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第三話 視察

弘化四年(西暦1847年) 八月一日 長門国 萩 芳賀大台 国司熊之助


この日、俺は大組の訓練の視察に来ていた。

だが、俺はそこで衝撃的な光景を目にした。

訓練では戦列中央に大砲を置き、その左右に三、四十人の火縄銃を持った銃隊がおり、それらの砲銃が一斉射により敵に打撃を与え、敵が怯んだ隙に、後方に備えた刀槍隊が突撃し斬り込み決着を付けると言うものだった。

これは十七世紀にヨーロッパで流行った戦法に似ている。

そう、十七世紀にである。


「…おい、何だあの陣法は。」


俺がそう聞くと、側に控えていた大組士が答えた。


「はっ、我が藩自慢の神器陣に御座いまする。藩政改革を主導した村田様が高島流等を研究し、その長所を既存の陣法に取り入れ出来た、鉄砲と刀槍の各隊の長所を生かして互いの短所を補い合う陣法で御座います。」


因みに高島流とはオランダ式の用兵術と事である。

なのでまず、高島流には刀槍隊は存在しない。

それなのに何故、刀槍隊が主力になっているのだ?

長州藩は説明書を読まないタイプの人間が多いのか?

いやまあ、何故こうなっているのか何となくは分かる。

確か長州藩は高島流の実践演習を観ることが出来なかったのだ。そのせいで、長州藩は高島流の特徴は規律厳選で一令の下に全員が動くことにありと考え、この点のみを採用したのだ。

だが、本当に重要なのは大砲が絶大な威力を持つと言う点なのだ。


…正直、長州藩の軍制はもっと進んでいるものだと思っていた。

俺は転生してから一つ目標を持っているのだ。それは、百歳まで生きることだ。

これを遂行する為には長州藩には強くあって貰わなければならない。

これは早急な大組の改革が必要だ。



弘化四年(西暦1847年) 八月五日 長門国 萩 萩城 乃木希次


今日は大組頭の国司様との顔合わせの日だ。

恐らく軽く挨拶し、その後雑談して終わりだろう。

それにしても、国司様と会うのが楽しみだ。

あの若き俊英、桂殿と吉田殿に並ぶ才覚の持ち主とは…如何なる人物なのだろうか。


それから半刻後、まだニキビ一つ出来た事が無いような歳の男が儂に近付いて尋ねて来た。この方が恐らく国司様だろう。


「お主が新たな表番頭か?」


「はっ、殿より表番頭の役を与えられました、乃木十郎希次と申します。…国司様でお間違えないでしょうか?」


「そうだ。殿より大組頭を任じられた、国司熊之助である。…これから長い付き合いになるだろう。若輩者故、なにぶん頼りないかも知れぬが、宜しく頼む。」


国司様は本当に六歳なのかと疑いたくなる程、堂々としていらっしゃる。

流石、若き俊英と殿が注目するだけの男だ。


「此方こそ、宜しくお願いしまする。」


「さて、挨拶も程々にして本題に入ろう。」


国司様は異な事を仰った。

只の顔合わせに、本題も何も無いだろうに。


「本題に御座いますか?…此度は只の顔合わせと、聞いておりましたのですが。」


「お主の言う通り、俺は只の顔合わせと言った。…だがな、先日の訓練で早急な改革が必要と思ったのでな。」


「早急な改革に御座いますか?…国司様は一体何を行うおつもりなのですか?」


我が藩の軍事力は他藩に比べても高水準にある。それに恐らく、外国とやり合っても勝つ事が出来る筈だ。一体何を改革すると言うのだ?


「今のままでは、まず間違えなく外国に負けてしまう。外国水準で見れば、我が藩の藩兵法は児戯に等しい。であるからこそ、外国の兵法と兵器を取り入れねば成らぬのだ。まず手始めに、燧石式銃剣付滑腔銃(ゲベール銃)を砲兵以外に配備し、刀槍隊を廃するのだ。」


村田様が苦労して取り入れた藩兵法を児戯と称すか!

如何に若き俊英といえど許せぬ。


「藩兵法を児戯とは何を仰いますか。我が藩の藩兵法は日の本一いえ、天下一に御座います。それだけでなく、日の本は神の国御座いまする。外人風情に負ける訳が御座いませぬ。」


「…ふむ、ならば次殿がお国入りされた時、殿の御前で演習を行い、どちらの兵法が優れているか決めて頂こうではないか。」


かなりの自信があるのだろう。殿の御前で優劣を決めようとは。


「…分かり申した。では、この旨を某から殿にお伝え致しまする。」


「宜しく頼むぞ。…ああ、しばらくは大組の事をお主に任せるぞ。俺も準備をせねばならぬからな。」


国司様はそう言うと、不適な笑みを浮かべながら部屋を出て行った。



弘化四年(西暦1847年) 八月九日 武蔵国 江戸 長州藩上屋敷 毛利慶親


藩邸のある一室で、三十路前の男がニヤけながら一通の文を読んでいた。


「実に面白い。清風が考えた藩兵法を児戯と申すか。」


希次からの文が届いた。

その内容は、熊之助が藩兵法を児戯と称し希次が激昂した。その時、熊之助の提案で儂が国許に戻った時に、儂の前で藩兵法と熊之助の兵法の優劣をつけたいと言うものだった。


「誰かおらぬか!」


「はは、ここに。」


「長崎に行き、燧石式銃剣付滑腔銃を二百挺、猟銃五十挺、臼砲四門、榴弾砲三門、球形榴弾と散弾を買い、熊之助に送って参れ。」


「はは!」


これは希次からの手紙にあった熊之助からの要求だ。まあ、熊之助では外国の武器を買う事が出来んからな。

それにしても、国許に帰る楽しみが出来た。

若き俊英の兵法が勝るのか、それとも清風の考えた兵法が勝るか。


そんな事を考えていると雅楽が声を掛けてきた。


「殿、登城のお時間で御座います。」


「ああ、分かった。」


面倒臭いが、上様のご機嫌伺いに行くとするか。

だが、何処か浮ついていたのだろう。

その事に気が付いた雅楽が儂に言った。


「…何やら今日はご機嫌で御座いますね。」


「ふふ、国許に帰る楽しみが出来たのでな。」



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