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早朝、ソラヤとキュフは寒空の下出発した。部屋の窓から彼らの吐く白い息を眺め、どうか上手くいきますようにとその背中に祈った。
俺はソラヤのランタンを膝の上に乗せ、光が入っている硝子部分を黒布で巻き付け光が漏れないようにし、修理作業に入った。
観察すればするほど、見事は細工が凝らされていて、現代に作られたものではないことが分かる。
この細密な細工は魔法があった時代の奇跡的な技だ。
寝台の横に用意してもらった果物を着る用の小さな包丁を手に取り、自分の左手の皮膚を切る。人差し指から流れた赤い血を親指に馴染ませ、ランタンの接合したい部分に塗りつけた。
ゼノはこうして己の血に交じる鉄分を利用して力を使う。
魔法と呼ばれる程大きな力ではないが、人間たちに出来ないことが出来るのは間違いない。
ガラスと底部分の金属を繋ぎ合わせるのに集中していると、気づけば昼近くになっていた。
空腹で我に返ると、何やら窓の外が騒がしい。男女が数人の声と、サラと医者の声が混じっている。
包帯でぐるぐる巻きにして固めた足をゆっくり動かしながら、窓の前にどうにか立って、窓を開けて外を覗き見た。
「ですから、本当に申し訳ないですが、お帰りください」
医者が深々と頭を下げて、隣に立っているサラも頭を下げている。
「お願いします。このままでは娘は死んでしまう!」
その身形を見ただけで、この診療所を訪ねてきたのが誰なのかすぐに分かった。
「私達がゼノだから追い返すのですか?」
訪ねてきたのはゼノの親子だった。俺と同じ年位の父と若い母、そして五六才ぐらいの少女。
「そうではありません。今、この診療所では入院されている方もいらっしゃいますし、新生児や妊婦も検診に来られるんです。ですから別の病院へ行っていただけませんか?」
医者が丁寧に説明するのだが、ゼノの親子は引き下がろうとしない。父の腕の中で動かない娘がぐったりしている。
「どこも取り合ってくれなかったんです。何とか薬だけでも」
必死に訴える母の目の下にはクマが出来ていて、頬もこけているように見えた。
「では、別の病院に紹介状を書きます」
「紹介状を見せてもきっと燃やされるだけ。お願いします、助けてください」
両親の訴えも虚しく、サラと医者はただ頭を下げるだけで、治療は施さなかった。
泣きながら帰路を辿る同胞の姿に、俺は居ても立っても居られなくて、痛む足を引きずりながら表に飛び出た。
「どうして、病人を追い返したんだ」
「フォンさん、動かない方がいいです」
サラが俺の体を支えようと駆け寄ってくるが、俺はその手を振り払った。
「先生、彼らがゼノだから追い返したのか」
「そうではないですよ」
「なら、どうして?」
いくらゼノ達が奴隷のように扱われているからといって、病にかかったから医者に頼るのが何がいけないというんだ。
俺の頭の中では、故郷で変わり者と言われていた人の後ろ姿を思い出していた。
この流行り病は危険だと言って回って、邪険に扱われても、無視されても訴えていたあの人の背中が繰り返し脳裏に浮かぶ。
「ここは診療所です。しかも産科でアルス国の法律では妊婦と新生児以外の治療は認められていません」
「なら、どうして俺は傷の手当てを受けているんだ」
「フォンさんは娘の客人として迎えています。ですので、治療費は請求いたしません」
ソラヤ達から治療費を貰っていないと言ったサラの言葉の意味はそうだったのか。
「なら、俺みたいに客としてこっそり治療することも出来ただろう」
「怪我なら構わないのですが、流行り病は対応できません。感染症用の対策を取れていない家では、ここに来る妊婦や新生児にうつしてしまうことになる。それだけは出来ません」
医者は確固たる信念を持っていて、自分の出来る限りの方法で、自分の患者を守ろうとしているようだった。
「医者としてこの行動が罪だとは分かっています。しかし、患者を危険から守ることも私の務めなのです」
医者は目が血走っていて、ずっと両手をぎゅっと握りしめていて、肩にも力が入っていた。一番苦しいのはゼノだけではないのかもしれない。俺は視線を外して、俯き加減で謝罪した。
「すまない。部外者が偉そうなことを言った」
「いいえ。無力な私が悪いんです」
そう言って、医者は娘に俺を寝台へ連れて行くように言うと、診察室へと入って行った。
サラに肩を借りながら、自分の部屋へ戻る。
「以前はああやって助けを求めに来た方々に薬を分けていたんですが、薬を無料で渡していることが役所にバレたんです。それから目を付けられるようになって、こんな風に何もできなくなりました」
「薬を渡すのは罪なのか?」
「処罰などはありませんが、流行り病はアルス国内でも深刻です。そのため、感染症に効く薬は争奪戦で、国は処方に口うるさくなっているんです」
「そうか、罰せられる訳ではないんだな」
サラはお気遣いありがとうございますと、下手な笑顔を作って微笑んだ。その笑顔には精神的な疲れが伺えた。
「今となってはその薬もなかなか手に入りません。父はなんとか薬草を煎じて代用品を作ろうとしていますが、ルシオラのようには上手くいきませんでした」
ルシオラは昔から薬学に通じ、薬草を育て、薬を売っていた。
「ソラヤちゃんが、ルシオラの薬草知識を教えてくれたので、父は今、薬草の研究で徹夜続きです」
「キュフではなくあの子が、ルシオラ薬草知識を持っているとは意外だな」
本当に不思議なのはキュフではなく、ソラヤの方ではないかと思えてきた。彼女はいったい何者なんだろうか。
寝台に誘導され、足の激痛に耐えながら横になると、枕元に置いていたランタンを目をやる。ランタンにはソラヤと彼女の名が彫刻で刻まれていた。
「修理は順調ですか?」
「ああ、今日中には元通りなる」
「そうですかーーって、フォンさん!これはどういう事ですか?」
サラが俺に布団をかけなおすと、掛布団に点々と汚された血の跡を見て大声を上げた。その上、自分の手にも俺の血がついていることに驚いて、目が顔から飛び出そうだ。
「ゼノは血で金属を加工するんだ。布団を汚して悪かった」
「血を使うなんて、貧血で倒れてしまいますよ」
「職業病ってやつだな。心配ない、慣れているから」
若い職人は作業の遅さで出血量が多くなってしまい、貧血で倒れるということは日常茶飯事で、血を増やす魔法を使う人は医者よりも重宝される。
「無理はしないでください」
「サラ、後で針と糸を貸してほしい。袋を縫っておいてやらないと」
サラは小さく頷くと、俺の血がついた自分の手を眺めながら部屋を後にした。
その夜ソラヤのランタンの灯を使って、持ち歩くために作られた黒い布袋を修繕した。
ずいぶん分厚い布袋で、ランタンの煌々とした光を通さない作りでとても感心したものだ。
穴が開いたのではなく、縫い目がほつれてしまってランタンが抜け落ちたようだった。
針仕事を人目のつかない所でするのは初めてだったので、とても居心地が悪い。
グッタ国のゼノは針や刃物を使う際は、アピス人の目の前で行わなければならないという決まりがあって、針刃物の所持も認められていない。ウルラはグッタ国の一部とみなされているので、俺も縫物を人知れずに繕うのが初めてで、なんだか胸がそわそわする。本来なら監視される方が異常なのだが、習慣というのは恐ろしい。隠れて悪いことをしている気分だ。
繕い物が終わり、就寝した。久しぶりに金属加工が出来たからなのか、血を失ったせいなのか、寝つきがとても良くてその上、深い眠りにまでついてしまっていた。そのせいで、外の異変にすぐには気づかなかった。
「?」
かすかな騒めきと、妙に明るい窓。窓には厚手の布をかけているが、どうも外が光っているようだった。
寝ぼけている俺はてっきり、ランタンに被せていた布が落ちて光っているせいだろうと思ったが、色味が違う。ランタンの暖かな白い光ではなく、燃えるような赤の感じがする。
ようやく目が覚めて窓掛けをめくると、外は赤い色に覆われていた。
「おい、まさか……」
窓を開けると、一気に白い煙がこちらに向かって覆ってくるのですぐに窓を閉めなおした。服の袖で口元を隠し、咄嗟にランタンを布袋に突っ込んで肩にかけた。
「どういう事だ」
外は辺り一面火に囲まれ、この診療所は焼かれようとしているようだ。
痛む足を引きずりながら、俺は医者とサラを探した。確か、二階が住居だったはず。階段下から何度か大声で叫ぶと、サラが寝間着姿で現れた。
「フォンさんどかしましたか?」
「火事だ。すぐに外に出るぞ」
サラの後ろから医者が顔を出して、近くの窓から外を確認する。そして血相を変えて階段を下って診察室に走り込んだ。
「フォンさん手を貸します。私と外に」
「先生は?」
「父は、きっと医療道具を取りに行ったのでしょう」
俺とサラは裏の勝手口から外に出る。火は玄関の方から出ているようで、裏口はまだ火がまわっていなかった。俺達の後すぐに先生も大きな鞄を抱えて外に出てきた。
サラは父が無事な事を確認すると、近くの井戸から水を汲み、玄関の方へと走っていく。
「おい!危ないぞ」
医者も鞄を俺に託して桶に貯めた水を持って玄関へと走って行ってしまった。
ランタンと医療道具の入った鞄は死守しなくてはならないと思い、燃える診療所から離れようと試みる。
火はだんだん大きくなっていき、隣の住人も外に出てきて悲鳴を上げている。近所の男たちが桶を持って走ってきては、水をかけていくのだがーー。
橙の炎が屋根を巻き込み始め、もう、小さな桶の水でどうこうできるものではなくなってしまった。
ああ、どうして俺はこういう時、魔法が使えないのだろうか。古のゼノは、大量の水を天から降らすことが簡単にできたと聞く。どうしてこんなにも無能になってしまったのか。
消防隊が到着した頃には、火元近くの柱は崩れ落ちていて、倒壊寸前だった。
「私達をないがしろにした罪よ」
その言葉は俺の真後ろから聞こえた。俺の周りには隣人が集まっていて、誰がその言葉を吐いたのかは分からなかったが、その意味はすぐに理解できた。
同胞が起こしたことだったのか。
サラを探してずるずる歩いていると、消防隊の後ろで座り込んでいる親子を見つけた。俺は何とか辿り着いて、その蹲っている背中に言葉をかけようとしたが、何も思いつかなかった。
朝方、火は消えて煙が少し残る程度になった。幸いなことに隣近所に火がうつることは無かったが、夜のうちに診療所は焼け落ち、多くの思い出や財産が失われた。
俺は焼け跡の煤を手で触って確かめてみる。魔法の炎ならばすぐわかるが、この火は魔法とは関係のないもののようだった。火の使い手が起こした事件ではないという事だけが分かった。
「フォンさん、消防隊が調査するようですから、サラと二人で近くの野外劇場に避難しておいてください」
医者が医療道具の入った鞄をサラに持たせると、近所の若い男に俺の介助を頼んだ。そして三人で近くの野外劇場へ。
劇場の石の椅子に座り、ランタンが無事かを確認する。ランタンはどこも変わりが無かった。
俺に肩を貸してくれた男は実家から毛布やら上着やらを持ってきてくれる。そして他にも隣人たちが食べ物や着替えを用意してくれた。
サラは力なさげに礼を述べていたが、それ以外に言葉を発することは無かった。食べ物も口にせず、ずっと鞄を抱えている。
医者が俺達と合流したのは、昼前の事だった。
「サラ、少し焦げているが音は鳴るようだ」
父が娘に渡したのは、サラが奏でていた六弦琴だった。綺麗に手入れされていた木製の楽器だったが、煤にまみれてしまっている。
受け取らない娘の代わりに父が弦をつま弾くと娘はぽろぽろと涙をこぼし始めるのだった。
「先生、その六弦琴を貸してくれませんか」
「どうやら音が狂っているようだ」
「ええ。楽器を直したことはないが、何とかします」
せめてもの償いと思い、俺は六弦琴をを修理することに決めた。ランタンの修理より難しそうだ。
医者は仮住まいの家を探してくると言って、軽い食事をとった後またすぐにどこかへ行ってしまった。
冬の野外劇場は寒く、隣人たちが家においでと誘ってくれるのだが、サラが断り続ける。なので、二人で上着を何枚も重ね着し、団子のようになって医者の帰りを待つことにした。
「サラ。すまない」
立てた膝に顔を埋める彼女の背中に、思わず言葉をこぼしてしまった。
いくら詫びても、彼女の家が元通りになることは無い。
「フォンさんのせいではありません」
「無能な俺が悪いんだ」
「……」
ゼノを束ねる二十四首長の一人として、責任を取らなくてはならない。が、どうすればいいか分からない。