6 好きになってしまってる
……これって蓮よね?
口元は弧を描いているけれど、目はにこりともしていない。それどころか、冷ややかな視線を斎内に向けている。
「付き合っていた癖に、紗英の事なんにも分かってないんだね」
いつもよりオクターブ低い声。不機嫌さを隠そうともしないこの棘のある喋り方は、人当たりの良い普段の蓮とはまるで別人のようだ。こんな攻撃的な蓮、初めて見る。
もしかして、斎内に怒ってるの?
私がどんな態度を取っても、余裕たっぷりに笑っているのに。どうして……
いつもと違う蓮の様子に、斎内が気圧されている。
「な、なんだよ蓮……」
「紗英はね、こういう可愛いものが大好きな可愛い女の子なんだよ。知らなかった?」
にこにこと黒い笑みを浮かべながら、蓮が斎内に詰め寄った。
非常に、恥ずかしいセリフを吐きながら。
あまりの内容に、顔がカッと熱くなる。
「な、な、なにを……」
し、知らないわよそんな事。堂々と嘘つかないでよ恥ずかしい。そりゃまあ、確かに、可愛いものは好きではあるけれど……
私は、可愛い女の子なんかじゃない。
斎内が苦笑いをしながら、固まる私を指さした。
「可愛いって……そういうタイプじゃねえだろコイツは……」
「すっごく可愛いよ。だってほら……こんなに真っ赤になってる……」
「……っっっ!!」
嘘。嘘。……嘘!
斎内が眉をひそめながら私の顔を覗き込み、直後にぽかんと口を開けた。
ああもう最悪。慌ててばっと俯いたけれど、もうばっちり見られてしまった……。髪で顔を覆いながら、ふるふると肩を震わせる。
ふふっと嬉しそうに笑って、蓮が私の頭をくしゃりと撫でた。その大きな手の感触に、頬にますます熱がこもる。
「え? あの、サエ?」
「分からないならそれでいいよ。紗英が可愛いことなんて、知っているのは僕一人で十分だしね!」
「お、おい、ちょっと、蓮!」
蓮が私の手を掴んで、ぐいと引っ張った。
上げた顔の先にあるのは、柔らかに私を見つめる蓮の顔。
その瞳が思いのほか真っ直ぐで、思わずどくりと胸が鳴る。
「行こう、紗英」
リードを持つ手に力が加わる。蓮に呼応するかのように、プリンが尻尾を振りながら、わん!と叫んで駆け出した。1人と1匹に連れられて、私は呆然とする斎内から遠ざかっていった。
◆ ◇
「ちょっとプリン、早いってば!」
嬉々として先頭を走るプリンに置いて行かれないように、リードを掴みながら必死に後を追う。
振り返ることなく駆け抜けていく街の空気はとても爽やかで、すっかり上気した頬には、さっきまでとは別の熱が灯っている。
「うわ~、これいい運動になるね!」
「なに笑ってるのよ、蓮。私、もう、疲れたんだけど!」
けれど運動不足の身としては、早くも息が切れてきた。すっかりへとへとになって悲鳴を上げる私の隣で、蓮が額に汗を滲ませながら、晴れやかな笑顔を浮かべている。
「プリン、向こうに公園があるから、そこでいったん休憩にしよう!」
蓮が横からリードに手を伸ばし、強めに引っ張ると、プリンはようやく足を緩めてくれた。公園に入り、蓮によしよしと背を撫でられて、大人しく広場の真ん中にうずくまる。
プリンの側で、私も一緒になって地面にへたり込んだ。ぜえぜえと息を荒げていたら、蓮がコートのポケットに手を突っ込んで、申し訳なさそうにペットボトルを2本取り出した。
オレンジのキャップ。ホットの印。
「これ飲む? どっちも温かいやつだけど」
「貰うわ。もうノドからから」
「ちなみにこれを受け取ると、僕と勉強することになっちゃうけど?」
「分かってるわよ。……ありがとう」
苦笑しながら蓮に手を伸ばし、ペットボトルを一つ受け取った。キャップを開けて、ぐびぐびと一息に飲む。
乾いたのどには、ホットのお茶でも十分美味しかった。体中に温かいものが染み渡り、だんだん息が落ち着いていく。それと同時に気持ちの方も落ち着いてきた。
隣を向けば、蓮が私と同じようにペットボトルの中身をのどに流し込んでいる。
蓮も疲れたんだ……
ペットボトルから口を離し、ふぅ、と息を吐く蓮に、くすりと笑いが込み上げた。
「さっきの蓮、びっくりしたわ」
「そう?」
「だって、斎内に怒ってたわよね。あんな蓮、初めて見たわよ。蓮でも怒るのね」
ペットボトルを手にしたまま、蓮がむっとして斜め上を見る。
「そりゃそうだよ。だってあいつ、紗英をまた泣かそうとしていたし」
――――え、なによそれ。
驚いて蓮の顔をまじまじと見つめる。さっきのやり取りを思い出したのか、蓮が不機嫌そうに青い空を睨んでいる。
まさか、私の為に怒ってくれたの……?
「泣かないわよ」
「いや、泣きそうになってた」
「だ、だからあんな嘘ついたの……?」
ドキドキと胸の鼓動が早くなる。
さっきまでとは別のぬくもりが、体中に広がっていく。
蓮が振り向いて、ふわりと柔らかく目を細めた。
「嘘じゃないよ。ああ、紗英も分かってなかったの? 紗英が可愛いってこと」
「か、可愛くなんかない……」
そんな目をして、可愛いなんて言わないでよ。
騙されたくなってしまう……
「気付いてた、紗英? 紗英って僕が『可愛い』って言うと、いつも真っ赤になっているんだよ?」
「う、嘘っ!」
「ほら、今も真っ赤。もちろんさっきも赤かったし、これまでもずっとそうだったよ。ね、可愛いでしょ? 僕の言葉にこんなに反応してくれるなんて……」
え、え、え、えええええっっっ!!!?
のけぞりながら目を見開いて、蓮を凝視した。ちょっと待ってよ。私は今まで、一体どんな顔を蓮に見せていたっていうの!?
クールで。そっけなくて。ツンケンしていて。しっかりしている可愛げのない幼馴染。それが私だと思っていたのに。それが、蓮の目から見た私だと思っていたのに……
なんなのよもう。全然違うじゃない。
ああもう。湯気が出そうなほど、顔が熱い……。
「そんな紗英がすごく可愛いと思うし、僕は好きだよ」
「~~~~~っ!」
心臓が、キュンと跳ねる。
思わず胸を押さえた。手のひらに鼓動が伝わる。バクバクと大きく鳴り続けている。
蓮のせいだ。全部、蓮が悪い。蓮のくせに。こんな私のことを、可愛いなんて言うから……
ちっとも火照りの収まらない顔のまま、八つ当たり気味にポカポカと蓮を叩く。そんな私を、蓮が余裕の態度で微笑みながら眺めている。
「~~っっっ、馬鹿っ。馬鹿馬鹿馬鹿っ!!」
「ほら照れてる。可愛いなぁ、もう」
蓮に優しく頭を撫でられて、急に、ぽろぽろと目から涙がこぼれてきた。
……本当はずっと憧れていた。
鏡を見るたびに諦めていたけれど。可愛い友人を見るたびに、弟たちを叱るたびに、可愛いから程遠い位置にいる自分に、ため息をついていたけれど。
本当は、可愛い女の子になりたかった。
だから蓮に可愛いと言われて、本当は嬉しかったんだ。
認めたくなかっただけで。
意地を張っていただけで。
あの日すでに始まっていた。
蓮に涙を見せて。それを優しく受け入れてもらえたあの瞬間、私の中で蓮は特別になっていた。
あの時からずっと、私は蓮に惹かれていたんだ…………
ポカポカと叩く手が止まる。蓮の顔が真っ直ぐ見れなくて、ぐっとうつむいた。蓮のコートをキュッと掴んで引き寄せて、こつんとおでこをぶつける。
「……私も、好き」
ぐっと息を飲む音がして。
蓮の、熱っぽい吐息が降ってきた。
「ほんと、かわいすぎるだろ……」
そっと背中に回された腕は、あの日のように温かかった。