28:戦いのあとで・中
『くそぉ、レイアのやつめ……! 元魔王だというだけでエレンにちょくちょく頼られてズルいぞ……!』
夕暮れに染まる銀狼の森を、シルバーウルフのシルはボヤきながら歩いていた。
――つい先日。ゴブリンの里より帰還したエレンは、そこであった出来事の全てを魔物たちへと伝達した。
その中には、幽霊メイドのレイアが実は魔王だったというシルすら知らない情報も含まれていた。
魔王といえば全ての魔物を生み出した偉大なる真祖である。
その事実に多くの者たちがどよめく中、シルの心に浮かび上がったのは『エレンに頼られて羨ましい』というくだらない嫉妬の感情だった。
『うぅ、わたしだってエレンをいっぱい助けたいのにぃ……!
それに、幽霊のくせに触れ合えるとかふざけるな! そんなの、もはや普通の人間の女と変わらないじゃないかぁ……っ!』
泣きそうな声で呻くシル。
サングリースに傷付けられた身体以上に心が痛い。
……エレンとレイアが仲良くしている姿を見ると、切ない痛みが止まらないのだ。
『くそっくそぉ……! レイアのアホめっ、牙も爪も持たないくせに、わたしを苦しめるな……っ!』
アイツに比べて自分はどうだと、シルは毛むくじゃらの前足を見る。
ああ……どう見ても犬のものだ。白くて滑らかなレイアの肌とはまるで違う。
こんな身体では、エレンから恋愛対象として扱われることすら不可能だろう。
だが――解決策は、ある。
というよりもその解決策について、シルは思い悩んでいた。
『はぁ……今日の朝に頭に響いた、“アナタは進化が可能です”という声。これは間違いなく、エレンが説明してくれた進化権というヤツだろうな。願えば姿を変えられるというが……しかし……』
“しかし――自分は誇り高き銀狼一族のリーダーである。
だというのに、エレンと番になるためだけに牙も爪も捨て去り、弱い人間の姿になっていいのだろうか? リーダーならば強さを優先すべきじゃないか?”
そんな悩みをシルは朝から抱え続けていたのだった。
『あぁどうしたものか……! リーダー的に考えるなら、やはりさらに爪や牙を鋭くして、ついでに身体をおっきくしたほうが威厳が出るだろうし……!』
『ふ~ん、でもそれって女の子的にどうなのよ?』
『あぁそこなんだよ! そもそも年若いわたしがリーダーをやることになったのは、オス並に身体がデカいからなんだっ! おかげで昔から女扱いされてこなくて嫌だったんだ……』
『なるほどねぇ。でもエレンは器がおっきいから、そんなアンタのこともちゃんと女の子として扱っているわよね?』
『うむそうなのだっ! 図体のデカいわたしのことを、アイツは可愛いって言ってくれてたんだ! でもどうせなら本当に可愛い見た目になって、エレンを誘惑してやりたい――って!?』
そこでシルはようやく気付いた。
いつのまにやら自分の側に、サラマンダーのサラがいたことに。
『おっ、おまっ!? 一体いつからここに……!?』
『“くそぉ、レイアのやつめ……! 元魔王だというだけでエレンにちょくちょく頼られてズルいぞ……!”あたりからいたわよ』
『って最初からじゃないかぁッ!?』
つまりは例のメイドに対する嫉妬心駄々洩れな陰口をバッチリと聞かれてしまったわけである。
これほど恥ずかしいことはない。シルは『う~!』と呻きながら頭を丸めて伏せてしまった。
『あ、あのアホメイドには黙っていてくれよ……!?』
『言わないわよ、つーか私も同じ気持ちだし。……デカい乳でエレンを誘惑してくれちゃって、本当にムカつくわよねぇ』
忌々しげな表情をするサラ。
しかし彼女は『アイツもムカつくけど』と呟き、今度はシルのことを睨みつけた。
『それ以上に腹立つのはアンタよ! アンタだってぽっと出のくせにエレンにベタベタしてるじゃないの!?』
『ふぇっ!?』
火を吹きながら怒鳴る彼女にシルは思わず面食らう。
だがサラの怒りは収まらない。
『そのうえ進化できるのに悩んでますとかふざけてんの!? さっさと美女にでもなればいいじゃないのっ、このアホオオカミが!』
『なっ、アホオオカミとはなんだ!? 聞いていなかったのかっ、わたしはリーダーだから可愛さを求めていいのか迷っていると……!』
そう唸るシルに対し、サラの怒りが頂点に達する。
長い尻尾をブンッと振り回し、シルの横っ面をビンタした――!
『あいたーっ!? おっ、お前なにを!?』
『このおバカちんっ! たしかにアンタは群れを率いる立場だろうけど、それはあくまで“シルバーウルフとして”でしょう!?
足りない頭で考えてみなさいよ。いま、“私たちにとって”のリーダーは、いったい誰なわけ?』
『っ――!?』
その問いかけにハッとするシル。
そんなの考えるまでもない。銀狼の若きリーダーは、主君の名前を即答する。
『エ、エレン・アークスだ……! 強くて優しい大好きなあのヒトこそ、わたしたち全ての魔物のリーダーだ!』
『そういうことよ。……だったらアンタが気を張る必要なんてないじゃない、これからは女の子として幸せを普通に求めていきなさいよ。エレンだって、私たち魔物が幸せになれる未来を願って魔王になったんだからさ』
『っ、ああ!』
サラの言葉にシルは力強く頷いた。
まさに目の前が晴れる思いだ。頼ってもいい誰かがいるという事実が、たまらなく嬉しい。
『……ありがとう、サラ。心からハッとさせられたよ。……群れのオスが全員人間に殺されてから、“自分が頑張らなければいけない”という思いが頭に張り付いてしまっていたみたいだ』
『ふんっ、アンタにお礼なんてされても嬉しくないわよ!
それじゃあさっさと美人になって、エレンにアタックしてきなさいよ。残念なことに私はまだ進化できないみたいだから、一番槍は譲ってあげるわ』
『うむっ、サラも早く追ってくるんだぞ! 群れの王はハーレムを作ってこそだからなっ!』
明るい表情でとんでもないことを言うシル。
もしも人間のエレンが聞いていたら「いやいやハーレムって!?」と突っ込むだろうが、シルバーウルフのシルは狼型の魔物である。そのへんの価値観などはケモノと同等だった。
『それじゃあ行ってくるからなーっ!』
『はいはい。……ま、頑張ってきなさいな、シル』
元気に駆けていく銀狼の背を、サラマンダーの少女は片目で見送る。
かくして数分。シルの背中が完全に見えなくなったところで、サラは静かに溜め息を吐き――、
『……言われた通りに背中を押してやったわよ。これでよかったのかしら、初代魔王様?』
「ええ。妬まれているわたくしでは、きっとシルさんは話を聞いてくれなかったでしょうから」
問いかけるサラの前に、幽霊メイドのレイアが木陰から姿を現した。
そう。サラが銀狼の少女を追ってきたのは、彼女に頼まれたからなのだ。
レイアにとって全ての魔物は我が子も同然だ。それゆえ、シルの様子が朝からおかしいことに気付いていた。
そしてレイアもまた『魔王』という立場を背負っていた者だからこそ、銀狼のリーダーであるシルの悩みをどことなく察していたのである。
「現役時代はわたくしも、威厳を考えて全身鎧を着てましたからね。おかげで人間たちには『魔王は男だった』なんて言い伝えられてしまいましたが」
『だからって乳おっぴろげのメイド服は方向転換しすぎでしょ。それ、アンタの趣味なの?』
「は、恥ずかしながら……!」
テレテレと頬を掻く元魔王。
そんな彼女にサラは『エロカワが趣味の天然馬鹿から魔物って生まれたのね……』とぼやきながら、再び溜め息を吐くのだった。
『はぁ……本当にアンタのこと大嫌いよ。私だってエレンのことが大好きなのに、そんな相手にライバルの背を押すように頼むとかありえないでしょ』
「そうですね。でもサラさんも、今朝からシルさんが悩んでいることに気付いて、どうにかしてあげたいとやきもきしていたでしょう?」
『っ、うるさいバカッ! 無駄によく見てるんじゃないわよッ! そういうところが大っ嫌いッ!
……アンタも、シルも、ホント大っ嫌い……! この私だけが、エレンにとっての“女の子”でありたかったのにぃ……!』
そう言って子供のように泣きわめくサラ。
レイアのように知識や経験が欲しかったと、シルのように明るさや進化できる権利が欲しかったと、サラマンダーの少女は涙を流す。
『元魔王のアンタや、一族のリーダーだったアイツと違って、私はどうせ金で買われた元奴隷の魔物よ……! どうせ何も知らなくて、すぐにキレちゃう厄介な女よ!
でも、そんな私にも……エレンは優しく接してくれて……うぅう……っ!』
「……」
感情を爆発させるサラに、レイアはあえて何も言わない。
ただただ少女が全ての涙を出し切るまで、その場にそっと寄り添い続けたのだった――。
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