70:天使の奇跡
翼の生えた肉の山。そんな奇怪な存在に、ポルン・ペインターは成り果てた。
このような名状しがたき生物、今まで見たことがない。
それに……先ほどヘラは、コイツを指して何と言った?
「バルドル、だったか? それって、女神ユミルが産み出した『天使』の名前じゃ……」
天の使いと書いて天使。かの女神が自身の血肉から創り上げたという、眷属の名だ。
神話にはあまり詳しくないが、その中の一体にバルドルという存在がいたはずだ。
どういうことなのかと訝しむ俺に、転がったヘラが笑いかけてくる。
『クヒヒヒヒッ! 正解よ、エレンくん。今アナタは、天上の上位存在を前にしているってワケッ!』
「っ、なに言ってんだお前は……!?」
アレが本物の天使なわけがあるか……!
女神ユミルの神話曰く、『オーディン』だの『ロキ』だのといった天使たちは、突如として現れた狼の悪魔『フェンリル』によって滅ぼされてしまったという。
その後、女神ユミルは相討つ形で悪魔を倒し、死した女神や天使たちは天の果てで世界を見守り続けることにしたという。
それが俺たちのよく知るユミル神話の内容だ。
「天使は悪魔に滅ぼされたはずだ。それに何より、あんな気持ち悪いヤツが天使なわけあるか!」
『気持ち悪いは余計だっつの☆ ――でもまぁ確かに、このビジュアルはちょっと酷いわよねぇ。やっぱり依り代が悪かったのかしら? 貴重な聖遺物を使ったんだから、もうチョット上手く行って欲しかったにゃ~』
依り代? 聖遺物?
さっきからコイツは何を言っているんだろうか。
わからない……わからないが、とてつもなく嫌な予感がする。
養父ケイズの日記を見た時、ヤツが俺の両親を焼き殺したことを暗示する文章が書かれていたような……あの時のような、真実から目を背けたくなる感覚だ。
なぜか右手の『魔の紋章』がチリチリと痛んだ。俺は手の甲を押さえながら、転がった生首に問いかける。
「ヘラ……お前は何を企んでいるんだ。そもそもお前は何なんだ? 大金欲しさにラグナルに仕えているだけの、クソ野郎じゃないのかよ……!?」
『さぁてどうだか☆ 全ての答えは――“あの子”を倒せたら教えてあげるワァ!』
「ッ!?」
走る悪寒に俺は咄嗟に飛び退いた!
次の瞬間、つい先ほどまで立っていた場所に巨大な『羽根』が突き刺さった。
『逆襲逆襲逆襲逆襲ー-----------ッッッ!!!』
謎の肉塊が轟き叫ぶ。
体表に生えた七枚の大翼を羽ばたかせると、さらに多くの白き羽毛が空へと散った。
しかしてソレらは鳥のものとは大きく違う。一枚一枚が破城槍よりも巨大であり――、
「まずいッ!? みんなッ、避けろォーーーーッ!」
そして降り注ぐ死の豪雨。
何十キロもの重さを誇る狂気の羽根が、俺たち目掛けて墜ちてきた。
おかげで戦場は大混乱だ。数えきれないほどの魔物たちが巻き込まれ、血潮と悲鳴が地を満たしていく。
さらに、
『支配支配支配支配ー-----------ッッッ!!!』
再び響く怪異の咆哮。
それと同時に、死体人形たちの身体が白き光に包まれ始めた。
『アァアアァァアアァッ!? ラグ、ナル――バルドル様ッ! バルドル様ッ、万ァ歳ッ!』
喝采を上げる死兵たち。もはや彼らは人形ではなくなっていた。
その声には生気が宿り、さらには欠けていた手足や臓器が再生を始めたのだ……!
「冗談、だろ……!?」
欠損した肉体が元に戻るなどありえない。どんなに強力な治癒の魔術でも、せいぜい千切れた手足を引っ付けるのがやっとなはずだ。
だというのに、失われた内臓をゼロから生み出すなど……。
「まさかヤツは本当に、神話の天使だっていうのかよ……!?」
俺たちの脳裏に、絶望の二文字が浮かび上がったのだった――。