3 愛想がないのも分かってる
「よぉ、サエ。久しぶりだな」
げっ、斎内!!
翌日。隣の家に住む嫌な奴を回避しようとして、普段よりも1時間近く早く家を出た私は、元カレという名の嫌な奴と最寄りの駅で出くわした。
なんの為に早起きしたんだ私は。ほんっと、とことんついてない。
斎内は学生カバンとは別に大きなスポーツバッグを肩から下げている。ああ、そういえばサッカーやってるって言ってたっけ。
なるほど、朝練か。それでこんな早朝に、こいつが駅にいるのか。よし、次から気をつけよう。
ちなみに、こいつも蓮と同じく私と同じ高校に通っている。田舎ではないけれど、都会というほど選択肢のない環境のせいで、似たような学力の相手とは高確率で同じ高校に通うことになる。
まぁ、斎内とは蓮と違ってクラスは別だけど。
「なに? なんか用?」
「なんだよその冷てー言い方。あいっかわらず可愛くねー奴だなー」
「別に、可愛いなんて言われたいと思ってないし」
自分から振った元カノに対して思うところは何もないのか、それとももう時効扱いとなっているのか、斎内は憎まれ口を叩きながら気軽に私の隣へやってきた。こいつも蓮と同類だな、とじろりと視線を向ける。
「お前、そんな態度だとまた彼氏にふられるぞ」
「は? 彼氏なんていないけど」
「へっ!?」
私の言葉に、斎内が心底驚いたような顔をした。
「だってお前、蓮と付き合ってんだろ?」
「はぁ? なんで私が蓮と付き合わなきゃいけないのよ」
「一緒に登校してるって同じ中学の奴らが言ってたぞ?」
「それ、出発地点が近距離で、到着地点が同じなだけだから。変なこと言うの止めてよね」
「…………ふーん?」
なんてこと。勘違いしていたのは心奈だけじゃなかったのか。こいつまで蓮とのことを誤解していたなんて……。しかもこの口ぶりだと、斎内の友達にも似たような想像をされている。
蓮め。子供の頃のノリで近寄るからこうなるんだ。ヤツのせいだ。全部、ヤツが悪い。
「フリーならさ、もっかい俺と付き合わね?」
「はぁぁぁぁぁぁ?」
「俺も今、彼女いねーし。お前だって彼氏欲しいだろ? 丁度いいじゃん。どうせお前みたいなツンケンしたやつ、彼氏できてもすぐに愛想つかされるだろうし、その点俺なら、お前のそういうとこ分かってるから今更どうこう言わないぜ」
なに言ってんのコイツ。
可愛くねーとか言っちゃって、サクッと私を振ったくせに。もう一度付き合えとか馬鹿にしてるとしか思えない。
眉をひそめて、私はシッシと手を振った。
「悪いけど、あんたの冗談に付き合っている暇なんてないの」
「ほんと冷てーよなお前……。俺に未練とかないのかよ」
「あるように見える?」
「見えん」
がっくりと肩を落とした斎内は、それでも高校に着くまで私の隣を離れなかった。蓮と同じだ。なにもかも、到着地点が同じなのがいけない。
まぁ、蓮と違って可愛いと言ってこないだけマシか。
おかげで、ムズムズとした居心地の悪さは感じない。
「それより、今朝はなんでこんなに早いんだよ。お前、朝練組じゃねーだろ?」
「いつもより早く目が覚めちゃったから、たまには爽やかな朝を堪能しようと思って。まさかあんたに出くわすとは思わなかったわ」
「そうか。俺に出会えるとはラッキーだったな」
「そう見える?」
冷たい視線を送ると、斎内は「はぁ」とわざとらしいため息をついてみせた。
「ほんっと可愛くねーな、お前」
「あんたも口の悪さは変わんないわね。斎内こそ、もっと優しくしないと彼女出来てもすぐに逃げられるわよ」
「……次は手放さねーよ」
「あんたの場合、逃げられる前にまず捕まえないとよね。取り合えず、彼女が欲しいからって見境なく当たろうとしている時点でダメだと思うけど」
相手にするつもりなんて無かったのに。気が付くと、叩いてくる軽口に、自然とこちらも軽口で返している。
不思議な気分だ。
斎内とこうしてまともに会話をしたのは、約2年ぶりになる。
特に避けていたわけでもないけれど、あえて近づくこともしなかった。こいつには、あんな馬鹿にされるような形で振られたのだ。当然腹も立てていたし、それなりに抱いていた好意もすっかり地に落ちていた。
だから、こんな風に喋る日が来るなんて、思ってもいなかった。
あの日ソファで流した涙は、一体どこに消えたのだろう?
がらがらの電車に揺られながら、騒がしい斎内の相手をしているうちに、当時の怒りが消えていることに気づく。
復縁したいとは思わないけれど、毛嫌いするほどでもない。友達として、たまにこうして喋るくらいなら、そこまで嫌とも思わないな。
そういえば……
可愛くないと何度も言われたけれど、特に何とも思わなかった。
◇ ◆
キッチンに、じゅわじゅわと油の音が響いている。
「お、うまそー!」
今日の夕飯は鶏の唐揚げ。揚げ終えた鶏肉の中から一番大きな塊に箸を入れ、火が通っているかどうかを確認する。
うん大丈夫。我ながら、今日もいい出来だ。
中学に上がった頃から、共働きで帰りの遅い両親に代わり、夕食は私の担当となっている。主婦さながら毎日のように料理に勤しんでいる結果、高1にして親よりも美味しいごはんが作れるようになってしまった。おかげで親が家にいる休日ですら、私が作らされている。
『紗英ちゃんの作ったご飯が食べたい!』と8つの瞳でうるうると懇願され、どうにも断れないでいる辺り、つくづく長女とは損な生き物である。頼られると弱いのだ。しょんぼりされると勝てないのだ。
「ちょっと康太! つまみぐいしない」
「ちぇっ。少しくらいいいじゃねーかよ、ケチ」
「ケチで結構。もうすぐ出来上がるんだから、少しくらい待ちなさい」
テーブルに伸びた手をぱしりと払いのけつつ、玄関先に視線を向ける。
「健太! 家に帰ったら先に手洗いうがい、って毎日言ってるでしょ」
「うっせえなぁ、鬼ババァめ……」
「なんか言った? あんたの分の唐揚げ、全部プリンの餌にしてもいいのよ」
「ひっで! わーったよ、洗えばいいんだろ洗えば」
「洗うだけじゃないわよ、うがいもちゃんとしなさいよ」
弟たちを叱りつけながら、溜息が出そうになってくる。
私、こう見えても女子高生なんだけど。それもピカピカの1年生なんだけど。まるで主婦よね、弟たちとのこのやり取りって。
中学2年の健太とは2つ、小学6年の康太とは4つしか年が離れていないのに、時に親子ほど離れているような錯覚を覚えてしまう。
「ん、いい匂いだね」
健太の後ろから、聞き覚えのある声がやってきた。
げっ、ヤツだ。最悪だ。私の眉間にくっきりと、縦に2本のしわが寄る。
「…‥なんであんたがここにいるのよ、蓮」
腕を組んで、じろりと威嚇するように睨んでやった。それなのに、私の態度に怯みもせず、蓮はリビングに現れてキラキラとした笑顔を私に向けた。
「今日、うちの母親遅くなるから、紗英んちで夕飯いただく事になってたんだけど……あれ、紗夜さんから聞いてない?」
「今初めて耳にしたわ、ソレ」
紗夜は私の母の名だ。蓮の家とは家族ぐるみで付き合っているので、苗字で呼ぶと誰の事だか分からない。加えて、おばさんと呼ばれたくない母達の強い抵抗により、お互いにみんな下の名前で呼び合っている。
産まれてこのかた16年も続いたこの悪習のせいで、私はだいっきらいな蓮と名前で呼び合う羽目に陥っている。
何度か、苗字で呼んでやろうとしたけれど……つい下の名前が口にでちゃうのよね。癖って怖い。
母は蓮に甘い。蓮のことを、3人目の息子くらいに思っている節がある。恐らく、菫さんの帰りが遅くなると聞き、「食べに来ればいいじゃない~」と軽~く誘いかけたのだろう。そしてそのことを、肝心の私に伝え忘れているとみた。
ふぅ、とため息をつく。
ま、しょうがないか。
いくら嫌な奴とはいえ、こっちが誘っておいて帰れってのは、いくらなんでもあんまりよね。
幸い、唐揚げは大量に作ってある。一人増えたところでどうってことはない。
「僕からも言っておけばよかったな。ごめん、帰るよ」
「別にいいわよ。たくさん作ってあるから、食べて帰れば?」
「いいの?」
「いいもなにも、うちで食べるつもりだったんでしょ? 家に帰っても何もないんじゃないの?」
「うん……ありがとう、紗英」
別に嫌ならいいけど、と追記するよりも早く、蓮がにこりと笑って私にお礼を言った。その真っ直ぐな笑顔に、頬がカッと熱くなる。
私は、そんな風にお礼を言われるような態度なんて取っていない……。
正直、蓮に対してツンケンしている自覚はある。
こんなキツイ口調で言われて、もっと怒っていいはずなのに。
……どうして嬉しそうに笑ってるのよ。
「嬉しいな。紗英の作るごはんって、美味しいんだよね。結構楽しみにしてたんだ」
そう言って、またふわりと蓮が微笑む。
その笑顔に、胸がギュッと掴まれたように苦しくなってくる。ああ嫌だ。斎内のように憎まれ口を叩けばいいのに。そうしたら、こんなにも落ち着かない気分にならずに済むのに。
本当に嫌な奴。
私が残りの鶏肉を揚げる傍らで、蓮がテーブルの上に4人分の食器を並べていく。勝手知ったる隣の家、どこに何があるのかなんて、蓮にはしっかりと把握されている。ちなみに、我が家には蓮専用の箸も茶碗も用意されている。
「蓮!こっちで一緒にゲームしようぜっ!」
「蓮っ、俺スタメンに選ばれたんだぜ。すげーだろっ!」
手際よく準備を進めていく蓮に、康太がじゃれついて邪魔をする。健太が濡れたままの手でリビングまでやってきて、自慢げに部活の話を蓮にする。
みんな、みんなみんな騙されている。
クラスの女子も。弟たちも。みんなが人当たりのいい蓮の外側に騙されている。でも、おあいにく様。私だけは騙されてやらないんだから。
「あ、運ぶよ。紗英」
唐揚げを山盛りにのせた大皿を運ぼうとしたら、蓮が隣にやってきた。さっきまで弟たちと楽しそうにしていたのに、いつの間に。
大皿に伸ばしかけていた私の手に、蓮の手が触れた。
ドキリとして、とっさに払いのける。
「い、いいわよこのくらい、私が運ぶわよ。それよりも、ご飯とお味噌汁は自分で自分の分、よそってよね」
「でも重いでしょ、それ」
「いいって言ってんでしょ!」
蓮をキッと睨み付けて、大皿を抱え上げた。
「ねーちゃん何八つ当たりしてんだよ、蓮が可哀想だろ~」
「康太。あんたもゲームばっかりしてないで、自分の分ぐらい自分でよそいなさいよ」
「蓮、蓮。ねーちゃんは女じゃなくて鬼婆だからな、そんな紳士な対応しなくていいんだぜ」
「健太。余計な事言ってないで、さっさと荷物を部屋に運びなさい。いつまでここに置いたままにしてんの」
「へいへい」
健太が蓮の肩をポンと叩き、しみじみと呟いた。
「蓮はほんっと優しいよなぁ。ねーちゃんはこーんなに蓮に冷たいのにさ」
健太の憐れむような声に蓮が苦笑する。
ちくりと胸が痛んだ。分かってる。さすがに今のは私が悪い。
蓮は親切で手を伸ばしてくれたのに……
リビングの入り口に放置したままの学生鞄とスポーツバッグを掴んで、健太に押し付ける。
「いいから、早くしなさいよっ!」
「あーもう、うっせえなー」
それなのに。
ありがとうもごめんなさいも言えなくて。こうして、当たり散らすことしか出来ない私は、自分でも嫌になるくらい本当に可愛くなくて。
嘘つき、と。
心の中で何度も毒づきながら蓮を見ていると、ふっと視線がぶつかった。
こんな私を赦しているかのように、ふわりと微笑まれてしまい、私は泣きたくなっていた。