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「春の裾」  作者: 宇地流ゆう
第3話 ロイヤル・ローズとジギタリス
13/14

6. ジギタリス


⚠︎R15程度の性描写あり



 カラン、と音を立てて彼の手にあったディルドが床に落ち、私の両手首はいとも簡単に壁に貼り付けられてしまう。


「っ……!」


 手が駄目なら足…と彼の股間を目掛けて勢いよく膝を振り上げようとしたが、彼の動きは滑らかに私の一歩先をいく。


 私の反撃を察した彼は、こちらにグッと身体を寄せて、私の脚の間に自分の膝を食い込ませて壁に固定する。


「姉さん……その技はさっきの男達に使ってくださいよ」


 ユアンは呆れたように言いながらも、余裕な態度を崩さない。そして彼の顔がこちらに近づいた瞬間———熱く、濃密な唇が私を呑み込んだ。


「んっ…!」


 不意打ちのように押し込まれる舌。驚いて声を漏らした隙を突かれ、容赦なく舌を絡め取られる。それは逃げる隙を与えず、角度を変え、奥へ、奥へと深く侵入していき、息を奪う。


 必死に手首を振りほどこうとしたけど、ユアンの手は微動だにしないどころか、むしろ私の指先をゆっくりとなぞるように締め付ける。


 その強引でいて妖艶な手つきに、背筋が甘く震えてしまう。


 こんなのおかしいとわかっているのに、やっと唇が離れた時にはもう私は甘い熱に飲み込まれて、息をつくことで精一杯だった。


「……っ、はぁ……っ……」


 ユアンは、そんな私を見つめながら一瞬微笑んだかと思うと、今度はその唇をゆっくりと私の首筋へ近づけ、熱を帯びた舌がひたりと肌を這う。


「や、やめ……」


 言葉とは裏腹に、ゾワッとした悪寒にも似た甘い震えが背筋を駆け抜ける。と、首筋に吸い付くように歯が立てられる。


 思わずビクッと肩が跳ねる。それを面白がるように、彼は舌先で唾液を馴染ませながら、今度は耳元へと唇を寄せていき————まるで悪戯を仕掛けるようにふっと息を吹きかけた。


「ひあっ……!」


 途端、身体中がブワッと湧き立ち、恥ずかしい声を出してしまう。それを聞いたユアンが微かにふっと笑うのがわかる。


「へえ……耳が弱いんだ、姉さん?」


 耳元で意地悪な囁きが響き、顔が赤くなるのを感じる。必死に否定したくても、彼はいい弱点を見つけたと言わんばかりに、耳のあらゆる部位を甘く齧ったり、舌で撫でたりして弄んでいく。


「やっ…あっ…っ、待っ…」


 襲いくる鋭く甘い刺激に、膝が震えて崩れ落ちそうになり、抵抗しようと口を開いても、もはや甘い声しか出てこない。


 だめ……ここで絡め取られては、またこの人の思い通りになってしまう。


 そう頭ではわかっているのに、呼吸を整える隙も与えずに、彼が刻み込んでくる数々の刺激が快楽の渦となって私を犯していく。


「ほら、もうこんな蕩けた顔をして…先ほどまでの威勢はどこへ行ったんです、姉さん?」


 散々乱されて、全く身体に力が入らなくなってしまった私を見下ろし、ユアンは満足げに微笑んで意地悪く言う。


「ちがっ…は、離してっ!」


 私は身体中の火照りを必死に抑えながらも、再び手首を振り解こうとする。と、ユアンはパッと手首を離したかと思うと、今度は私の腰を抱き寄せた。顕になった彼の胸に顔を埋めてしまった私は、その柔らかい肌の匂いにどきりと心臓が跳ねる。


「ではベッドで続きをしましょうか……」


 彼の低い声が頭上から響いて、私は反射的に彼を拒もうとする。


「やっ、ユアン…っ!」


 そんな私を軽くいなすかのようにして、彼が廊下を進んで近くの部屋の扉を開けようとしたその時だった。


「ユアン様」


 ふと、後ろから落ちついた青年の声がかかる。


 私とユアンがそちらを振り返ると、そこには綺麗な身なりをした、召使い風だがそれにしては整った顔立ちをした青年がいる。


「エリーヌ様がお呼びです」


 青年は全く私とユアンを気にしていないかのように、礼儀正しくもそう淡々と告げる。 


「……」


 ユアンはそれを聞くと、楽しみを目の前で取られた子供のようにあからさまに消沈して不機嫌な顔になる。


「君、ちょっとは空気を読んでくれないかな」


「お戯れも結構ですが、先ほどの二人の男についてお話をしたく」


 と、ユアンの言葉を意にも介さず、青年は事務的な態度を崩さない。


「これは戯れじゃなくて姉さんへの……」とユアンは言いかけるが、そこで観念したように「はあ、わかったよ、全く」と大きなため息をついて、私から手を離す。


「姉さん、ついてきて。安心してください、出口はこっちですよ」


 私たちは青年に連れられるまま、先ほどの大広間に出る。混沌としているのに、妙な色気に包まれたその大広間は相変わらず宴のように賑わっている。


 と、彼の姿を認めた一人の女性がこちらに近づいてきた。


「ユアン様」


 どこかに甘みを感じる声をかけた彼女は、淡いピンクのドレスに身を包んだ美しく可憐な女性。


 が、そのドレスの胸元が大きく開かれて、彼女の豊満な胸が半分ほど顕になっているところを見ると、どうやらここの遊女であることはなんとなく察しがついた。


「申し訳ありませんわ。私がこちらへ戻った時には、もうあの二人が逃げていく後ろ姿をチラリと見ただけで」


 と、彼女は困ったように顎にそっと手を当てて、出口の方を見やるが、そんな小さな仕草さえどこか官能的に見えるほど、彼女には不思議な魅力があった。


「いや、致し方ないよ」と、ユアンは微かに首を振りながらも、言葉を続ける。


「それよりスヴェンはどこへ行ったんだ?あいつがいるからと思って僕は追わなかったんだが」


 スヴェンという男の行方を訪ねたユアンに、彼女は呆れたように肩をすくめる。


「アヴィエッサのところですわ」


「全くあの色狂い女……」


 と、ユアンは額に手を当ててそう漏らした後、きっと睨むように顔を上げたかと思うと、大股で広間を横切っていく。


「フェルディナンド!」


 ユアンはソファに沈むように座っている、ある男の前で立ち止まると、大声で怒鳴りつけた。


「うん…?」


 怒鳴られた男———それは先ほど美青年に囲まれて手元の原稿を進めていた作家風の髭男だった———は重たげに顔を上げた。


 彼の両脇には相変わらず綺麗な若い青年が一人づつ座っており、彼らはいささかどきりとしたようにユアンを見上げている。


「お前、またサボっていたな?」


 ユアンはフェルディナンドという男を冷ややかに見下ろし、低い声で言う。


「サボってなんかないさ、寧ろ真剣に筆を進めていたところだ」


 男は眉を寄せながらも言い返す。


「それをサボっていると言うんだよ、ここでは。忘れたのか?」


 ユアンは言葉の裏に何か含めたように言い、フェルディナンドは思い出したように「ああ……」と微かに漏らす。


「なんだ、何かあったのか?」


「何かあったのか?じゃない。フェル、お前が見逃したせいでこちらのご婦人が危ない目に遭ったばかりか、あからさまに怪しい二人を取り逃した」


 と、ユアンは後ろで耳をそば立てていた私を振り返って軽く手の甲で指す。フェルディナンドはチラリと私に目をやってから、一瞬眉を寄せた。


「なんだ、珍しく気にかけるな。新たな恋人か?それにお前が気付いたのならそこで仕留めればよかったものを」


 悪びれもなくそういう彼を一瞬睨み、ユアンはソファの上に、勢いよく靴を乗せて顔を近づけた。


「あんな雑魚ども、スヴェンがとっ捕まえると思っていたのさ。そしたらどうだ?あの色欲女の巣に連れ込まれたそうじゃないか」


「おいおい……勘弁してくれよ、締切間近なんだ」


 と、フェルは軽く弁明するようにため息をつきながらも、美青年から手を離して、もう行くようにと目線を送る。 


「それに、ラヴァンの新作が大層ウケてる。あいつと賭けをした手前、興行で負けるわけにいかない」


 フェルが真剣な顔でペンを握るのに対し、ユアンはピシャリと言い放つ。


「知ったことか。お前の創作の褥であるここに、これからも通いたいというのなら僕の言付けた仕事をしろというに」


「……創作の褥で、創作を阻む厄介仕事を、創作のためにする————それを断るための財産も、また僕の創作にかかっている……」


 と、彼は難しい顔で髭をさすりながら、独り言のようにぼやく。


「金と芸術、究極の矛盾、哀れで滑稽な人々……ああ!いいぞ、これはいい。次回作のテーマはこれだ」


 と、男は閃いたかのようにそう言うと、早速メモを残すように手元の原稿用紙に走り書きする。


 その様子を見たユアンは心底呆れたように大きなため息をついて頭を抱えた。


「フェルディナンド様は、うちの常連客ですわ」


 と、後ろからそっと耳打ちする声が聞こえて、私は驚いて振り返る。


 桜色のドレスを着た先ほどの女性が、彼らのやり取りを怪訝に見ていた私に、親切に解説してくれる。


「ああ見えて、ロンドンの演劇界では新進気鋭の作家様でございます。でも、浪費癖のせいで金銭に余裕はなく、結果ユアン様に取引を持ちかけられたのでございます。『その人間観察力を生かして、密かに広間の監視をしろ』と」

 

「……」


 娼館の常連客を買収して他の客を見張らせるなんて……聞いたこともない娼館の経営方針と治安維持法に、些か呆れる。


「まあご覧のとおり、それを忘れて創作に夢中になられることもしばしばですが———あら、失礼いたしましたわ、私、エリーヌと申します」


 と、彼女は途中で気づいたかのように名を名乗り、優雅に軽く会釈をする。


 彼女のドレスが淫らで派手なものではなければ、どこかの貴族のご令嬢と勘違いしていたかもしれないほど、一つ一つの仕草が洗練されていた。


「あ、えっと、私は……」


 ここで本名を言うわけにもいかず、適当な偽名を考えていると、エリーヌは何かを察したようににこりと微笑んで言った。


「狐の片手袋ですね?」


「へ?」


「ふふ、可愛らしいのね。狐の片手袋というのは…」


 エリーヌがクスッと笑って言いかけたが、その言葉の意味を知る前に、ユアンの鋭い声が響いた。


「アヴィエッサ!」

 

 それは大広間に響く些か大きな声だったので、それぞれに楽しんでいた客たちは、ふと手を止めて彼とその声がかけられた先に思わず視線をやる。

 

 と、煌びやかな螺旋階段の上の方に、鮮やかな真紅のビロードドレスに身を包んだ女性が見えた。


 彼女はユアンの声にふと足を止め、手すりにもたれ掛かりながら、すっとこちらを見下ろす。


 ひと目見ただけで、目を奪われるその妖艶な美貌。透き通った白い肌は上品さを感じさせるが、ただ儚げというわけでもない。


 たった今羽織ったと言わんばかりのその緩いビロードドレスは、彼女の豊満な胸をかろうじて半分隠しているが、そこに眩く輝く真珠の首飾りが上品さを足している。


 まるで貴族たちがこぞって隠し持っている、官能的なヴィーナスの裸婦画からそのまま飛び出してきたような美しさを擁しながらも、一度射抜かれたらもう逃げられなくなりそうな、どこか危険なその瞳。


「まあ、狐さんったら。そんなに大きな声を出して……」


 彼女は気怠げな色気を孕んだ声で、呆れるように言いながら、階下のユアンを見下ろした。


 アヴィエッサに、なぜか「狐」と呼ばれたユアンは相変わらず腕を組みながら彼女を静かに見上げている。


「————皆様、失礼致しましたわ。どうぞ宴をお続けになって」


 アヴィエッサは、まるで演劇を観る観客席のように静まり返っていた大広間の客たちへ向けて、笑顔を向けた。ごく自然でいて、思わず見惚れるような優雅な微笑み。


「今夜はイタリア、トスカーナ地方の高級ワインをいくつか頂きましたの。もちろん、皆様へお裾分けいたしますわ」


 彼女が嬉しそうにそう言うと、大広間にいた客たちは一斉にわあ、とお互いを見合って、その響きを楽しむ。


 しんとしていた広間は一瞬にして通常の雰囲気に戻り、私は彼女のカリスマ性に思わず関心してしまう。


 再開された宴の中、彼女はまるでオペラ歌手のようにゆったりと螺旋階段を降りてきて、こちらへ近づく。


 彼女はユアンの前で止まると、薄いレースの羽織を腕にかけ直しながらも、どこか含みのある笑顔で言った。



「……ご機嫌よう、ジギタリス」


 



 次回、第3話 7. 「狐の片手袋」


 娼館の女王のごとく現れたアヴィエッサ、ユアンとの彼女の関係は一体……?

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― 新着の感想 ―
待ってって言われたのに読んじゃいました。面白くてスルスル入ってくるんですもの。(言い訳)(反省はしていません)(大変面白かったです) ジゼル、ちょっとめくるめく"薔薇色"の世界にときめきかけてるじゃ…
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