76:人間
「……つくづく、天使ってのはどうしようもないヤツばかりみたいだな」
翼を生やしたヘラを前に毒吐く。
もはやユミル神話が嫌いになりそうな気持ちだった。
「あらエレンくん、もっと驚いてもいいのよぉ?☆」
「まぁ予想はしていたからな。現代に天使を復活させられるヤツだ。最悪、お前自身が天使である可能性だって考えていたさ」
その最悪が当たっただけだ。困惑はしても動揺はしないさ。
そもそも、何万体も死体を操る魔術なんてのは聞いたことがないからな。明らかに人間を超えた力だとは思っていたが、上位存在というなら納得だ。
「聞かせろよ、神話の真実を」
俺は黒剣の柄を握り締め、『天使ヘラ』を強く睨んだ。
「お前はこう言っていたな。“約千年間、『彼女』の命令によって人類全体を操ってきた”と」
途方もない計画だ。その『彼女』とやらのことがよほど好きでなければやってられないだろう。
そして、天使が心から愛を捧げ、唯一命令を聞く女性と言えば――。
「『創造神ユミル』。全ての黒幕は、世界を創った女神様なんだな……?」
「えぇ、正解よぉ♡」
意を決した問いかけに、天使はあっさりと頷いた。
「っ、ふざけるな……! なんだそれは……!?」
女神ユミルが何を考えているのかは知らない。
しかし、まずは怒らせろ。
「神話ではこう伝えられている。『女神ユミル』は人類を愛していたと悪魔フェンリルと相討ちになった後も、天の果てで人々を見守っていると」
「えぇそうねぇ」
「それは、嘘だったのか?」
「どうしてそう思うの?」
……噛み締めた奥歯がぎしりと罅割れた。
どうしてそう思うの、だと?
「どうしてもこうしてもあるかよ。女神の意を汲む『天使』のお前が、どれだけの人間を傷付けたと思ってるんだよ……!?」
もはや両手の指では足りない数だ。
コイツは一晩で数万体もの死体人形を用意してきた。つまりはそれだけ人を殺したってことだ。
それに、コイツが調教していたラグナルのせいでスクルドの母親が死んだ。スクルド自身も激しく傷付いた。
これが天使のやることかよ……! 従僕である天使にそんな真似を許しているなんて、女神は一体どいうつもりだ!?
「答えろ、ヘラ。女神ユミルは、本当に人類を愛しているのか……!?」
殺意を込めて問いかける。
そんな俺に対し、天使ヘラは可愛らしい微笑を浮かべると……、
「えぇえぇ、愛しているわぁ。可愛い可愛い、性奴隷としてね……!♡」
「なっ――!?」
その言葉に、息が詰まった。
性奴隷……だと? ちょっと待て、何を言っているんだコイツは。
どうしてそこで、そんな下劣な単語が出てくる……?
「嘘を言うなよ……。神話ではたしか、『女神ユミルは、大地を耕すために、自分や天使たちの似姿から人間を生み出した』って……」
「ンなわけないでしょ。畑づくりなんて、人間よりも何千倍も強いアタシら天使に任せたらチョチョイじゃないの」
「っ、それは……」
たしかに、そうだ。
女神ユミルは、最初にオーディンやロキといった強力な『天使』たちを生み出したんだ。
そいつらに任せておけばラクに済む話じゃないか。わざわざ人間なんて作る必要はない。
「じゃあ、本当に俺たちは……」
「そう、最初から抱かれるために創られたのよ。
だって考えても見なさいよ? 見た目だけなら同族っぽいけど、チカラは貧弱で、抵抗できなくて、柔らかくて、淫語も言わせることが出来て、しかも殺したら土に還ってくれる生き物なんて、まさに理想の肉便器じゃないのォ……♡」
ヘラの瞳が劣情に蕩ける。
淫猥な欲望の込められた視線で、俺の身体を舐め回すように見てくる。
気持ち悪さで頭がどうにかなりそうだった。
「グヒヒッ、アタシたち天使も昔から利用させてもらってるわぁ。エレンくんともエッチしたいにゃぁ~♡」
「うるさい、黙れ。……もう本当に最悪の気分だよ」
天使バルドルと戦った時点で、天使への信頼度は地の底まで落ちていた。
なのに、さらに底の底までブチ抜いていくなんて思わなかったよ。この世に存在する全ての天使像を破壊して回りたい気持ちだ。
――そうして頭を抱える俺に、ヘラは「あぁそうだ」と大したことじゃないように呟き、そして。
「今の人間たちの認識では、魔物たちは『魔王レイア』ちゃんに創り出された存在ってことになってるのよねぇ? 五百年前に誕生した人外たちだって。――それ、間違いだから」
『は……?』
突然の言葉に、背後から抜けた声が響いてきた。
俺の愛する魔物たちだ。これまで蚊帳の外だった彼らは、いきなり自分たちの起源を否定されたことに、思考が追い付いていない様子だった。
そんな彼らに、ヘラは言い放つ。
「アンタたちの正体。それは、人間よ」
・ご評価にご感想、お待ちしています。