかのように次から次へと繰り出し、夫人達はそれに愛想笑いを返す。


 おまけに始終みんながみんなの顔を伺い合うので到底食事どころではない−–−–まあ、こちらの食事といったら真面目な顔をして食べられる程、舌に楽しい味でもない。


 もう慣れてしまったけれど、最初の頃は食べ物を口に詰め込んではワインで一気に胃に流し込んでいた。


 あからさまに憂鬱な顔でぼうっと鏡を見つめているわたしに、メイドはまるで人形の着せ替えをするように淡々と夜の食事用のドレスを着付けていた。


 腰の後ろでコルセットをきつく締めると、彼女は口を開くタイミングを逃さまいというように切り出した。


「旦那様のお帰りは遅くなるそうです、山向こうの狩りで少し遠出をなさったようで」


「そうなの」


 わたしは無表情で短く返した。わたしの口数が少ないのはメイドも気づいていた。


 彼女がこの沈黙に堪え兼ねて下手なお世辞を繰り出したり、とりとめもない世間話をする前に、わたしから進んで会話をつなげるという技術は最近ようやく覚えたのである。


「ここの邸の人はみな勝手ね。ユアン様ご夫婦が帰って来たと思えば夫は夕食の時間に戻らない。まあ、わたしが言えたことじゃないけれど」


 ただ、気の利いた楽しい話をしてメイドを笑わせるほどの余裕と気力はどうやらわたしにはないようだった。メイドは慌てたように否定する。


「そんな、奥様はいつも夕食には定刻にいらっしゃいますわ」


「ええ、皆様に怪しまれないためにね。ただでさえ変な注目を浴びているんだもの、皆様と同じようにしなきゃまたデンマークはどうのと言われるわ」


 メイドは何と言っていいかわからない様子で口をぱくぱくさせた。今日は久しぶりにお茶会に出席したせいで、心の声がつい漏れてしまう。わたしはふっと笑って、メイドが手にしていたままのネックレスをとって自分でつけた。


「いいのよ、本当は気にしていないの。定刻に夕食の席に着く代わりに、ご婦人方との庭園散歩と午後のお茶はパス。わたしの故郷では散歩は一人でするもの。あなたも考え事をするときは一人がいいでしょう?」


「ええ、奥様。もちろんです」


 メイドはやけに強く頷いた。何か心当たりがあるらしい。


「あなたも大変ね」


「え?」


「この宮殿では厨房のねずみの穴からウィリアム様の寝室の箪笥にいたるまであらゆる見えない野望と思惑が絡まっていて気が休まらないわ」


「ええ……おっしゃる通りでございますわ」


 メイドが決まり悪そうに目線を下に落としたので、わたしはそれ以上深入りせずに、ネックレスとお揃いになったブレスレットをひっつかむと部屋を去ろうとして足を止めた。


「あなた、名前は?」


「コレットでございます、奥様」


「コレット、次からわたしの部屋に入るのはあなただけと執事長のキースに言っておいて。お付きがころころ変わるのはあまり好きじゃないからと」


「え、ええ、奥様。そのように致します」


 他のご婦人方は何人ものメイドを自慢げに従わせるけど、それは自分の弱みを掴まれる機会を増やしているようなものだ。信頼のおけるメイドを一人傍においておくだけで十分なのをわたしは知っていた。


次回、3. 幽霊


「まだ私が幽霊かどうか御確かめになっていませんね、ジゼル」−−−−


まるで幽霊のように突然背後に現れたユアン・トレバート。そう私に囁いたかと思うと、

一瞬にして視界が揺らぎ−−−−−−−−

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