第2話 ユロとフレクト2 フレクトの使命・ユロの憧れ
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フレクトには使命があった。
それは宇宙空間を隔てた月に『種』を持ち帰ること。
発端は、四年前にまで遡る。
ガトゥアという星に暮らす民は、元々ユロ王女らが居るセメディア王国の民が大半を占めており、隣国との戦争の際、ガトゥアへ逃げた人々の一割程度が、そのままガトゥアに住むことになったのだ。残った人々は強制的に取り残されたというわけではなく、自発的に残った民だ。
交流がなくなって日が浅い上、同一の民族であるから、言葉も通じたし、本国と同じような慣習や信仰が根付いていた。そのためガトゥアにも聖地と呼ばれる森があった。
地上にある森に似せようとして似なかった一種類の神木のみが茂る場所であった。
もっとも、この時代は、地上の聖地も神木だけの森であったのだが。戦争の際に徹底的に焼き尽くされてしまって、再生された時に神木だけが植えられたようだ。
そして月であるガトゥアでは、そもそも神木以外の木々は育たなかったし、そもそも、ガトゥアは人間にとっても植物にとっても過酷な環境であり、痩せた土地でも高く大きくなる神木は土壌を育むためのものとしても役立てられ、建材としても重宝された。
フレクトが地上にやって来た目的というのも地上と衛星との環境に違いがあるからで、つまり地上のセメディア王国と天上のガトゥアでの最大の違いは、ガトゥアでは『種』ができないことだった。
花が咲かず、果実も実らず、枝を突きさしても育たず、種もできないとなると、森を広げていくことができない。
そこで少年フレクトが地上に送り込まれることになったのである。
フレクトが青い星に向かう少し前に、ガトゥアの象徴たる樹木が何本も枯れた。崩れるように倒れてしまった。老婆はその光景を前にして膝をつき、涙を流した。
「おぉぉ……ガトゥアの聖地が……」
その老人の肩にはフレクトの手があった。
青い星が石畳と明るい喧騒と平和に包まれている時代に、青くない星は砂の大地と死にかけの森、静寂と大いなる不安に包まれていた。
ガトゥアの人々は枯れてしまった神木――地上では『セメディアの木』と呼ばれ、ガトゥアでは『ガトゥアの木』と呼ばれている――の種を手に入れるため、計画を練った。
ガトゥアに建てられた町全体を覆う大きなドーム。その中にある博物館に置かれていた小型の宇宙船を修理し、少年を使者として送り込むことにした。
「フレクトよ。ガトゥアの森はもう駄目だ。わしらと同じで年を取り過ぎた。花の咲かない樹から、新しい命は生まれない。お主が……一度あの星に行ったことのあるお前が唯一の希望なんじゃ。どうか、どうか『種』を持って帰って来ておくれ」
育ての親でもある老女の言葉に、フレクトは大きく頷いた。
そしてフレクトは、宇宙を渡り地上に降り立ったのだが……あろうことか王女であるユロを脅して、何とかガトゥアに帰ろうとしていた。
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赤い絨毯の廊下を慎重に進む。ユロを連れ去ったことは気付かれていないようで、兵士の数も少なかった。
やがて屋外に出ると、曇り空が迎えてくれた。
「ユロ、船はどっち?」
するとユロは、黙ったままシャトルのある方向に視線を向け、その方向を指差した。
小型シャトルはもう、見える位置にあった。
フレクトが見上げた先にはロケットのような物体。全長が三十メートルほどの細長いシルエットは、フレクトが今まで見た宇宙船の中で最も大きなものだった。
「すぐにでも飛べるはずよ」
「それじゃ、誰か来ないうちに行こう」
しかし、
「おい、いたぞ! こっちだ!」
「あのガキ、許さねぇ!」
先刻殴り倒した兵士が二人、追いかけて来た。
だが今や、フレクトには大きな交渉のカードがある。
「動くな!」
フレクトは卑劣極まりないことに、王女の肩を掴んで剣を向けた。
「人質だ。指先一本でも動かしてみろ、姫の首が舞うぞ!」
必死に虚勢を張るフレクト。
さらに追い討ちをかけるかのようにユロがフレクトに小声で話しかける。
「確かに私が人質になれば、この場は切り抜けられるけれど、その後はどうするつもり?」
答えている余裕は無かった。
「卑怯な!」「汚いぞ!」
兵士たちの声に言葉を返すことなくフレクトはユロを引っ張って走り、そして開いていた丸い扉からシャトルに乗り込んだ。
機密性の高い分厚い扉が閉じられ、ロックが掛けられた。
王女を人質にとられてしまっては、兵士二人も、黙ってその光景を見ているしかなかった。
シャトル内に入ったフレクトは、大きく息を吐きながら剣を鞘にしまいこむ。
「どうやって動かすんだ、これ」
「自動操縦よ。ガトゥアまでの航路はもう入力されているわ。あとはスイッチ一つ」
「これか?」
軽率なフレクトは、あっさりとスイッチを押してしまった。
その光景に目を疑い、思わず絶句するユロ。
振動と轟音。エンジンが始動。
「危ない! 早くシートベルトを! 早く!」
素早く座席に座りながら叫ぶ。自分が設計した乗り物であるため機能を熟知していた。
しかし、初めて乗るフレクトはパニック状態で戸惑うしかない。
「どこっ、どこだっ?」
シートベルトを探しながら、おたおたするしかない。
「来て!」
鳴り響く轟音の中、ユロはシートベルトを締めてフレクトに向けて両手を伸ばした。
出発時の揺れのせいか、あるいはフレクト自ら飛び込んだようにも見えたが、ともかくフレクトは王女ユロの腕の中にいた。
抱きしめていた。しっかりと、力強く、離さないように。
細長い物体は、聖地の森に大量の噴煙を撒き散らしながら空へと昇っていく。その煙が晴れた頃には、シャトルは煙の筋を残して視認できないほど遠くまで飛び立っていた。
シャトルが空に昇っていくには、強烈な重力が圧し掛かる。特殊な座席なしでは大怪我をするような強烈な重力だ。機械好きのユロはそれを知っていたので、彼をしっかりと抱きしめて離さなかった。
やがて小窓から見える色が青から黒へと変化して、揺れがおさまり、ほぼ無重力状態となった時、ユロは安堵の溜息を吐いてフレクトに話しかけた。
「おさまったみたいね、フレクト、大丈夫?」
しかし反応がなかった。よだれを垂らして意識を失っていた。
「やだ、きたない」
ユロのおかげで外傷は無いようだった。
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側近シラがフレクトに何をしたのか。
フレクトは「はめられた」と言ったが、具体的にどこで何をどういう風にしたのか、訊ねている暇もなかったし、訊ねようにも気絶してしまっていて、ユロは、どうしたものかとシャトルの天井を見上げた。
このシャトルは、ユロ自らの命令で作らせたものだったのだが、議会によってガトゥアとの国交断絶が決定してしまい、シャトルが飛ぶことはこれまで一度も無かった。
だから、ユロは宇宙に出るのは初めてだった。
宇宙は、ずっとユロの憧れだった。
幼い頃から憧れたガトゥア。今、その星が少しずつ近付いてきている。宇宙から見るガトゥアは、地上で見るよりも色が違っていて、黄色や金色というよりも灰色だった。
「ふぅ」
と、一つ息を吐く。
どうやら自分の腕の中で眠るフレクトは軽率なだけで悪い人間ではなさそうだと感じていて、でもガトゥアに対する憧れが自らの目を曇らせていたからかもしれないとも思う。
「憧れ、か」
自分にとっての側近シラもまた、自分を縛る存在でありながらも憧れであり、シラを見る目は曇っていたのかもしれないとも思う。
ユロは心の中で期待と不安を混ぜこぜにしながらフレクトを抱く腕に力を入れた。
小さく呻きながら、フレクトはユロの胸の上で目覚めた。
「ん……あ……って、うぁああ!」
フレクトはすぐに自分の現在位置を把握して、
「うわわわ! すみません1 なんという畏れ多いことを!」
そんなことを言い放ちながら、慌てて飛び退いた。
それでユロは少しだけ表情を曇らせたが、無重力状態の中をうまくバランスをコントロールできずにボールのようにボンボン跳ねているフレクトを見て、すぐに笑顔になった。
「あはは、下手ねぇ」
それでフレクトはムッとして、
「じゃあ、ユロもベルト外してみろよ」
「いいわ、見てなさい」
ユロも自らを縛りつけていたシートベルトを外して立ち上がった。
「私はちゃんと、毎日のように無重力を想像してるから、簡単に体をコントロール――って、あれれぇーっ」
ユロはその場でくるくると前方宙返りを始めてしまった。
「と、とめてー」
「やっぱ、大人しく座ってた方が良いな」
フレクトはそれまでユロが座っていた座席について、ベルトを締めた。
「こら、ちょっと、とめなさいよぉ!」
とても嬉しそうに、ユロは言った。