55:異常の幕開け
「……大変申し訳ありませんでした……」
「……いや、私のほうも騒ぎすぎた……」
とんでもない秘密を知ってしまった後のこと。
俺はスクルド王子――もといスクルド姫を牢から出し、城の客間に案内していた。
部屋の空気は大変気まずい。どうやら俺はシャツの胸元を掴み上げた際、胸を締め付けていたさらしの一部まで引っ張ってしまっていたようだ。
「あー……本当にごめんなスクルド。色々と手荒な真似をしちゃったよなぁ。普通に、ちょっと年上くらいの王子様だと思っててさぁ……」
向かいに座ったお姫様に、改めて頭を下げる。
うーん、正直言ってかなりへこむ……!
しょげてるお姉さんに向かってデコピン食らわせたり胸倉掴んだりは完全アウトだろう。
「重ねがさね、ごめん……」
「別にいい。性別を隠していたのはこちらだからな、むしろ見抜かれていたほうが困る」
それに、とスクルド姫はチラリと横を見ながら呟く。
そこには紅茶を用意している幽霊メイド・レイアの姿が。
「私の看病を行っていたという彼女から、聞いていなかったそうだしな。
服も取り換えられていたし、まさか気付かなかったわけではあるまいに」
「あぁそうだよ……。なぁレイア、どうして言ってくれなかったんだ?」
俺の指摘に、彼女は困ったような笑みを浮かべる。
「申し訳ありません。スクルドさんの言う通り、性別についてはとっくに気付いておりました。
されどエレン様はお忙しい身。街の侵略を終えた後、捕まっていた魔物たちの様子見や、黒髪の方たちとの話し合いなど、色々とお仕事がありましたから……」
「む、おいメイドよ。だからといってこんな重要な情報を主人に伏せるか? それは独断が過ぎるというものだぞ」
口を尖らせるスクルド。
騎士たちに陰口を言われていたと知った彼女だ。善意からであれ、主に対して秘め事を行う部下というのが気に入らないのだろう。
しかしレイアは、ちらりと俺の手を見ながら……、
「スクルドさん、エレン様の手を見てください」
「なに? ――っ!?」
スクルドが大きく目を見開いた。
その視線を受け、俺はようやく異常に気付く。
手のひらに爪が食い込み――血が滴るまで、拳を握り締めていたことに。
「ちょっ、エレン・アークス!? キサマ、なにを……!?」
「スクルドさん。エレン様はとても……とてもお優しい人です。
だからこそ、『ごめん』『すまない』の言葉だけでは足りないほどに悔やまれているのでしょう。死闘の最中、女性であるアナタの身体を傷付けてしまったことに」
「ッ、あれは殺し合いの中でだぞ!? 私は本気で殺しにかかったッ! ゆえにどんな目に合わされようが、恨みはあっても文句なしだ!
それなのに…………なのに…………エレン・アークス、お前は……」
咎めるような口調で……しかし、どこか切なげに目を細めながらこちらを見つめるスクルド。
俺は握りすぎた手をどうにか解きながら、苦笑を返した。
「ははっ……悪いなスクルド、変なとこ見せて。それに気遣ってくれてありがとう、レイア。
……不思議なもんだなぁ。街の人間を全員追い出した時点で、女性や子供を山ほど傷付けたようなものなのに。
なのに、直接手を上げたと知ったらこうだ……」
魔王として本当に情けない限りだ。
――しかし、レイアはそっと俺の手を取り、「それでいいのですよ」と小さく頷く。
「かつてのわたくし……『初代魔王』のように、平気で人類を虐殺できる人間にはならないでください。
それでわたくしは人々の大反撃を食らって負けちゃって、今や恨み返しとして、黒髪の人間や魔物たちが苦しめられている状況にあるのですから……」
「レイア……」
「ゆえにエレン様。女の子を傷付けたら当たり前にへこんでしまう、そんな真っ当な男の子でいてください。その優しさこそ、きっとアナタだけの武器になるはずですから」
優しく微笑むレイア。その笑顔を前に、俺は鼓動が高鳴るのを感じる……。
――と、そこでゴホンッと。
向かいに座ったスクルド姫が、少しだけ頬を赤らめながら咳ばらいをした。
「そういうのは二人っきりの時にやれ……!
ともかく『魔王エレン』よ。貴様の人柄はだいたいわかった。
どうやらずいぶんとお人よしらしい……これで宮廷魔術師を倒せるほどの力を持ち、大軍勢を配下にしているとか軽く詐欺だろ……」
「なっ、仲間になる気が失せちゃったか……!?」
何やらぶつくさと文句を言うスクルドに不安げに尋ねる。
しかし彼女は「いいや」と首を横に振り、血の滲んだ俺の手に優しく触れてきた。
「……なつかしいなぁ。私の母も、よくそうしていた。
私に会うたびに、そうやって悔しそうに拳を握りしめていた」
静かに語るスクルド。
彼女の母といえば、たしか国王の戯れで手篭めにされ、今は隠し部屋で飼われているのだったか……。
「しかし、だ。母もまた、とてもお人よしな人でな。彼女は決して、自分の運命に悔やんでいたわけではない。
彼女は……とてもとてもお人好しな母様は、今の貴様と同じく、『自分の存在がアナタを傷つけてしまっている』と、私に対して出生のハンデを負わせたことを悔やんでいた」
「っ……それは、なんて……」
「ああ……」
本当にお人よしすぎるだろうと、スクルドは泣きそうな顔で呟く。
そして、俺の手を強く握り――!
「ゆえにだ、エレンよ。我が母に似た、キミのような少年が王になったら、どんな国を作るのか……! 私は大いに興味が湧いた!
母を救うためにも、このスクルド・フォン・ニダヴェリールが魔王を守る騎士となろうッ!」
「っ、あぁ……ああっ! こちらこそ、宮廷魔術師が仲間になってくれるならありがたいっ!」
最高に頼れる仲間ゲットだっ! 俺は喜んでスクルドの手を握り返した!
――かくして友誼を結ぶ俺たち。
それからわずかに話し合った後、話題は自然と『そもそもどうしてスクルドが男のフリをしていたか』に流れていった。
「いやぁ、よく考えなくても無理がありすぎるだろう。黒髪の子の上に女って……父親は当然知ってるんだよな?」
「あぁもちろん。というか私を王子に仕立て上げたのは父王陛下の仕業だ。
あの人は子を作る能力が弱く、さらには歳も召していてな。結局、自分の種を託すことが出来たのは、戯れに抱いた黒髪の母だけだったよ……」
それは……なんとも皮肉な話だ。
国王ともなれば様々な女性と関係を結んだのだろうに、よりにもよって、子を成せたのが差別階級の女性だけとは。
「だからといって、娘を王子にするって……」
「それほどまでに自分の子供を玉座に着かせたかったんだろうよ。直系の血筋が未来の王になることこそ、国王にとっては最高の名誉だからな。
まぁ、老王の執念という奴だ。おかげで私はかなり苦労したがな……」
はぁ~と重たい溜め息を吐くスクルド。
母親の出生に加えて本当の性別まで隠さなければいけなかったのだ。その気苦労たるや、計り知れない。
「父王陛下が無理をしなければ、今ごろは優秀な従兄が玉座にもっとも近かっただろうに……」
どこか申し訳なさそうな声色で彼女は呟く。
それに対し俺が、「従兄ってどんなやつなんだ?」――と、問いかけようとした……その時。
『――民衆たちよ、聞き給えッ!』
……男の叫びが、天の果てより響き渡った。