1 可愛くないのは知っている
かわいい、という言葉ほど私に似合わないものはない。
鏡に映る自分を見るたび、ほとほと実感する。
女の子らしい甘さのない、キリリとした切れ長の目。ふくよかさの足りない、引き締まった頬のライン。いつもにこりともしない、むっつりとした口元。
クールで涼し気な美人だ、と優しい友人たちは私を褒めてくれるけど、実際のところは可愛さの欠片もない冷ややかな顔をしているだけなのだ。丸みの足りない大人びた顔立ちは、165センチと女にしては高めの背丈も相まって、街を歩けばいつも大学生と間違われてしまう。……本当は、まだ高校1年生なのに。
可愛くないのはもちろん、外見だけじゃない。
3人兄弟の一番上。長女気質で甘え下手。家では、共働きで不在がちな親に代わり、クソ生意気な弟どもを叱りつける日々。
親からは、しっかりしてるね、頼りになるね、としか言われない。それどころか、父からすると可愛い一人娘のはずなのに、怖いとまで言われてしまう始末だ。
学校でも、私の立ち位置は変わらない。
頼るよりも頼られる方が圧倒的に多い。元々人を頼るのが苦手な上に、なぜか昔から、親しくなる子は甘え上手な妹タイプの子が多かった。気付けばいつも、可愛い彼女達のフォローをする頼れるお姉さん的ポジションを築いてしまっている。
加えて、自分でも知らず知らずのうちに、大きな態度を取ってしまっているのかもしれない。過去一度だけ付き合っていた彼氏にすら、可愛くないと言われて振られてしまった。
うん、わかる。
だって本当に、私は可愛くないんだもの。
だから私は。
ヤツが―――大嘘つきの蓮が、だいっ嫌いなのだ。
◆ ◇
「おはよう紗英、今日も可愛いね」
「…………」
ほら今日も、ヤツはさらりと嘘をつく。
あからさまに眉を寄せた私に対して、まるで構うことなく、ヤツはキラキラとした笑顔を浮かべながら私の隣へ駆け寄ってきた。
なぜ来る。歓迎されてない事くらい、私を見ればわかるでしょうに。
ああ最悪だ。今朝も、朝っぱらから嫌な奴と出くわしてしまった。見上げると気持ちのいい秋晴れの空が広がっているのに、せっかくの爽やかな気分が台無しだ。
玄関の扉を開けたら蓮がいるなんて、ほんとついてない。
家が隣なのがいけない。おかげで、かなりの確率でこうして遭遇してしまう。
「……おはよ、蓮」
蓮とは、同い年で、同じ高校で、なんとクラスまで同じだったりする。腐れ縁にも程があると内心舌打ちをしながら、私は渋々返事をした。
風が一筋通り抜けて、蓮が身震いをする。
秋も半ばとなり、朝晩はすっかり冷え込むようになってきた。白いカッターシャツ姿の蓮は、見ているだけで寒々しい。
「天気がいいからもっと暖かいかと思っていたけれど、意外と寒いね。僕も紗英みたいにジャケット着て来ればよかったな」
「そうね」
「明日から冬服に変えようかな。ネクタイ締めたくないから、もう少しこのままがいいんだけどなあ」
「好きにすれば」
塩対応をされているにも拘らず、蓮はにこやかな顔のまま私の側から離れようとしない。繰り返すがこいつとは、学校が同じでクラスまで同じなのだ。つまり、このままだと蓮とは教室に入るまで一緒に過ごさなきゃいけないという事になる。冗談じゃない。
じとりと隣の蓮を見た。
色素の薄い茶色の髪には天使の輪っかが浮かんでいる。男のくせに、子犬のように愛らしい雰囲気と柔らかな顔立ちのこいつは、学校では可愛いと女子から人気があるようだ。
私にとっては、忌々しい存在でしかないけれど。
冷えるのか、肩を軽く竦めながら歩く蓮に苛立ちが募っていく。時間に余裕はあるんだし、そんなに寒いのなら今すぐ家に帰って着替えてきたらいいのに。そうすれば私も、爽やかな朝に逆戻りが出来るのに。
ふん。風邪引いても知らないんだから。
赤信号で立ち止まった蓮が、不意にこちらに振り向いた。視線がまともにぶつかって、慌てて目を逸らす。視界の端にうっすらと写ったヤツはふっと笑みを堪え、愉しそうに口を開いた。
「うちの制服って可愛いよね。紗英によく似合ってる」
「~~~~~~っ!」
背筋がムズムズする。
私は声にならない声をあげ、ずかずかと、足取りを速めながら駅へと向かうのだった。
◆ ◇
「おっはよー、サエ!今日も幼馴染クンと仲良く登校?いいなぁ幼馴染。わたしも欲しいなぁ幼馴染っ!」
蓮と一緒に教室に入ると、既に登校していた心奈がにやにやしながら話かけてきた。高校で仲良くなった彼女は、恋バナ好きのミーハーだ。悪い子ではないけれど、蓮との事をやたらからかってくるのが少々うっとおしくもある。
「あんな奴で良ければ、心奈に熨斗つけて押し付けてやりたいわ」
「わたしも貰えるものなら遠慮なく受け取るんだけど、たぶん拒否されちゃうのよね。残念ながら……」
心奈の反応も分からなくはない。世間的に見て、年頃の男女が隣に並んでいると、カップルもしくはそれに準ずる親密な関係だと受け取られても仕方がないのだろう。だから悪いのは心奈ではなく、周囲に勘違いの種をばら撒くような行為をする蓮の方なのだ。幼馴染だなんて言い訳はもはや通用しない年齢になっているというのに、ヤツは未だに私と関わろうとする。
気まずいから、放っておいて欲しいのに。
蓮は教室の真ん中で、仲の良いクラスメイトに囲まれながら、相変わらず愛想のいい笑顔を浮かべている。その笑顔の奥底で何を考えているのか、知れたものでは無いけれど。
「蓮くんって髪さらっさらだよね~」
「ねえねえ、シャンプーなに使ってるの?」
蓮の本質など露ほども知らない女子達は、今日も嬉々として蓮に話しかけている。騙されている女の子たちにも、のうのうと騙している蓮にもむかむかと腹が立ってくる。
「うわ〜、めっちゃ手触りいいね!」
女の子の1人が、ふざけた調子で蓮の髪に指を通した。蓮が眉を寄せて、でもすぐに困ったような笑顔に変えて、不快にあえぎそうなその表情を打ち消した。髪に触れ続けるその子の手を取って、やんわりと、でも確実に払いのける。
―――ほらね。
蓮は笑っているけれど、あんなの誤魔化しているだけだ。今ちらっと見せた負の感情が、ヤツの本来の姿なのだ。あの人当たりのいい顔の裏で、本音では何を考えてるか分かりゃしない。
だってこいつは。いつもいつもいつも、私に嘘ばかりついてくる―――大嘘つきなんだから。
「なに見てるの?サエ」
「べっ、別になにも。それよりもうすぐ雛が来るわよ。来たら一緒に問い詰めましょ」
「もっちろん! 昨日から楽しみにしてるんだもん。あの後何がどうしてそうなったのか、根掘り葉掘り聞きまくっちゃう!」
もう1人の友達である雛は、この週末に隣の家に住む幼馴染のお兄さんと無事カップルになれたようで、お風呂上りにくつろいでいると喜びのメールが携帯を振るわせた。それもあって今朝は気分が良かったのに、ヤツに水を差されたな……ともう一度だけ、蓮をひと睨みしておく。
「おっはよーヒナ、おめでとっ!」
「どうなることかと思ったけど、上手くいって良かったわね」
「2人とも、ありがと〜〜〜っっっ!」
晴れやかな笑顔を浮かべながら、雛が教室に入ってきた。その幸せそうな姿に、私の顔にも珍しく笑みが浮かぶ。
「押して押して、押しまくったらなんとかなっちゃった。諦めるのはまだ早いって、ほんとその通りだった!」
「良かったねぇ、ヒナ」
「2人には、いっぱい心配かけちゃったね」
「そんなもの、終わり良ければすべて良しよ。それより経緯を詳しく聞かせてもらうわよ?」
自分の気持ちに気づくのが遅くて、もう手遅れだと項垂れていた雛だけど、私は上手くいくと信じていた。
だって雛は、可愛いから。
彼女は気付いてないけれど、雛に想いを寄せている男子は多い。入学早々、イケメンの先輩に迫られていたので、みんな諦めているだけだ。
小さな顔に長い手足。サラサラの長い髪。大きな瞳にサクランボのような可愛い唇。雛は、文句なしの美少女だなとつくづく思う。
私のどこが可愛いのよ。
可愛いってのはこういう子のことを言うのだ。
蓮はほんとうに嘘つきだ。ヤツに可愛いと言われるたびに、私は身体がもぞもぞして、落ち着かなくて、その場から逃げ出したくなってくる。ヤツから逃げるだなんて、負けるみたいで嫌だから、そんなことは絶対にしないけど。
―――騙されないんだから。
もう一度だけ蓮を見た。
タイミングの悪いことに、またもや目が合ってしまった。ふっと柔らかに笑ったヤツの顔が妙に大人びていて、どきりとして、慌てて見ないようにした。