第4話 ユロとフレクト4 王宮での出来事
「姫様」
「はい?」
「姫様の名前をまだお聞きしていなかったので」
「まぁ、私の名を知らないの? この国で、貴方くらいよ」
その悪戯っぽい少女の顔に、年相応の、同じ年ごろの女の子に対するときめきのようなものを感じながらも、彼は小声で「すみません」と恐縮した。
「私は、ユロ。ユロ・セメディアルよ。呼ぶときは、ユロでいいわ」
「はい、ユロ様」
「ユロでいいってば」
「え、あ、はい、えっと、ユロ……」
「何です、フレクト」
楽しそうに訊き返す。
「ユロ」
「何ですか、フレクト」
二人、笑いあった。
ユロには、同年代の友人というものが居なかった。ずっと王宮の中で暮らしてきて、遊び相手といったら、側近のシラくらいのもの。あとは一人でできる遊びばかり。
彼女にとってはそれは当たり前のことで、寂しいと思っているわけではなかった。けれども、やはり同じような年齢の人間に対して大いに興味があったのだ。まして、それが昔から行ってみたいと思っていたガトゥアからやって来た少年であれば尚更のこと。
「えっと、実は、俺が乗ってきた宇宙船が壊れてしまって、帰れなくなってしまったんですが、何とか、帰る方法はありませんかね」
「それなら、私たちの方でシャトルを用意しますわ」
「ああ、そうか、よかった。でもきっとこれっぽっちの『種』じゃ、婆ちゃんに怒られるな」
「それも何とかします。ほんの少しずつ、毎年一つか二つずつでしたら、ガトゥアにお送りしますよ」
「本当ですか? ユロ様」
「ええ」
あわよくば、そのシャトルに自分も乗って、ガトゥアの風景を見に行きたいとユロは考えたのだろう。
「よっしゃぁ!」
子供みたいに大げさに喜ぶフレクトを見て、ユロは小さく笑った。しかしまた、元の真剣で申し訳なさげな表情に戻り、
「本当は、もっとたくさん、山のように渡したいんだけどね」
とはいえフレクトとしてみたら『種』を持って帰ることもできて、たとえ少量ではあっても、毎年『種』を送ってくれると王女さま自ら確約してくれたのだから、任務は達成したも同然と言える。
「いえ、ここまでしてくださって、本当にありがとうございます!」
「そう言ってくれると気が楽になります。私が生まれる前の戦争によって砂地になっていた聖地が再生したからといって、国土のほとんどは砂だらけで人が住めるような状態じゃないから、植林しなきゃいけないの。そのためには成長がとても速いセメディアが最も効率良くて……」
「なるほど」
「わかって、くれるわね」
「ええ、そりゃもう」
フレクトは何度も大きく頷いた。
「では、後ほど迎えの者を行かせます。迎えが来るまでこの部屋でゆっくりしていて下さい」
「は、はい」
ユロは自らの手で扉を開けると、振り返り、小さく手を振り、出て行った。
★
特にやることもなく、特に何を考えることもなく、時間だけが過ぎていって、その間ずっと目を開けたままベッドに横になっていたフレクトだったが、しばらくしてノックの音が響いた。
その時にフレクトの脳裏には王女ユロの姿がよぎったのだが、迎えに来たのはユロではなかった。
扉が開いて、預けていたボロいカバンを持った女性が視界に現れた。
軽装ではあるが武装した女性からカバンを受け取ると、フレクトは、それを肩に掛ける。女性に続いて外に出た。
「こちらです」
廊下の赤い絨毯を女性の先導でしばらく歩いていたが、その途中で、
「まて」
フレクトたち二人を呼び止めたのは、先刻ユロ王女と一緒に居て途中で追い出されたシラという名の側近だった。
「あ、これはシラ様。どうかなさいましたか?」
女性が不思議そうな顔をして訊ねた。
「ここから先は私が客人を案内しよう」
「え? ですがシラ様、シャトルまでは、もう一本道ですし、自分が……」
「いいから」
シラが言いながら、フレクトに隠す素振りも見せず女兵士の手に何かを握らせた。おそらく袖の下というやつだろう。
女は驚いた後、一瞬だけ笑みを浮かべ、「は、はい、ではお願いします」と言うと慌てて走り去った。
しばらく静寂が続き、それを破ったのは側近の足音だった。
赤い絨毯の上をシラが先導して歩く。
廊下に足音だけが響く。
沈黙。しかしその沈黙を破ったのも、シラだった。
「『種』を、持って帰るそうだな」
「ええ」
不審に思いながらも返事をしたが、すると側近は、
「もったいないな」
「は?」
「ガトゥアごときの人間に、『種』など必要ないと言っているんだ」
不意にシラの手が、フレクトの襟を掴んだ。
「この野郎、何を!」
フレクトは怒りに任せてシラの手を振り払い、逆にシラの襟を掴んだが、
「あーあー、すぐに暴力ですか。やっぱり野蛮ですねぇ」
「っく……」
「はなしなさい」
フレクトがその手の力を緩めたところで、シラがフレクトの手を払いのけた。そして、まるで汚いものに触れたかのように、汚れを落とすように手や服を払った。
「何なんだよ、お前」
「どうでもいいでしょう、フレクトくん。ところで『種』は今どこに隠し持ってる――ああ、わかりやすいですね。左胸のポケットですか」
正解だった。
「だから何だってんだよ」
「よこしなさい」
「何言ってんだ、これは姫様から貰ったものだ。ガトゥアに持ち帰るんだ」
「別にダメだとは言ってませんよ。ただ、少し確認のために見せてもらいたいだけです」
シラの手が静かにフレクトの胸ポケットに伸ばされ、『種』を袋ごと奪われ、シラが袋の中をチラリと覗いた。
「ふぅ、まったく。大事な『種』をこんな野蛮人なんかにねぇ」
「さっきからヤバンヤバンってうるさいな! 返せ!」
「返せ……ですか。いやだと言ったら?」
「腕づくでも取り返す!」
拳を握り締めて、少年は叫んだ。
「ならば、かかってきなさい」
「ナメやがって! このぉ!」
飛び掛るフレクトが、シラの腕を掴んだ時、
「ああ、やめなさいやめなさい、そんなことをしたら手が滑って……」
バラバラと、わざとらしく『種』をばら撒いたシラ。
次の瞬間には、木の枝が折れたような音がした。
シラの靴底が『種』を、いとも容易く踏み潰した音だった。
唖然とした。言葉を失った。何が起きたのか整理がつかなかった。
「あーあー、フレクトくんが暴れたりするから、まったく貴重な『種』を」
「わざとだな! この野郎!」
怒りが限界に達してしまったフレクトは、声を裏返しながらシラを殴ってしまった。王宮の廊下に、鈍い音が響く。
「ククク、殴ってしまいましたね」
殴られたシラは、倒れることなく、不敵に笑った。口の両端を吊り上げて笑うその顔には、薄気味悪さすら感じられた。
その時、兵士が一人やって来た。すべてシラの思惑通りだった。
「どうしました? 何の騒ぎで――」
男兵士が言い掛けて、はっとした表情、地面に転がる残骸をみた後、フレクトを見据えた。
「ち、ちがう! 俺は、俺じゃ……」
フレクトは必死に否定しようとするが、シラを殴ってしまったのは事実である。どう考えても言い逃れできる状況ではなかった。
「シラ様、お怪我を……」
「この少年が、いきなり『種』をもっとよこせと言って殴りかかってきたのだ」
シラの大嘘に戸惑うフレクト。殴ったのは事実だが『種』をさらに欲しがったりしていない。
「何だとっ!」大声を上げた兵士。
はめられた、とフレクトは思った。
さらに兵士はもう一つの重大な事実に気付いた。
「あ、こ、これは! 『種』がつぶされています! 何て事を!」
「ああぁ、何てことだ、折角姫様が自らお分けした『種』だというのに」
白々しい口調でそういったシラに、大いなる怒りがこみ上げてきたフレクトであったが、とにかくシラから離れないと絶対に事態は好転しない。駆け逃げることを選択した。
「あ、逃げたぞ! あいつめ、何をする気だ! 追え!」
「はっ!」兵士は力のこもった返事をして追いかけて来る。
フレクトは王女の部屋がある方角へと駆け抜け、それを見送ったシラは口の端を吊り上げていかにも悪そうな笑いを浮かべた。
★
「……とまぁ、そういうわけで、シラに『種』を踏みつぶされて、何だかヤバイことになりそうだったから逃げたんだけど、俺は悪くないよね」
「そんな同意を求められても、上手に嘘を吐く人なら、そのくらいの話、簡単につくれるんじゃないの?」
「俺そんな器用じゃないよ。わかるだろ?」
「そんなこと言われても、私、フレクトと会って半日くらいしか経ってないじゃないの。それで貴方の性格をわかれって方が無理あるでしょ」
「とにかく、シラってのは悪いヤツだったんだよ!」
ユロは沈黙を返した。
どうしても、シラが悪者だとは思えなかったからだ。かといってフレクトが悪者であるとも到底思えなかった。何を信じれば良いのかわからない。そう思った。
「私とシラは、いつも一緒に居たわ。ずっと私を守ってくれていた。私は王女という立場だったから、当然、命を狙われることもあってね。危ない時にはいつもシラが駆けつけてくれた。私は、シラを、信じたい……」
ユロとフレクトは、船内の画面に映った月を見つめた。