80:戦の天使
「なん、だと……?」
全ては刹那の出来事だった。
咄嗟に【黄金障壁】を展開するも、守ることが出来たのはこの身一つ。
再び視界が開けた時には、多くの仲間たちが風に飛ばされ、雷撃によって身を焼かれていた。
そして、
「――ほう、よく反応した喃。偉いぞ、少年」
くつくつと響く、好々爺めいた笑い声。
強力な仲間たちを一瞬で薙ぎ倒した男は、手放しで俺を褒めてきた。
皮肉などでは一切ない。天使ヘラのような悪意もなく、まるで孫でも褒めるように。「悦いぞ悦いぞ」と心から嬉しそうに。
「其でこそ殺し甲斐が在るといふもの。ささっ、続きをやろうか」
「っ、お前は……」
「ン? あぁ、そういえば自己紹介がまだだった喃!」
男は……ラグナル・フォン・ニダヴェリールは、完全なる別人へと変貌していた。
容姿だけならそれほど変わってはいない。肉塊となった天使バルドルとは違い、金色の髪が腰まで伸び、十一枚の羽根が背中より生えているだけだ。
しかし中身はもはや別物。恐怖に震えた様は消え去り、余裕と度量と優しさに満ちた大人物の雰囲気を纏っていた。
親しげな笑みが美貌に刻まれる。一見すれば、よい変化を遂げたようにも見えるが……、
「儂の名はオーディン。趣味は修行と殺し合い。ハイ、自己紹介終わり。それでは続きをするとしよう!」
男は笑顔を浮かべたままで、極大の雷風弾を放ってきた――!
コイツ、息をするように殺しに来やがった! 好意と殺意の境目が一切ないッ!
それにオーディンといえばっ、
「神話曰く、最強の天使の名前じゃねーかよッ! くそっ、【黄金障壁・改】三枚展開ッ!」
三重の守りを目の前へと出現させる。
かくして次瞬、雷風弾が概念の壁と正面衝突。ガガガガガガッッッという音を立てながら猛烈な勢いで障壁が削れていくも、どうにか壁を一枚残して耐えることに成功するのだった。
しかし、それにほっとするのも束の間。オーディンは「術式完成」と呟くと、翼の一本を槍のように変化させて握り締め、地面へと強く突き立てた。
「まずは手下を切り離そうか。獄雷風術『ワイルドハントの哭く夜に』」
「これはッ!?」
聖堂に吹き荒れる暴風と雷撃。
俺とオーディンを中心に、雷電を伴った激しい竜巻が展開された。
それにより仲間たちと分断されてしまう。
「――魔王殿よッ、今助けるぞ!」
そんな中で一人、竜人と化したディアスが飛び込まんとしてくれた。
本家本元の【黄金障壁】を纏い、雷風の壁に特攻する彼女。しかし障壁は瞬く間に砕け、ディアスは火傷と切り傷にまみれて吹き飛ばされてしまう。
「ぐぅうううッ!?」
「ディアス!」
「ホッホッホ。設置型という条件の分、出力は先ほどの雷風弾以上だ。儂ら二人の邪魔はさせんよ」
笑い声と共に、オーディンは十一枚の翼を全て槍状に変形させた。
あれがヤツの武器なのだろう。その内の二本を握り、俺に切っ先を差し向けてきた。
さらに。
「さらっとアタシを無視しないでくれるゥッ!? ヘラちゃんもいるんですけどォーッ!」
同じく竜巻の中にいたヘラが、ずかずかと前に出てきた。
最悪だ……。『戦の天使オーディン』一体にさえ、勝てるかどうかわからない状況だというのに。まさか二体の天使と、一人で対峙することになるとは。
「ぬぅ~、ヘラよ。お前気持ち悪いから消えてくれぬか喃? ネチネチした裏方工作ばっかしてるし」
「その裏方工作で蘇れたんでしょうがボケジジイッ! 遺伝子適合率B+のラグナルを見つけて育ててここに至るまで、どれだけ面倒だったと思ってるわけ!? あとキモくないし!」
「わかっとるわい、半分冗談じゃ」
「半分!?」
憤慨するヘラを無視し、オーディンは両手の槍を軽く薙いだ。
それだけの所作が恐ろしい。一寸の乱れなき槍閃に、確かな技量と殺傷力を感じ取る。
「動きは上々。背丈も良し。違和感はまぁ当然あるが、戦っていれば慣れるじゃろ。褒めて遣わすぞ、ヘラよ。千年間よく頑張った」
「ん……」
「さて――それではエレン・アークスよ」
緋色の瞳がこちらを射抜いた。
威圧感が、全神経を圧迫する。
「先刻ヘラは語ったな。レイアという少女は、『天使復活計画』のために利用されていたと」
「……ああ。世界に再び『魔』を溢れさせ、人間たちを魔物憎しとすることで、お前たちの器となる条件を揃えたってな」
本当にクソのような計画だ。今頃フェンリルはあの世で泣いているだろうよ。同じく天使の奴隷仲間だった人間と魔物が、お互いを憎み合い、そして両者とも天使復活の呼び水とされているんだから。
「その通りじゃ。最終的には全ての天使を蘇らせ、全員の神気を捧げることで女神ユミルを復活させる。それが我らの目的よ。
じゃが喃――本来ならば、この計画は五百年前に遂げられていたはずなんじゃ」
「何?」
不意に告げられた事実に訝しむ。
天使たちの計画が、五百年前に遂げられているはずだった?
数瞬のあいだ思考を巡らせ、そういえばと思い至る。
「……たしかにそうか。レイアは人類を徹底的に追い詰めたという。なら、『魔への極大のマイナス感情』を抱いていた者は、山ほどいたはずだ」
「あぁ。じゃが喃――『勇者』と呼ばれる人間が魔王レイアに立ち向かったことで、結果的に計画はご破算になった」
ゆう、しゃ――その単語に俺は思い出した。
ユミル神話にも負けぬ英雄譚。邪悪な魔王を討ち滅ぼし、人類に光を与えた『勇者ジークフリート』の伝説を。
俺自身が魔王となった今では、忌々しい話でしかなかったのだが、しかし。
「アレは強い男じゃった。我ら天使の計画など知らず、ただ真っすぐに魔の軍勢へと立ち向かい続けた。
その結果、人々はヤツに希望を与えられてしまった。『魔への絶望』という感情が欠けては、とても天使化など出来んよ」
「そうだったのか……」
今まで勇者は憎い存在でしかなかった。
戦後も彼は『呪縛の魔法紋』を開発し、それによって魔物たちは苦しめられてきたのだから。
だがしかし……勇者は確かに人類を救っていたのか。暴走させられた魔王レイアだけでなく、天使たちの魔の手からも。
「――ゆえにエレンよ。儂は決して、人間を舐めんよ」
「ッ……!」
威圧感が一気に高まる。
お喋りは終わりだと言わんばかりに、オーディンは闘気を滾らせた。
「全力で戦るぞ。確実に殺るぞ。流儀も誇りも二の次だ。貴様を部下から引き離し、逆にこちらは仲間を頼って、大人げもなく貴様を殺す」
槍を構える『戦の天使』。同時に背後の『骸の天使』も、本気の表情で前に歩み出た。
対するこちらは、たった一人。
「はっ、覚悟を固めるしかないか……!」
「あぁそうよ、足掻けよ『魔王』よ。見事儂らを打ち倒し――『勇者』の名前も引き継いで見せろッ!」
かくして、絶望的な最終決戦が幕を開けたのだった――!
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