7 僕の幼馴染は可愛い女の子でした
蓮視点。
今回、一番下に挿絵があります。
ずっと長い間、僕は紗英のことを「女の子」として認識していなかった。
例えるなら姉だろうか。年の近い保護者というのが感覚としては近い。実際、小柄で気弱だった幼い頃の僕は、いつも紗英に助けられていた。
同い年だけど、僕よりも数段しっかりしていた彼女は、僕にとってはいつも頼れる「お姉さん」のような存在だった。そしてそれは向こうもそうだったのだろう。紗英には弟が2人いるけれど、僕もその中の1人のような扱われ方をしていたのだから。
いつも彼女を見上げていた。
成長するにつれ綺麗になっていく紗英に、でも可愛いと思ったことは一度もなかった。
泣いてばかりの僕とは違う。紗英の涙なんて想像もつかない。強くて、頼もしくて、時折小うるさい。こんな紗英は僕にとって、守ってあげたくなるような「可愛い女の子」などではありえなかったのだ。
中学3年生になり、あと少しで卒業を控えた頃、紗英は同じクラスの男子と交際をし始めた。一方僕はといえば、女の子と付き合うどころか初恋すらまだの有様で。やっぱり彼女は僕よりも一歩先にいるのだなと、紗英と僕との立ち位置というものを改めて感じ入っていた。
それが一変したのが、その一か月後。
沈んだ様子で帰宅する紗英を見かけて、胸騒ぎのようなものがして後をついて行く。玄関の鍵も掛けられていなくて、ますます不審に思いながら家の中に入った。
何かあったのかな。
紗英らしくない。
リビングに入ると紗英はソファに座ってうつむいていた。何かに落ち込んでいるのだろうか。隣に座ってみたけれど、僕には何も言う気がないようで、素っ気ない対応しかしてもらえない。
そりゃ僕は頼りないかもしれない。けれど話を聞くぐらいの事なら出来るし、落ち込んでいる時は、誰かに話すだけでも案外スッキリするものだ。
もどかしい気持ちで紗英の様子をうかがっていると、肩がかすかに、震えていることに気がついた。
……もしかして泣いている?
まさかな。まさか、あの紗英が泣くわけがない。そう思いながらも僕の手がすうっと紗英に伸びていく。ドキドキしながら髪に触れて、隠されていたものを目にした瞬間――……
……息が、止まった。
紗英が真っ赤な目をして、ぼろぼろと涙で頬を濡らしている。
愛らしいウサギのようだと思った。すっかり弱り切った様子の彼女が、僕と目を合わせて恥ずかしそうに頬を赤らめて、慌てて顔を逸らすのだ。
初めて紗英を可愛いと思った。そこに映る彼女は、か弱い女の子のようにしか見えなかった。
衝動的に抱きしめてしまっていた。
腕の中で泣きじゃくる紗英を、この時初めて、僕は守ってあげたいと思った。
それから顔を合わせる度に、僕は紗英に可愛いと言い続けた。
その度に、紗英はむっつりしたまま頬を赤らめて、僕から顔を背けようとする。そのいじらしい反応が面白くて可愛くて、僕は紗英に可愛いと伝えるのを止められなかった。
15年も一緒にいて、僕はこれまで紗英の何を見ていたのだろう。紗英がこんなに可愛いなんて思いもしなかった。紗英とは物心ついたころからの幼馴染だ。それなのに、僕は彼女のことをちっとも分っていなかった。
可愛いものにはしゃぐような子じゃないと思っていた。
可愛いと言われて喜ぶような子じゃないと思っていた。
そんなの、全然違うじゃないか。
可愛いねと僕が言う。そうすると、あからさまに嫌そうな顔をするものの、紗英は僕の発言を止めさせようとはしないのだ。自分は可愛くないのだと、反論するような言葉は何度か言われたけれど、「言わないで」なんて告げられたことはただの一度だってない。
4月になって、真新しい制服に身を包んだ紗英は、ほんのり頬を染めながら、自分の姿を見下ろしていた。うちの高校は制服が可愛いことで有名だ。自分の可愛い恰好を、照れくさくも嬉しく感じているようだった。
紗英は本当は、可愛いものが好きなのだ。
可愛いと言われて喜ぶような、可愛い女の子なのだ。
そんな自分に戸惑って、ひたすら気後れしてるだけ。
ああもう可愛い。可愛い。可愛すぎる。
紗英を構いたくて。朝、隣から彼女が出てくるタイミングを見計らって家を出る。困惑する紗英の隣に、なんでもない顔をして並んで歩く。時折可愛いと言っては、紗英の反応を楽しんでいる。
高校が同じなのをいいことに、教室まで一緒に歩いていく。周囲に勘違いされるかもしれないけれど、その方がむしろ都合がいい。斎内みたいな分かってない奴に、紗英を渡してやる義理はない。
紗英の態度はそっけないけれど、僕のことを意識しているのが分かる。おうちで。学校で。道端で。時折ふっと、目が合うのだ。その度に、恥ずかしそうに慌てて顔を逸らされる。
嬉しくて、にんまりと頬が緩んでしまう。
――あの日。僕と紗英の関係はすっかり変わってしまった。
終業式を終えて2人で帰路につく。吹きすさぶ風はすっかり冷たいものになっている。クリスマスにお正月。今年の冬はたくさん紗英と一緒に過ごせるな……とにやけながら隣を歩く紗英をじっと眺めていると、ふと振り向いた彼女と目が合った。
照れくさそうに頬を染めながら、それを誤魔化すようにじろっと睨まれる。
「な、なによ」
「今日も紗英んちで夕飯いただくことになってたんだけど……沙夜さんに聞いてる?」
「え、なにそれ。なんっにも聞いてないわよ、私。ほんっとーにお母さんったら、いつもいつも私になにも言わないんだから……!」
「やっぱり? じゃあプリンの散歩をした後で、一緒に買い物に行こうか」
ぷりぷりと怒り出す紗英も、やっぱり可愛い。
僕はもう末期なのかもしれないな。
ニコニコと笑う僕を見て、紗英が呆れた顔をする。
「ここ笑うところ? 一緒に怒るところじゃない?」
「ほんと、沙夜さんにも困ったものだね」
「だからなんで笑ってんのよ。いつもいつもニコニコしちゃって……もう!」
「うん、顔のネジが緩んでいる自覚はある」
だってしょうがないじゃないか。
紗英を前にしていたら、僕はいつだってにこやかな気分になってしまうのだから。
一緒に買い物も悪くないしな。
「そんなだから、言ってることが嘘くさく感じちゃうのよ」
「ごめんごめん。でもさ、紗英が可愛いから……」
「~~~~っ、馬鹿っ!!!」
耳まで真っ赤に染まってしまった僕の彼女が、可愛くて。愛おしくて。
後で怒られるなと思いつつ、その姿もきっと可愛いだろうと想像して。
にんまりと笑いながら、紗英の頬を両手で挟み込み。
僕はそっと顔を近づけた。