65:侵攻
『はぁいエレンくん、聞こえてるぅ~?♡』
ラミィを通して伝わってくる、ヘラと名乗った女の声。
どういうわけかそいつは、確実に俺のことを認識していた。
「なんだお前は……! どうして【情報伝達能力】のことを……!?」
右手に宿った『魔の紋章』。それが与えてくれた力の一つだ。
少なくとも、仲間になった魔物以外には伝えていないはずなんだが……?
『フフッ、簡単よぉ♡ アナタが魔物を疑似的な耳に出来るように――』
「――アタシも新鮮な死体に限り、感覚を繋げれるってワケよ♡」
「ッ!?」
次の瞬間、全身に危険信号が迸った――!
咄嗟に横に大きく飛び退く。すると、つい先まで俺が立っていた場所に、『少女の死体』が飛び蹴りをかましてきたのだ。
そして怪異は巻き起こる。俺から外れた彼女の蹴り……華奢な脚によるその一撃は、背後にあった執務室の壁を粉々に破壊してしまったのだ。
当たれば確実に死ぬような威力である。一瞬遅れて、俺の頬に冷や汗が流れた。
「あら残念。ラグナルと違って鋭いのねぇ~♪」
……楽しげに笑う死体の少女。
彼女の片足はグチャグチャにへし折れていた。もはや骨折を通り越し、皮だけで繋がっているような状態だ。
だというのに、まったく痛がるそぶりもない。まるで『人形』が壊れたように――本人には何の痛苦も届いていないような具合だ。
その異常性から、俺は理解する。
「なるほどな……お前が民衆たちを死体人形に変えていた張本人か……!」
「えぇ正解っ☆ このアタシこそ、『死骸術師ヘラ』。新王ラグナルの腹心にして、世界的な大犯罪者ってワケよっ♡ よろしくね~?」
可愛らしく投げキッスを飛ばしてくるヘラ。
だが、こちらからしたら吐き気しかない。ヒトの死体を使って何をやっているんだと。
「気持ち悪いがよくわかったよ。その子の死体を通して、執務室で話している内容を盗み聞きしていたってことか。それで、ラミィの襲撃にも備えることが出来たと」
「気持ち悪いは余計だっつの☆ ――まぁそんなワケで、いま本体のほうはお宅のラミィちゃんと追いかけっこしてるわァ~。もし捕まえたらグッチャグチャにエロいことしてやるんだからね~~~ッ♡」
「なに……!?」
魔人であるはずのラミィが、追いかけられている状態だと……!?
俺は即座に『大丈夫か!?』と彼女に念話を飛ばした。すると、息を切らしながらも『大丈夫ッ!』という声が返ってきた。
『ハァッ、ハァ……エレン、ラミィのことは心配しないでッ! それよりもコイツには気を付けて。コイツはもう、人間じゃない!』
「ラミィッ!?」
その言葉を最後に途切れる念話。
どうやらかなり切羽詰まった状況らしく、意識を集中できないようだ。
「もぉ~~何なのこの子~っ☆ 死体人形を何十人も使って追いかけてるのに、そこらじゅうの隙間にグニャグニャ入って全然捕まらないんだけどォ~! ヘラちゃんプンプンッ!」
「お前……」
怒りと殺意に心が満ちる。
ああ、迂闊に手を出すのは危ない敵だってわかってるさ。
ここでやり合うのは得策じゃない。もっと落ち着いて会話を重ねて、情報を引き出すのが賢いやり口なんだろう。
だが、しかしだ。
「今から、お前を、ぶっ殺してやる……!」
辛くて貧しかったギルド時代からの仲間を追い立てられて、男として冷静でいられるものか――!
俺は賢王なんて目指していない。仲間のために怒れるような、『魔王』になるべく生きているんだ……!
「アハァッ、エレンくんってばキレっちゃったぁッ!?☆ 女の子のために怒れる子ってとってもステキ――ねェッ!」
かくして次瞬、ヘラは離れた位置から折れた片足を振るってきた。
もはや皮だけで繋がっているような少女の足。それは猛烈な勢いで振るわれたことでついに千切れ、投げ槍のごとく俺に向かって飛んできたのだった。
誰も予想しないだろう狂気の不意打ち。確実に当たると思ったのか、ヘラの口元が嘲笑に歪むが――しかし。
「温い」
「なッ!?」
そんなモノは俺に通用しない。
一切驚くこともなく片手で足を払いのけると、ヘラの表情から初めて笑みが消え失せた。
「悪いがソレは二番煎じだ。とっくの昔にやられてるんだよ」
四肢を飛ばす狂気の不意打ち――そいつを最初に放ってきた男、『紫電のサングリース』をわずかに思い出しつつ、俺は一瞬で距離を詰めた。
そして、ヘラの顔面を鷲掴みにすると、
「燃えて亡くなれッ、異能発動・【火炎】六連ッ!」
火蜥蜴より借りた炎を放ち、一気にその身を焼却する!
太陽のごとき紅蓮の輝き。その熱量に飲み込まれ、少女の亡骸は灰となっていく。
「あッ、らぁ~あらあらあらあらあらァァァ……ッ! 斬られようが、潰されようが、構わないけどォ……流石に焼かれたらもう操れなくなっちゃうわネェ……!」
「さっさと消えろよ腐れ野郎。これ以上、その子の身体を弄ぶな」
炎の強さをさらに高める。
そうして脳髄までも焼き滅ぼしたところで、ようやくヘラは喋らなくなり、少女の亡骸はヤツから解放されたのだった。
「……熱い思いをさせちゃってごめんな。どうか安らかに眠ってくれ」
この少女には罪はない。
俺はほとんど骨だけとなった彼女を横たえ、心からの安息を願った。
――そして。
「シル」
「ああ……ッ!」
側に控えていた側近に、決意を以って呼びかける。
「いま倒したヘラは本体じゃない。ラミィは未だ、王都でヤツや死体人形たちに追いかけられているはずだ」
焦燥感に拳を握る。
変幻自在なスライムの彼女だ。そう簡単に捕まるとは思えないが、敵もまた不条理な存在。放置できるわけがない。
ゆえに、これより……!
「所要メンバーをすぐに集め、作戦会議を行うぞ! それが終わり次第、即刻……」
――全兵力を以って、王都に向かう!