66:闇の底にて
先日、底辺領主と貧乏令嬢のマンガ新刊が発売になったんですよ!
――『ユミル教』。
それは、世界の創造主たる女神ユミルを称える一神教であり、ほぼ全ての国家が国教としている一大宗教である。
当然ながらどこの王族とも結びつきは深く、ニダヴェリール王国の城の地下にも、王家の者だけが利用できる地下礼拝堂が存在していた。
その最前列の席にて……、
「なぁヘラよ。本当に大丈夫なんだろうな? オレは、勝てるんだろうな……?」
新王ラグナルは少女の膝を枕に、身体を横たえていた。
怜悧な顔に浮かぶ不安げな表情。まるで、ぐずる直前の赤子のような面持ちを前に、少女は――『死骸術師ヘラ』は、聖母のごとき微笑を浮かべた。
「大丈夫よ、ラグナル。何も心配はいらないわぁ♡」
「し、しかし、お前の予想では敵はすぐにも攻めてくるのだろう……!? 我が王都に潜入していたという、どんな場所にも入り込める人外の魔人ども……そんな存在が、何千も……!」
恐怖に身体を震わせるラグナル。
高慢にして傲岸なこの男であったが、一度弱音を吐露してからは脆かった。
王に至るまで誰にも頼らず生きてきた彼である。それゆえに、誰かに心の澱を吐き出す快楽に、知らずの内に酔い痴れてしまっていたのだった。
「なぁぁ、ヘラよ……!」
「よしよし……それについても安心なさい☆ 驚異的な力を誇る魔人だけど、その数は決して多くないわ。そして種類にもよるんだろうけど、決して無敵の存在というわけじゃない」
赤と青の二色の瞳で虚空を眺めるヘラ。
彼女のオッドアイの視界には今、千を超える死体人形に追い立てられている少女の姿が映り込んでいた。
「フフ……。『魔物』側の強大な魔人たちに対抗するように、『人類』側にはアタシというパワーカードが存在している。
ねぇラグナル、もしかしたらアナタには女神ユミル様の加護が付いているのかもよぉ?」
ユミル教において、全ての命がどんな境遇でどのような運命を持って生まれるのかは女神ユミルが決めているとされている。
その考えを用いれば確かに、ラグナルは女神の愛を受けているのかもしれない。凶悪な魔王軍に対する盤面で、ヘラという鬼札を都合よく握ることが出来たのだから。
だが、新王は怯えた表情で「まだだ、足りない」と小さく呟く。
「魔人や魔物の軍勢には、お前の死体人形たちで対抗できるかもしれない。だがあの男は……エレン・アークスはどのように対処する……!?」
あぁ恐ろしいと、ラグナルは物陰に隠れようとする小動物のようにヘラの股ぐらに顔を埋めた。厳粛な聖堂に「やぁんっ♡」と淫靡な声が響く。
一時は数万の死体人形を見て『エレン、破れたり!』と自信を取り戻していた新王であったが、恐ろしき魔人に襲撃される寸前だったことを知り、再び怖気がぶり返してしまったのだ。
「ん~たしかにエレンくんは強いわねぇ。可愛い顔して、不意打ちにもバッチリ対処してきたわぁ。経験浅そうなのに、よほど狡くて良質な敵と巡り会えたのかしらネ?」
「感心している場合か! なぁヘラよ……お前は千体の死体を使って例の魔人を追いかけているというが、それでも捕まえきれないのだろう? つまりはそれだけの能力値を持っているということだ。
そして、そんな魔人どもが拝しているとなれば、魔王エレンはどれだけ恐ろしい男なのか……!」
身体の震えが止まらない。溢れる不安に溺れそうになる。
今まではどんな政敵も暗殺によって片づけてきたラグナルであったが、今回ばかりはソレが通用しない相手だ。
しかも逆に、暗殺者を仕掛けてくるという悪辣さまで持ちかけている。もはや彼が頼れる相手はヘラ一人だった。
「うふふ……ラグナルってば本当に可愛い♡ 大丈夫、大丈夫よぉ」
粘ついた笑みを浮かべるヘラ。
怯える王を妖艶な手付きで撫でながら、二色の瞳で再び虚空の先を見つめた。
そして広がる新たな視界――そこには、死体人形の兵団を率いる初老の男『ポルン・ペインター』の姿が。
「あの男には『隠し玉』を持たせたわァ。エレンくんにどれだけ対抗できるか、楽しみねぇ♡」




