5 絆されそうになっている
それからしばらくして、蓮が隣の家から戻ってきた。
暖かそうなロングのコートを羽織っている。首元には、ふわふわの白いマフラーが巻かれていた。
よしよし。なかなかの重装備っぷりだ。
「え、なによこれ?」
「紗英もいるかと思って。あったかいでしょ?」
にこにことして近寄ったかと思うと、蓮が私の首に手編みらしき淡いピンクのマフラーを巻き付けた。ぐるぐると首の周りに3度巻き付けた後、垂らされた両裾には、可愛いうさぎのあみぐるみがぶら下がっている。
「えらく可愛いマフラーね……これ菫さんが作ったの?」
「うん」
「そんな大事なもの、私が借りちゃっていいの?」
「可愛すぎて誰も使えないんだよ、それ。母さんが喜ぶから、使ってやって」
愛らしいうさぎを眺めながら納得する。これを男子高生に使えというのは、いくら蓮が可愛くても無理というものだ。菫さんは年の割には可愛いらしい人だけど、それでも40は過ぎていたはず。蓮は一人っ子だし、おじさんは言うに及ばずというもので……。
「でもちょっとこれは、私にも可愛すぎるわよ」
私じゃ、菫さん以上に似合わないと思う。
うさぎもだけど、ピンクというのがまず似合わない。
私って、こういう可愛いものが似合うような顔してないのよね。残念だけど。
うさぎをつまんで苦笑する私に、蓮がにっこり笑って言い切った。
「大丈夫、似合ってるよ!」
だから笑顔でさらっと嘘言うんじゃない。なんだか、こそばゆい気持ちになってくるじゃない。
自分が、まるで可愛い子にでもなったような錯覚をしてしまいそうになる。
……騙されないんだから。
でもマフラーは温かいし、辺りは暗いし、どうせ誰にも出会わないだろうし。
今だけならと妥協して、そのまま借りることにした。
久しぶりの散歩に浮かれているらしく、プリンは、ぱたぱたと尻尾を振りながら、坂道を駆け足気味に降りていく。
「嬉しそうだね、プリン」
「そうね。こんなに喜ぶなら、もっと早く散歩してあげればよかったわ……忙しいなんて言い訳よね」
「明日も行く? 僕も付き合うよ」
「なんであんたまで来るのよ」
「……駄目?」
眉をハの字に垂れながら、蓮がじっと私を見上げてくる。
いやおかしいから。アンタの身長、よく見ると私より少し高くなっているじゃない。なのにどうして上目遣いが出来るのよ。その角度を作るために、わざわざ身を屈めるんじゃない!
しおらしくすれば私が頷くと思ってるな。
あながち、間違いではないところが腹が立つ。
ダメ!と視線で訴えると、蓮は悲哀に満ちた瞳でうるうると私を見つめてきた。
なんてヤツだ。
「紗英は、僕と散歩するのは嫌?」
そんなの、嫌に決まってるでしょ。
だから……だから、そんなあざとい表情するなっての……
ああもう……もうっ……!
「もう、好きにすればっ!」
ヤケになって答えたら、蓮がにんまりと口元を緩めた。その見事なまでの急変ぷりに、私は自分のセリフを速攻後悔するのだった。
◆ ◇
翌日から、蓮は毎日のように散歩についてきた。
この暇人め。
夕方は家事に追われるので、散歩をするなら帰宅後すぐに行くしかない。それをきっちり把握されているようで、プリンを連れて外に出ると、蓮が見計らったようなタイミングで隣の家から沸いてくる。まったくもって忌々しい。
でも、休日はそうもいくまい。
今日は午前中に一人でこっそり行ってしまおう。そう決意してお散歩グッズの用意をしていたら、軽やかなチャイムの音がした。
「紗英、蓮くん来てるわよ~」
母が嬉しそうに私の肩をつつく。
口元を引きつらせる私の前で、蓮が爽やかな笑顔を浮かべた。
腕を組んで、ツンと顔を逸らす。
「悪いけどこれから勉強しようと思ってたのよね。定期テストも近いし、今日はプリンに構ってる暇なさそうだから、蓮も帰ったら?」
テストが近いのは本当だ。プリンの散歩をする時間くらいはあるけれど、蓮に帰って欲しいのも本当だ。だいたい、きっちりした約束もしてないのに、適当にうちに来るんじゃない。
ここでしょんぼりした蓮を視界に入れたら最後、負けてしまうのはもう分かっている。だから言いたいことを手早く言い放ち、蓮を見ずにくるりと背を向けて部屋に戻ろうとしたのに、母に待ったをかけられた。
「紗英ったら嘘ついちゃダメよ。さっきから散歩の準備をしてたでしょ」
「…………」
どうしてばらしちゃうのよお母さん……。ちくちくとしたその視線はなんのつもりなの?
ええ分かってる。お母さんは、可愛げのない娘よりも蓮の味方をするのよね。ほんっと蓮に甘いんだから!
じろっと母を睨んでいると、健太と康太がやってきた。
「ねーちゃん、せっかく蓮が来てくれたのに、すっぽかす気かよ! 俺が同じ事したらスゲー怒ったくせに」
「……健太に関係ないでしょ」
「そうだそうだっ、プリンだって蓮が一緒の方が喜ぶぜっ」
「康太っ、そもそもプリンはあんたの犬でしょ~~がっ!」
「俺、友達と遊ぶ約束してんだよ。すっぽかすなんて良くないからな、ねーちゃんと蓮に任せたぜっ!」
康太が私の背中をドン!と叩く。勢いが良すぎて、前につんのめる。蓮が慌てて私をキャッチして、事なきを得たところで父まで玄関にやってきた。
「蓮くんおはよう、紗英をよろしく頼むよ」
「おはようございます、健一さん。微力ですが尽力いたします」
なに和やかにおかしな会話してんのよ。
ふるふると打ち震えるも、我が家に私の味方はいなかった。
◆ ◇
今日も私の首にはピンクのマフラーが巻きつけられている。
あげるよ、と言われたのを丁重に断ったのだけど、散歩の度に蓮はこれを持ってくるようになった。可愛いうさぎと淡いピンクの愛らしさに困惑したものの、似合わないというだけで、私も可愛いものが嫌いではないのだ。誰にも出会わないよね……と心の中で言い訳をして、首に巻き付ける。
プリンは私の姿を見て嬉しそうに尻尾を振り、その後ろに蓮がいるのを見つけてそっちに駆け寄った。もうすっかり、私より蓮に懐いてしまっている。
康太の言う通り、蓮が一緒で喜んでいるようだ。
2人と1匹で、冬の迫る街を歩いていく。
「昼間も寒くなってきたね」
「嫌なら帰っていいのよ。暖かい家の中で勉強でもしていたら?」
「ううん、着こんでいるから大丈夫。それに、どうせ散歩しているうちに温かくなってくるしね。テスト勉強ならさ、散歩の後で一緒にやろうよ」
「えっ……」
散歩だけでも勘弁して欲しいのに、勉強まで一緒とかなんの冗談?
顔を引きつらせる私に、にこにこと嬉しそうに蓮が話を続ける。
「ほら、僕と紗英って得意科目が違うでしょ? 丁度いいと思うんだ。一緒に勉強して、教え合おうよ」
「別に教えてもらわなくても、勉強くらい一人で出来るけど」
「僕は教わりたいんだけど……駄目?」
教わりたいもなにも、あんた、私よりもずっと成績いいじゃない。
蓮が何を考えているのか、さっぱり分からなくて困惑する。
「ねえ、駄目?」
「駄目よ」
蓮がしょんぼりしたけれど、もうその手には乗るもんか。コイツの顔は見ない。声もなるべく聞かない。
よし、遠くの景色を眺めて心を無にしよう……
「……紗英は僕のことが嫌いなの?」
無にしようと思ったのに。切なそうな声につられてつい、振り向いてしまった。
ええそうよ、大っ嫌い。
そう言ってしまえば、今すぐ蓮は私の隣から消えてくれるのかもしれない。けれどそう告げた瞬間の、蓮の悲しそうな顔がふっと脳裏をよぎり、私は何も言えなくなった。
代わりに、少し先にあるコンビニに、くいっと視線を向ける。
「ただで教えてなんかやらないわよ。あったかい飲み物、おごってよね」
………大っ嫌いなはずなのに。
絆されそうになっている。その事実が悔しくて、つい棘のある言い方をしてしまう。けれど蓮はそんな私の態度をものともせず、ご機嫌な様子でコンビニまで駆けていった。
――ちょっと待て。さっきまでの沈んだ空気はどこへ行った。
またもや、蓮にしてやられた……。
ガックリと項垂れていると、プリンが私を慰めるようにすりすりと大きな体をすり寄せてきた。本当に可愛い子……。
でも、あんたも蓮の味方なんだっけ?
すり寄るプリンをじとりと見つめていると、声を掛けられた。
「あれ、サエ?」
斎内だ。休日に会うなんて珍しい。
パーカーにジーンズとラフな格好をしている。
「おはよ、斎内。今日は部活じゃないんだ?」
「テストが近いからな、ねーんだよ。それより何その犬? お前、犬なんて飼ってんだ?」
「ああこれ、弟の犬。飼いたがったくせに全然世話しないから、私が代わりに散歩してんの」
「だよなぁ。お前がペットを可愛がるなんて、想像つかねーよ俺」
想像つかないって、うちの中で一番プリンを可愛がっているのは私なんだけど……。ペットを可愛がるのは可愛い女の子のやる事だとでも思っているのだろうか、コイツは。
何うんうん頷いてんのよ。失礼な奴め。
「って、なんだソレ」
斎内が目を丸くして、私の首元をまじまじと覗き込んできた。遠慮のない手が、うさぎのあみぐるみを無造作に掴んで強引に引っ張る。
「ちょっと、乱暴に触らないでよ」
「えらく可愛いウサギちゃんだな。え? なにお前、こーいうの好きなの? 嘘だろ……」
しまった。誰にも出会わないだろうと油断していた……。
ああもう、めんどくさいやつに出くわしてしまった。
「借り物よ。隣の家のおばさんの手編みなの。使ってくれって頼まれたのよ」
頼んできたのは、菫さんじゃなくて蓮だけど。
「すっげー嫌そうだな。まあ、気持ちは分かる」
「…………」
「趣味じゃないんだろ? お前ってさ、こういう可愛らしいもの身につけて喜ぶような、可愛げのあるヤツじゃねーもんな」
……そうよね。
世間の評価なんてそんなものよね。私もそう思う。蓮があんなにも真っ直ぐに肯定するから、ついうっかり、騙されてしまった。
淡いピンクに、愛らしいうさぎのあみぐるみ。可愛い女の子に似合いそうな、可愛い可愛いこのマフラー。
どうして私は、こんなに可愛いものを身に着けようなんて思ってしまったのだろう。……似合うわけないのに。
こんなマフラー、しなければ良かった。
「なに言ってんの。紗英は可愛いんだよ?」
唇を引き結びながらマフラーをぎゅっと握りしめていると、良く知っているはずの別人のような声がして。顔を上げると、そこには笑みを浮かべた蓮がいた。
斎内がぎょっとしている。その目は、ちっとも笑っていなかった。