79:パンとワインと
「ふざけるなァああああーーーーーーッ!」
許さない。許せない。到底許せるわけがなかった!
命懸けでヒトを守ったフェンリルの勇気を。その覚悟を、こいつらは馬鹿にしやがったんだ。
もはや天使を天使だとも思わないし、一生女神も信じない。こいつらは、この世で一番の塵屑だ!
「死ねッ、天使ヘラ!」
怒りのままに黒剣を振り下ろす。
もはや一秒たりとも目の前にいることが不快だった。
一刻も早く、抹殺してやる。
「やぁーんっこーわーいーっ!☆」
ふざけた声を上げるヘラ。
そんなクソ天使を真っ二つにせんとした、その瞬間。
「――ァアァァ……!――」
呻き声と共に、腹部に激しい痛みが走った。
いつの間にか俺はナニカに胴体を薙がれ、空中を転がされていた――!
「くっ!?」
状況を把握した俺は、どうにか身体を捻ることで足から着地した。
まるで意味が分からない。一体ナニによって攻撃されたのかも掴めないが……反応できなかったことだけは確かだ。
血の混じった唾を聖堂に吐き捨てる。今の一撃で、胃が潰されかけた。
「エレンッ、大丈夫か!?」
「あぁ……」
シルを始めとした仲間たちが駆け寄ってくれた。
彼らは恐々とした目でヘラのほうを見る。
「“アレ”を見てみろ、エレン。ヘラの足元を……」
「アレだと……?」
シルに言われ、ニヤつくヘラの足元に目を向けた。
そこには。
「ァッ、ァ、これはァアァァァ!?」
そこには、苦しみ悶えるラグナルの姿があった。
彼の背中からは十一枚もの翼が生え、まるで圧し潰された虫のようにもがいていた。
「あれは、ポルンの時と同じ天使化現象っ!?」
まずい、一度に二体の天使なんて相手にしていられるか!
俺は咄嗟に腕を突き出し、サラの能力を借り受ける。
「異能発動、【大火炎】乱れ撃ち!」
超熱量の火球をラグナル目掛けて放ちまくる。
重い頭痛を感じるが無視だ。異能の多重使用は負担が大きいが、ここで無理しなきゃいつするっていうんだ。
「燃え上がれッ!」
かくして、浄滅の炎は天使ヘラごと敵を灰へと変える――はずだったが。
「甘いわよぉエレンくん。今目覚めようとしているのは、『戦の大天使』なんだから☆」
その刹那、幾千の突きが炎弾の数々を掻き消した――!
一瞬の出来事に「は?」と声が漏れてしまう。
ラグナルは未だに呻いているというのに、十一枚の翼だけが別の生き物のように蠢き、その尖った先端で『槍技』を繰り出したのだ……!
「まさか先ほども、あの羽根によって薙ぎ飛ばされたのか……?」
力押しばかりだったバルドルとは訳が違う。
神速の薙ぎも嵐のような乱れ突きも、どちらも技術に裏打ちされた神業だった。
焦って攻めれば、一瞬で殺られる。
そう理解した俺は呼吸を整えることに注力した。
「グヒヒッ! 賢いわねぇエレンくん、実力差が理解できたみたいじゃないの」
聖堂に耳障りな嘲笑が響く。
女神ユミルの銅像の下、ヘラは苦しむラグナルに目を向けた。
「切り札もなく長話なんてしないわよ。アンタたちが乗り込む前には、彼には特級の『聖遺物』を――『ある大天使の血』をワインに混ぜて飲ませておいたわ。
そして……魔に対する怒りと絶望も、アンタたちが目の前に現れた瞬間にピークとなった」
「魔に対する、怒りと絶望だと……?」
そこで俺は思い出した。
そういえばヘラは、天使バルドルと化した領主ポルンに対しても、それらを引き出させるような言葉を発していた。
つまり、
「『適合率』と『聖遺物』と、『魔への極限のマイナス感情』。それが、人間を天使化させるために必要な素材というわけか」
「そうッ! ヒトを天使に変えるためには! その人間と天使の精神状態を、リンクさせる必要があったのッ!
あぁ、だけど魔物なんて千年前に滅びちゃったでしょう? ヘラちゃんだって人間の死体を借りてるだけだから、産んでも産ませても魔物は生まれないしねー」
――だぁかぁらぁぁぁあ、と。
最大級の悪意を込めて、天使ヘラは俺に告げる。
「五百年前。アタシはとある『黒髪の捨て子』に、パンを食べさせてあげたわぁ。フェンリルの遺灰を混ぜたパンをねぇ☆」
「……なに?」
五百年前。 黒髪の子。
それらの単語が、俺の脳裏をチリチリと掠めた。
「結果は大成功だったわぁ。元々魔物は、天使と人間の間の子だもの。遺伝子が近い分、『天使化』ほど難しくはなかった」
「待て」
「それにフェンリルはお優しいからねぇ? そこで悶えてるラグナルみたいに、少女の人格を塗り潰すこともないとわかっていた。アイツに完全復活されたら困るからねぇ」
「待てよヘラ。その、少女って……」
――冷静になろうとしていた思考が燃える。
何度目かになる怒りの爆発が、心の中で起きようとしている。
そんな俺を見て、天使ヘラは裂けるように笑い……、
「かくして、見事にフェンリルの『魔物創造能力』だけが、その女の子に宿りましたとさぁッ!
それからアタシは世論を操り、その少女を徹底的に迫害することで――『憎しみの魔王・レイア』が爆誕したってわけぇええー--っ!」
「貴様ァーーーッ!?」
理性が一気に吹き飛んだ――!
異能【怪力】を最大倍率で身体に宿し、再び斬りかからんとする。
だが、大きく踏み込んだ瞬間。
「お待ちください、エレン様」
静かな声が、俺の足を食い止めた。
呆然と振り返れば、そこには。
「……レイア」
「えへへ……全部、聞いちゃいました」
――『初代魔王』レイア。
今や白髪の亡霊となった少女は、困ったような表情でそこに立っていた。
「全ては天使の計画だったんですね。わたくしが持って生まれたと思っていた能力も、実は与えられたものだったというわけですか。
わたくしの人生は、『魔の存在』をこの世に再び溢れさせるために、全て操られていたと……」
淡々と呟く声が痛ましい。
俺はレイアに駆け寄ると、彼女を強く抱き締めた――!
「レイア……レイアッ……!」
「ありがとうございます、エレン様……。わたくしは、ぜんぜん、だいじょうぶですから……!」
無理やり笑顔を作るレイア。
その気遣いがあまりにも切なく、俺のほうが泣きそうになってしまった。
「あら滑稽☆ 操り人形同士が慰め合ってるわァ~」
「ッ……ヘラ……ッ!」
嘲笑う言葉に心がざわつく。
俺は敵のほうへと向き直り、黒剣を握り直した。
「お前は、本当に最悪の生物だよ」
「あらあら、勘違いしないで欲しいわぁ? アタシはあくまで天の使い。『天使復活計画』は、女神ユミル様が立案したのよん? ヘラちゃんは無罪だわ」
「んなわけあるか。女神もお前も揃ってクズだ」
再び睨み合う俺たち。
闘志と殺意が、聖堂の空気をひりつかせていく。
『ブッ殺してやる……!』
そこへとさらに、限界に達した無数の怒気が加わった。
魔王レイアの尊厳を滅茶苦茶にされたことで、魔物の軍勢ももはや暴走寸前だった。
そして……いよいよ俺たちが攻め込まんとした、その時。
「消えッ、オレッ、ラグナッ、ル、きえ、助けェェェェエッ!? ――さて、戦るか」
雷と暴風が、俺たちに向かって吹き荒れたのだった――!