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「春の裾」  作者: 宇地流ゆう
第1話 ユアン・トレバート
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1. ユアン・トレバート

 18世紀のイギリス社交界を舞台に繰り広げられる、策略✖️SM✖️耽美の官能劇


第1話「ユアン・トレバート」


「むしろ興味をそそられます」−−−−−

 囁くように言った彼の瞳は、私だけを見つめて妖しく輝いている。


 政略結婚により、一ヶ月前に故郷デンマークからロンドンの名門トレバート家へ嫁いできたジゼル。

 フランス旅行から帰ってきた義理の弟に出会った瞬間、ジゼルはどこか違和感を感じる−−−−−


 1767年5月 ロンドン



「あら、そのことの真相なら私よく知っていてよ」


 得意な笑み、空中にむなしく舞う胸元用パウダー。半円に沿って上塗りされた、流行りのピンク色の口紅。


「どうして?」


「簡単よ、侍女達のひそひそ話を盗み聞きしたの」


「あなたもなかなかお悪いわね」


 マリアンヌ・シモンズはにやにやしながら“自分より悪い女”を作るのが好き。


「勿体ぶっていないで教えなさいよ、サーシー」


「そうよ、クロノン卿って本当に……」


 言葉を続ける代わりに人差し指を立てて、それをへなりと折ってみせる。表情までクロノン卿を真似たつもりなのか、眉に皺を寄せて。


 彼女たちは途端にぷっと噴き出すが、決して腹の底からは笑わない。ふふふ、と手を口に添えて、いかにもこのお茶会に、この砂糖菓子にふさわしいといったように上品に笑う。


「マダム・ジゼル」


 ふと自分の名前を呼ばれてドキッとする。気づくとみんなは「砂糖菓子の笑い」を止めていっせいに私を見ている。


「ええ」


「マダム・ジゼル、あなたご興味はおありでないの?」


 マリアンヌが私に向かって正面から聞くと、周りのご婦人方が抑えたように笑う。


「ええ、あの...」


 苦笑いしか浮かばない、もう少し社交的な笑顔ができるよう練習するべきだった。


「クロノン卿どころじゃないってことかしら。そういえば、あなたたちご夫婦のこと、あまり話してくださらないけど。ジェームズ様の夜のお通いは、どう?」


 またこの手の質問だ。私がそっと会話から外れようとすると、そうはさせまいとしっぽを捕まえては皆の前に晒すのだ。そしてみんなはその瞬間を待っている、私が何も答えられなくなって赤面するのを。


「どうもこうも....普通ですわ」


 私は精一杯、当たり障りのない言葉を選ぶ。


「普通?でも、あなた、随分とご苦労なさるでしょう?」


 困ったような、同情するような顔を浮かべるサーシー。


「……というと?」


「聞いたところによると、ジェームズ様は各国の銀食器集めに夢中で、妻の寝室にはあまり興味がないとか」


「……そんなに悪い事でしょうか?」


 私はなるべく険悪にならないように笑顔を貼り付けて返す。


「ええ、だって次男の妻とはいえ健康な跡継ぎを残すのが正妻の役目ですわ、あなた、そのためにはるばるデンマークから来なすったんでしょう?それとも……」


 何かわたしを嘲る言葉を思いついたのだろう、得意な顔で後を続ける。


「まあ、デンマークでは、妻は夫を銀食器と寝かせるのが習わしなのかしら?」


 私は思わずカップの紅茶を彼女にかけそうになるのを抑えて、自分の右手をつねりながら椅子に座り直した。


 だめよ、ジゼル。わたしはここで生きる事に決めたんだから。


 数ヶ月前にあの美しいデンマークを離れて、薄い霧と嘘っぽい薔薇に囲まれた宮殿にわたしを乗せた馬車が入り、この冷たい地面に自分の足を降ろしたときから。


 政略結婚によって結ばれた7歳年上のジェームズ様は確かに銀食器をコレクションするのが趣味で、そっちの方面にはかなり奥手だった。初夜も結局失敗に終わってからというもの、決まりが悪いのか、夜を共にしたことはない。


 しかし真面目な性格で、良い人ではある。好色で浮ついた噂が絶えない、長男のウィリアム様とは正反対だ。


 わたしは彼女達の視線を肌にきつく感じながらも、気を紛らわす為に窓の外を見やった。


 と、眼下の正面玄関に今しがた庭を通って来た真っ白な馬車がつき、何人もの従者がぞろぞろと出て来て、お迎えのために整列をしているのが見えた。


 わたしの表情の変化に気づいたのか、わたしと同い年くらいのメリルがさっと窓の下を見て甲高い声を出す。


「ユアン様だわ!」


「メリル、大声を出さないでちょうだい」


「やっと長いご旅行から帰っていらしたんだわ。まったく、あの馬鹿な白プードルのお付き添いでユアン様も大層お疲れに違いないわ」


 そう言いながらも、ご婦人達はすっと手鏡を出して身だしなみを整え始める。


 ユアン様というのは私の嫁いだトレバート家の三男で、「馬鹿な白プードル」ジュリエッタ様の夫である。


 わたしはその義理の弟に当たるユアン様に会った事がなかった。


 彼はジュリエッタ様の思いつきによる、突拍子もない贅沢な長旅行にご出発される前から、何か急の仕事があったそうで私たちの結婚式にもご出席されなかったのだ。


 ジュリエッタ様が旅中にお買い上げになったであろう大量のお土産品(そのほとんどは自分用であるに違いないけど)を邸の者に運ばせて、––––あだ名の説明する通り–––– 白いファーコートをぽんぽんと揺らして邸に入るのに続き、品のいいブルーのコートを召した上品な青年が馬車から降り立つ。


 どうやらメリルが彼の気を惹こうと努力を惜しまないでいるところを見ると、三男も長男に似て女関係はゆるいのだろう。


 私は階下から聞こえるジュリエッタ様の甲高い、はしゃぐような声と、侍女が彼女の荷物を運ぶせわしない足音を聞きながらぼんやりと考えた。


「見てよ、あの騒ぎ。いっそプードルの子犬を飼った方が膝の上でなでて黙らせてあげるのに」


 メリルは短くため息をつく。


「あら、あの子犬ちゃんだっていい物を拾ってくるわ。彼女がヨーロッパ諸国でどんな品を手にしたか、お土産を見てみましょう。そうだわ、あの子パリに行ったんだから向こうで流行りの香水を持って帰って来たかも」


 サーシー夫人はどんな機会も逃さずに目を光らせている。ジュリエッタの声は階段を上がる音とともに大きくなり、少し不機嫌そうな声が響く。


「だから、わたしの部屋には桜色の鏡台が必要と言ったのに、お父様はまだ送ってくれていないのね。わたしが旅行から帰る前にはわたしのお部屋に着いていると言っていたのに。

 嫌になっちゃうわ、だってわたし、そのためにおそろいの桜色の宝石箱もパリで買いつけたのに。あら、みなさん、御機嫌よう!」


「御機嫌ようジュリエッタ様、よくお帰りなさいましたわ」


「御機嫌よう、ねえ、パリはいかがだったの?是非ご旅行の話を聞きたくってよ」


 わたしはご夫人達とジュリエッタ様が早速お茶を片手に「土産話」に興じるのをよそに、その後から白い手袋を脱ぎながら部屋に入ってくるユアン様を認めた。


「まあユアン様、お帰りなさいませ」


「お疲れでしょう、ねえ、私たちと一息つきませんこと?」


「ああ、ありがとう。なんだかすっかりご無沙汰な気がしますよ」


 彼はそう言ってご婦人方に愛想の良い笑顔を向けた。


 そう、わたしがこの邸に来る前にもっと練習しておけばよかったと思う、その完璧な作り笑いを彼は涼しげな顔でやっていた。と、彼の目線が夫人達の輪を流れて、ふとわたしに止まった。


「おや、あなたは……」


 わたしは彼が次の言葉を言う前に席を立って、少し膝を折って会釈をした。


「おかえりなさいませ、ユアン・マキシミリアム・トレバート様。このたびジェームズ様の許へ嫁ぎ、トレバート家の一員となりましたジゼル・アリア・トレバートでございます。こうしてお目にかかる機会を得ましたこと、誠に光栄に存じますわ」


「なんと、義理の姉からこんなにご丁寧なご挨拶をいただくとは。イギリス紳士としてこちらが恥ずかしくなる」


 彼の軽快な物言いに、夫人達はくすくすと抑えた笑いをこぼす。先ほど私の出身地を馬鹿にした彼女達にとっては、わたしの言動は全て「デンマーク式」ということで内輪ウケするのである。


 彼は少し棘のある夫人達の笑いを感じ取ったのか、すっと優しい誠実な表情に切り替えた。


「冗談ですよ、こちらこそ光栄です。マダム・ジゼル・トレバート」


 彼は静かにわたしに近づくと、その白い指先ですっとわたしの手をとり、甲に軽くキスをした。


「先日は大事な兄夫婦の結婚式にも出席できずに大変失礼しました。残念でしたよ、邸をこう立て続けに長く離れることになってしまって」


 彼の柔らかな物腰と洗練された所作とは別に、私はその表情に何か不自然なものを感じた。


「いえ、とんでもございませんわ。ご事情もおありでしたでしょうし、こうして今、お目にかかることが叶いましたもの。どうぞ、お気遣いなさいませぬよう」


 わたしはなるべく彼と同じ調子で返し、ついでに下手な作り笑いもしてみる。


「その通りですね。とにかくおめでとう、そしてようこそ『霧のロンドン』へ」


「....ええ、ありがたく存じますわ、ユアン様」


「ああ、ユアンと呼んでくれていいですよ、望まなくても私たちは家族なのですから」


 彼の微妙な言葉の選び方とともに、わたしは気にかかっていた不自然なものが何かを突き止めた。


 彼は、その濃い青い瞳でさっきから私を捕らえるようにじっと見つめていたのだ。


 初対面の人に対して送る視線にしては少し違和感がある。それでいて彼の口から出てくる言葉はいかにも礼儀正しく、自然な挨拶なので、そのちぐはぐさが不自然さを感じさせていたのだ。


 でも、彼のそんな目線は他のご婦人方には気づかれていない。


「お帰りなさいませ、ユアン様」


 ふと気づくとメリルが隣にやってきて、彼に微笑みかけていた。


 ジュリエッタ様を見ると、もうご婦人方に連れられてふわふわの白いコートを椅子にかけたまま大広間へ移動するところだった。


 そこで午後中彼女のお土産山分け会が開かれるのであろう。誰も彼女の「お土産話」に興味がない事は一目瞭然だったけど。


「そういえばお二人は今日初めてお会いしたんですのよね」


 ジュリエッタがいなくなったのをいいことに、早速ユアンに近づこうとしているのか、メリルが私たちを交互に見て言う。


「ええ、おかしなことにね」


 彼はメリルに微笑みかける。私を食い入るように見つめていたあの瞳はもう消えていた。


「ユアン様、本当はご旅行なんて行かれたくなかったのでしょう」


「仕方ないよ、うちのお嬢様はパリのご家族に数ヶ月に一回は会わなければ気が済まないのだから。あなたはデンマークが恋しいと思います?ジゼル」


 わたしは自然にその場を離れようとしていた足を止めて、少し眉を寄せた。


 どうして彼は無理矢理わたしを話題に入れようとするのだろう、メリルが彼と二人だけで話したがっていることは誰が見てもわかるはずなのに。


「いいえ、わたしはトレバート家の嫁として嫁いで来たのですから。ロンドンが私の新しい故郷ですわ」


「はは、兄が羨ましい限りだよ、妻として理想的な方だ」


「あら、そうでもないわよね、ジゼルさん」


 メリルが意味ありげな表情でわたしに問いかける。そう、彼女はわたしに退席を願っている。それにユアンが私を褒めるのにも納得がいかないのだろう。


「……そうね。そうだわ、そういえばあの人がちょうど狩りからお帰りになるところだし、そろそろ御いとましますわ。ご機嫌よう、ミス・メリル、ユアン」


「そうなの。残念だわ、もう少し三人でお話していたかったのに、では夕食で…」


「メリル、何をお話ししたかったんだい?」


 メリルの見え透いたお世辞に、ユアンが子供のように純粋に笑って返した。でもわたしは彼の瞳が笑っていないこと、子供の純粋さとはかけ離れた何か不穏な炎がちらちらと奥で見えるのに気づいた。


「え、何って……」


「兄が帰るのはいつも夕食の時間ぎりぎりですよ、マダム・ジゼル。どうでしょう、せっかくのいい香りのお茶を残していくのは勿体ない気がしませんか」


「ええ、でも……」


 わたしが言葉に詰まっていると、彼はガラスの小さな丸テーブルの上に置かれた、わたしの飲みかけだったハーブティーをすっと取り上げて一口すすった。


「カモミールティー、いいご趣味ですね。ご婦人方はいつもローズティーを好んでおりますが。おっと、あなたは口紅をお召しにならないんですか?」


「え?」


「ティー・カップにベタベタと口紅がついていない、めずらしいご婦人もいるのですね、ジゼル」


 彼にいたずらな微笑みをかけられたわたしは、ますます訳がわからなくなっていた。


 この方はどうして強引にわたしを引き止めようとするのだろう?


 それに、状況をかき乱さんばかりに、言わなくてもいい事を言ったり……もっとわからないのは、彼はそうやって困惑しているわたしを見て楽しんでいるように見える事だった。


 わたしはデンマーク郊外の領主の家に生まれ、母は幼い頃に死別した。


 多忙な父の代わりに幾多の乳母や家庭教師に育てられ、邸に訪問しにくる諸侯や商人たちとの取引を傍観するうち、上辺の表情から相手の欲求や本心を読み取るのは慣れていた。


 この宮廷に来てからもそれは変わらず、むしろわかりすぎてつまらないほどだったのである。


 それなのに、このユアン様はわたしがこの宮廷で初めて会った、意思の読めない唯一の人間だということに私は気づいた。


 さっきからわたしをしきりに落ち着かなくさせているのは、この義理の弟の言動と、それに隠された本音が全く見えないからだった。


「そうなのよ、ユアン様。彼女、少し他とは違っているの」


 わたしが少し変人扱いされたと思ったメリルは途端に得意げになる。


「ジゼル様はデンマークの公爵のご息女でいらっしゃるのよ。ねえ、ジゼル様。先ほどマンチェスターが故郷だと言ったけれど、まだお邸に来て日も経たないのですから、わからない事があればどうぞお気軽に聞いてくださいね」


「ええ、親切にありがとうミス・メリル」


「いえ、他と違っているというのは必ずしも悪い意味ではありませんよミス・メリル」


 彼はすっと水を差すように口を開いた。


「むしろ興味をそそられます」


 囁くように言った彼の瞳は、私だけを見つめて妖しく輝いている。


「あら、どういった意味でございますの」


 メリルは苦笑いになって首を傾げると、


「さあね、僕にもあまりわかりません」


 と、ユアン様は何事もなかったかのようにまた優しく笑うので、わたしはとうとう居心地が悪くなって口を開いた。


「あの、私、残念ですけれどもう行きますわ」


「そうですか、それは本当に残念だ。ではまた夕食のときに」


「ええ、また夕食の際に。本日はお会いできてよかったですわ」


 わたしは軽く会釈をすると、すぐにその場を離れた。とうとう二人きりになれたと言わんばかりに、メリルが甘い声で話しかける声も遠くなってゆく–––––––



ここまで読んでくださりありがとうございます!✨

 ついに義弟・ユアンと初対面! そしていきなり 「興味がある」 なんて囁かれてしまったジゼル……

彼は本当にただの優雅な貴族なのか? それともーー?


次回、第1話「ユアン・トレバート」2


誰もいないはずの廊下で、人影とヒソヒソ声が聞こえる。ユアンの帰還と共に、邸の闇を垣間見てしまったジゼルは−−−−−

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